イメージ 1

1985年に衝撃のデビューを果たした、伊豆急行の2100系。この電車の登場は、鉄道車両界に大きな影響を与えたばかりでなく、単なる移動する手段から、その移動空間をどのようにして満喫するかを教えてくれた車両でもあります。

今ではジリ貧状態で、車両の新造すらままならない伊豆急ですが、この当時は特急 「踊り子」 の影響もあってか、伊豆急は結構潤っていました。しかし、目立っていたのは国鉄から乗り入れてくる車両ばかりで、伊豆急は開業時からの100系とその100系の下回りを流用して車体を新造した1000系が相も変わらず活躍していて、特に100系は私鉄唯一のグリーン車や 「スコールカー」 と呼ばれる食堂車が話題になりましたが、1961年の開業時から運用に就いている車両もあり、置き換えの声が持ち上がるようになりました。
その当時の伊豆地方は、度重なる自然災害で客足は鈍っていました。また、マイカーの普及もあったりで、伊豆急の利用者数も減少傾向にありました。1981年に登場した 「踊り子」 によって若干回復傾向にありましたが、ここで伊豆急は 「 「踊り子」 に負けない大胆な車両を・・」 と新型車両の開発に着手するわけですが、車両のデザインは、専門家ではなくて、社員の公募で決めることになりました。

こうして、素人発想の摩訶不思議な車両がデザインとして現れるわけですが、それはあくまでも “机上の空論” であって、形にするのは相当苦労したと聞きます。前例のない外観、内装ですので、車両製造を担当した東急車輛製造 (現、総合車両製作所) も 「こんなん、出来るわけないやろっ!?」 と門前払いだったとか。
① 運転手の特権である前面展望を乗客にも開放する
② 同時に、先頭車の半分を劇場風に段差を付けたものとし、後方の乗客にも
  見えるようにした。
③ 伊豆の大海原が見えるように、海側の座席を海に向けた。
④ 海側と山側とで配色の異なる外板塗色。先頭車には 「21」 をあしらった
  大胆なロゴ。
etc・・
2100系の大きな特徴といえば、この4点に絞られるでしょうけど、これもプロのデザイナーが考えたものではなくて、鉄道に関わりを持ちながらも、専門的な分野に関しては素人同然の社員が 「こんな電車があったら良いずら」 と描いたものであります。だから、プロでは考え付かない、夢に溢れた車両が生まれるんですよね。それまでの鉄道車両といえば、 “機能性重視” で、とにかく乗り込んでから降りるまでしか考えずに製造されていました。もっとも、伊豆急が通勤輸送に特化した鉄道会社だったらこういう車両も発想されなかったと思いますが、観光鉄道ならではのアイデアと絶賛されました。しかもこれが特急や急行という優等列車ではなく、各駅に停まる普通列車用の車両ということで、それだけでも度肝を抜かれたのです。

1985年、伊豆急の期待を一身に背負った2100系が竣工して、伊豆高原検車区に回送されたのですが、せっかくの車両なので、親しみを込めて愛称を付けることになりました。これも利用客への告知を含めて一般から公募することになりまして、36000通もの応募の中から 「リゾート21」 と決まりました。
いつ頃だったかは覚えていないのですが、私も2100系のデビュー告知と愛称募集のチラシを渋谷駅でもらいました。1等賞品がソニー製のワープロだった記憶があります。無い知恵絞ってあれこれ考えるのですが、結局、思い浮かばず、気が付けば募集締め切りは過ぎてしまいました。 「リゾート21」 と決まったのを知った時には、 「随分と単純な名前だな」 って思いました。 「サロンエクスプレス東京」 とか、そんな奇抜な名前かと思っていたんですね。

伊豆急の思惑はドンピシャリと当たり、皆、こぞって 「リゾート21」 に乗りに行こうと沿線は大賑わいになりました。伊豆の血が流れている私も無性に喜んだのを覚えていますが、1編成しかないので、2100系が充当される列車は常に満員。先頭車に座るなんて以ての外。そこで、もう1編成製造することになりました。
増備車、いわゆる “2次車” が登場したのは1986年のことですが、鉄道友の会から 「ブルーリボン賞」 を受賞したのを記念して、公開試運転を兼ねて東急線内を走りました。時あたかも未曾有の好景気。全国各地から2100系目当てにドッと人が押し寄せ、伊豆急沿線は彼方此方に観光スポットをオープンさせました。

1988年、3本目の 「リゾート21」 が登場しました。
これはJR線を介して、東京に乗り入れるための車両で、JRの保安装置や毎時高速運転に耐えられるように下回りを中心に改良が施されています。1次車、2次車は100系の部品を流用していましたが、3次車以降は下回りを含めてオールニューの新車となりました。
そして1988年のゴールデンウィークに、快速 「リゾートライナー21」 として運転され、営業列車としては私鉄車両初の東京駅乗り入れが実現するのです。快速として運転されたのはその時だけで、その年の夏季シーズンから特急に格上げ、今も続く 「リゾート踊り子」 が誕生しました。のちに1次、2次車もJR乗り入れの対応工事が実施されています。

