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「あれっ!? 「とき」 って、181系や183系が使われていたんじゃなかったっけ? 何で485系が・・・」 とお思いの方も多いのではないでしょうか。私も最初、この画像をいただいた時は、183系の0番代だと思っていました。しかし、よく見ると、運転台上にはライトが付いているし、乗務員扉の次位に乗降用扉も無いし、これはまさしく485系です。連結器のカバーは青森運転所 (盛アオ~現在のJR東日本青森車両センター) 特有のものだし、重ね重ね 「485系で 「とき」 なんだ・・・」 と実感出来る1枚だったりします。
 
確かに、 「とき」 は、新潟運転所 (新ニイ~現在のJR東日本新潟車両センター) 所属の181系と183系1000番代が運用に充てられていました。説明するまでもありませんが、485系はイレギュラーで、臨時 「とき」 として運用されていたことが時折あったそうです。
昭和50年3月現在、新潟運転所の181系は128両配置されていて、使用90両に対して、予備が38両もありました。これは雪害による故障を想定しての予備数ということになるのでしょうが、雪害+老朽化によって、満足に使用出来る車両は昭和40年代後半から徐々に減っていきました。そんな181系の救世主として登場したのが耐寒耐雪装備を完備した183系1000番代でした。181系の故障や夏季繁忙や年末年始繁忙における臨時運用、183系が出揃うまでなど、いくつかのイレギュラーで485系が充当されたと考えられますが、485系 「とき」 を扱った文献は殆ど無く、詳しい経緯は分かりません。
 
前述のように、 「とき」 のヘッドマークを掲出している485系は、特徴ある連結器カバーから青森運転所配属の車両であることが判りますが、臨時 「とき」 仕業も念頭に置いて、 「とき」 も用意したと考えられます。また、ボンネットのクハ481による 「とき」 も国鉄時代に実現しています。何年か前に489系を使ったイベント列車が話題になりましたが、国鉄時代には実在していました。
 
では、いつ撮られたものなんでしょうか?
撮影場所は東大宮操車場 (現在のJR東日本大宮車両センター) だと思われます。485系の隣には20系客車がいますけど、左隣に同じ485系の 「つばさ」 が待機しています。この 「つばさ」 は、485系1000番代だと思われますので、昭和51年以降の撮影と考えるのが妥当ではないでしょうか。
青森運転所だと 「はつかり」 「やまびこ」 「ひばり」 「いなほ」 「白鳥」 が担当でしたが (485系1000番代登場前は 「つばさ」 「やまばと」 も青森車が担当していた) 、どの列車の間合いで 「とき」 運用に入っていたのかなぁ~。気になるところです。それと、この編成には食堂車も連結していたわけですが、食堂車も営業していたのでしょうか?
 
【画像提供】
タ様
【参考文献】
JNR EXPRESS 昭和50年代を駆け抜けた国鉄特急・急行列車たち (ネコ・パブリッシング社 刊)