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「どこが 「嗚呼・・国鉄時代」 なんだよっ!! 小田急の車両じゃないかっ!」 と言われそうですが、確かに写っているのは小田急ロマンスカー (7000形 LSE) です。しかし、これは国鉄プロデュースの試験であり、試験に見合う車両が無かったことから小田急の車両を借りた経緯があります。よって、一応これは 「国鉄時代」 とさせていただきます。
 
時は昭和57年暮れ、当時の国鉄では新形特急用車両の開発を行っていました。その際に、今まで通りのボギー台車を用いた車両にするか、はたまた連接台車を採用した車両にするかで迷っておりまして、それならば、と、ボギー車と連接車の比較試験を行うことにしました。しかし、国鉄には連接台車を用いた車両がありません (振り子試験車の591系は昭和55年に、ガスタービン試験車のキハ391系は昭和48年にそれぞれ廃車になっている) 。そこで国鉄は、連接車両を多く持っている小田急に協力を要請、当時最新鋭だった “LSE” 7000形を借りて性能試験を行いました。ボギー車は 「重心の高さや輪重などの数値がLSEと似ている」 ということで183系を起用して、同年12月10日から15日にかけて、大船-来宮間で試験が行われました。
 
試験にあたっては、7002Fが使用され、デハ7002の先頭台車と連接台車の新宿側の車軸を測定軸として、測定器の取り付けは小田急の大野工場で行われました。
実際の試験では、指定した箇所を本則からマイナス5km/hからプラス5km/hまでの速度段で走行する際に、輪重、横圧、振動、変位、騒音などを地上と車内とで測定しました。
 
試験とはいえ、私鉄の車両が国鉄線内を走るということで沿線には多くのヲタが集まりました。
なお、小田急ロマンスカーが国鉄線内を走るのは、昭和32年の3000形 (SE車) 以来のことです。この時は当時の狭軌世界最高速度 (145km/h) を叩き出して、新幹線開発に拍車をかけたことで歴史上でも広く知られていますが、今回のLSE車の試験はあくまでもボギー車との比較検討試験で、国鉄からの要請に小田急が応えたものでした (SE車の時は逆で、小田急側が国鉄に 「線路を貸して」 と要請した) 。
この試験ではある程度のデータを得ることが出来たようですが、連接車両となるとどうしても検査などによって車両を切り離す際にかなりの労力が必要となることから、メンテナンス面でボギー車の方が有利であるのは火を見るより明らか。さらに、当時の国鉄はご存じのように財政事情が末期癌状態で、開発及び新製もままならない状況にあったことから、昭和57年に登場した185系200番代を最後に、国鉄での新形特急用車両は登場しませんでした (新幹線100系も特急用車両っちゃあ特急用車両なんですけど、やはり新幹線と在来線は別物ですので・・・) 。また、民営化後も連接車両は採用されず、通勤形のE331系を除いて、営業用車両で連接車両が登場することはありません。
 
実際にはそうじゃなかったんですけど、この小田急LSEの国鉄線入線にあたっては、別の噂が流れました。それは 「小田急ロマンスカーが国鉄に乗り入れる?」 という噂。勿論、試験ではなくて営業列車として乗り入れるという意味です。
小田急ロマンスカーは都心から箱根へのアクセスをメインにしてるのは皆さんもご存じの事かと思いますが、箱根だけでなく、伊豆方面へのアクセスも容易にしたいというのが小田急にはあったようです。今回のLSE貸し出しも、表向きは試験でしたが、別の見方をすれば 「試験をダシにして、国鉄乗り入れを画策しているのではないか」 という噂が流れたんですね。これに危惧したのか、昭和60年に臨時運用ながら新宿発の 「踊り子」 が運転を開始し、遠回しに (あからさまかもしれませんが) 小田急の国鉄乗り入れを阻止した格好になります。 “タラレバ” ですが、もし小田急車の国鉄乗り入れが実現したとしたら、車両の格好良さやホスピタリティの高さなどで小田急圧勝だったかもしれませんし、数年後に実現する伊豆急 「リゾート21」 もJR線ではなくて小田急線に乗り入れてたかもしれませんね。
 
でも、よく考えてみると、ロマンスカーは営業列車として国鉄線に乗り入れてましたね。忘れちゃなんねぇ、御殿場線内を走る 「あさぎり」 の存在がありました。相互乗り入れではなく、小田急車が一方的に国鉄線に乗り入れるもので、それも御殿場まで。これなら国鉄から小田急流れ込む率が少ないと判断したんでしょうね。さらにこの 「あさぎり」 は急行で、3000形が余生を過ごしていました。NSEやLSEの登場で脇役に転じた3000形、8両編成を5両編成にカットされて、 「SSE (Short Super Express) 車」 となりました。3000形も老朽が進み、 「あさぎり」 の置き換えをLSEでという要望を国鉄側に伝えますが、諸般の事情で実現しませんでした。連接車だと新松田の連絡線をクリア出来なかったからでしょうか。
「あさぎり」 が特急に格上げされ、御殿場線の終点である沼津まで延伸され、さらに相互乗り入れとなったのは民営化後の平成元年のこと。これを機に、小田急では 「RSE」 20000形、JR東海は371系を投入してイメージアップに貢献、沼津延伸も西伊豆へのアクセスがメイン。JR東日本+伊豆急行に真っ向から勝負を挑みました。
 
いつの間にか、 「あさぎり」 の話になってしまいましたが、国鉄と小田急は車両開発の分野で時にはライバルになったり、時には協調関係にあったりと、何だか中途半端ですね。そういえば、国鉄車が箱根 (箱根湯本) まで乗り入れたいという話も昔はありましたね・・・。 「乗客が奪われかねない」 として小田急が強硬に反対したとか。
 
【画像提供】
テック様
【参考文献】
鉄道ファン No.306 (交友社 刊)
名列車列伝シリーズ12 「特急踊り子&JR東日本の新型特急電車」 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (小田急7000形、小田急3000形、国鉄591系電車、国鉄キハ391形ガスタービン動車)