こうなると、JR東日本も 「負けていられない」 とばかりに、新しいコンセプトの 「踊り子」 が登場します。これが251系 「スーパービュー踊り子」 だったわけですが、全列車が 「スーパービュー踊り子」 になったわけではなく、185系の後継車両とは為り得なかったですね。

「リゾート21」 と 「スーパービュー踊り子」 の二枚看板で、伊豆急はさらに賑わいを見せるのですが、一方でJR東海、小田急、東海バスは手を組んで、西伊豆ルートを開拓します。それまで伊豆へは東京駅や新宿駅などから 「踊り子」 に乗るか、熱海まで新幹線で行って、熱海から伊東線と伊豆急行を使うルートと、同じく新幹線で三島まで行き、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗って修善寺を中心とした中伊豆方面に向かう三つのルートが主流で、西伊豆は鉄道すら通っていないのが現状でした (今も変わりありません) 。そこに目を付けたのが小田急と東海バスで、新宿から御殿場経由で沼津まで行き、沼津からは「スーパーロマンス号」 という直通のバスで松崎や堂ヶ島という西伊豆の観光スポットへ向かうルートを生み出しました。それに合わせて、従来は御殿場までだった急行 「あさぎり」 を特急に格上げして沼津まで延伸、同時にJR東海も乗り入れるようになって専用の新形車両 (JR東海371系、小田急20000系) を登場させています。
東海バスは、東伊豆地域でもレトロバス 「リンガーベル」 や名古屋から伊豆方面に向かう高速路線バス 「伊豆スパー」 号を運行したりと、伊豆半島はかつてない潤いを見せるようになるのです。それに伴って、伊豆急もに各地から団体列車、いわゆる 「ジョイフルトレイン」 が相次いで乗り入れるようになり、百花繚乱の華やかさが見られた時代でもありました。

2100系ばかりが話題先行となっていましたが、その頃、100系も意欲的な車両が登場します。それがサロ1800形、 「ロイヤルボックス」 です。
新造ではなくて、在来車 (サハ184) からの改造ではありますが、車内は2100系に似せた海側の座席を独立させて窓を大きなものに取り換えています。
この 「ロイヤルボックス」 を2100系にも連結しようということで、4次車が製造された際に、サロ2180形が新造されるのですが、ここでもユニークなアイテムが盛り込まれるのです。それが 「天井プラネタリウム」 。伊東-伊豆急下田間45.7km、そのうちの1/3がトンネルという伊豆急は、トンネルの中でも退屈させないようにと光ファイバーを使って天井にプラネタリウムを映し出すサービスを展開。これが大受けで、サロ2180形は増備され、在来の3編成にも組み込まれました。

1993年、 「リゾート21」 の決定版である 「アルファ・リゾート21」 がデビューしますが、皮肉なことに、バブル崩壊後、伊豆への観光客は激減し、バブル期に雨後の筍の如く建てられた観光スポットは軒並み閉店に追い込まれました。2100系の増備は 「アルファ・リゾート21」 で終わり、 「ロイヤルボックス」 も1両だけ残して全廃されました。2100系は5編成のうち2編成が廃車となって、3編成が現在も活躍しています。
画像は1次車で、連結器にカバーがかけられた後年の姿。2004年に下田港開港150周年を記念して、車体を黒く塗りたくった 「黒船電車」 として最後の2年間を走り抜き、2006年に引退しました。
現在も 「黒船電車」 は走っていますが、4次車の 「リゾート21EX」 が “二代目” を継承しています。
初のJR乗り入れ対応車だった3次車は、2011年の伊豆急行開業50周年を記念して、100系と同じハワイアン・ブルーに塗り替えられ、 「リゾート・ドルフィン」 として現在もそのカラーを纏ったまま健在です。そして 「リゾート踊り子」 には、専門的に 「アルファ・リゾート21」 が担当しており、 「ロイヤルボックス」 も5次車に連結されていますが、 「ロイヤルボックス」 が連結されるときは 「リゾート踊り子」 の運用に就いた時だけ。普段は車庫で寝ています。

こうして衝撃の登場から30年が経過したわけですが、伊豆急の前途は必ずしも明るいものではありません。伊豆急の新型車両は、この 「アルファ・リゾート21」 を最後に製造されておらず、やって来る車両はJRや東急のセコハンだったりします。そのJRのお下がり (113系と115系) ですら既に存在せず、暗いトンネル中で出口を求めて彷徨っている格好になります。
私自身も伊豆に行く時は、ほぼ100%車でして、電車で行くというのは殆どありません。職場仲間と伊豆に旅行に行った時に電車を使った以来だから、かれこれ10年以上、電車で伊豆には行っていません。

この2100系を超える車両が登場する日は来るのでしょうか・・・?

【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
鉄道ファン No.654 (交友社 刊)
キャンブックス 「伊豆急50年のあゆみ」 (JTBパブリッシング社 刊)
バスラマインターナショナル No.6 (CD-ROM復刻版) (ぽると出版社 刊)