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音譜 ふぁ~ちぃ~じぃちょうどぉ~のぉ~ うぁ~ずさにごぉ~でぇ~・・・」
の一節が強烈な印象として残っている狩人の 「あずさ2号」 。彼らのデビュー曲にして代表曲という面からも、狩人の2人は特急 「あずさ」 を背にして寝られないわけであります。
 
画像の列車が 「あずさ2号」 なのかどうなのかは定かではありませんが、やっぱり 「あずさ」 といえば、 「あずさ2号」 が先ず頭に浮かびます。昭和53年10月改正前は上り下りにかかわらず、運転順から 「1号、2号・・・」 と列車の号数が決められていて、それぞれ 「下り○○1号、上り△△1号」 という呼び方をしていましたが、同改正後は下りが奇数、上りが偶数という 「新幹線方式」 を採用することになって、当時の新宿8時発の列車は 「あずさ3号」 に、肝心の 「あずさ2号」 は上り列車となりました。 「8時ちょうどのぉ~」 とありますけど、 「あずさ2号」 が発表された昭和52年当時は下りも上りも 「あずさ2号」 は8時発だったんですよね。だから 「あずさ2号」 の歌詞に出てくる列車は下りなのかな? 上りなのかな? ただ、歌詞の中に 「春まだ浅い信濃路へ・・」 という文言がありますので、新宿発松本行きの下り列車と考えるのが妥当かなと。
因みに平成27年6月現在は、新宿8時発の列車は 「スーパーあずさ5号」 となっており、 「あずさ2号」 もあるにはありますが、松本発6時08分となっています。しかも東京駅行き。 「はちじちょうどのぉ~すーぱーあずさごごうでぇ~」 語呂が合いませんし、 「スーパーあずさ5号」 じゃ叙情的になりませんね。
 
さて、画像の 「あずさ」 ですが、当時の 「あずさ」 の使用車両は183系と一部媒体で記載されていますが、おそらく皆さんも画像の車両は183系だと思っている方も多いことでしょう。しかし、これは183系ではなく、189系なんですよ。
この頃の 「あずさ」 は、幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) の183系0番代と、長野運転所 (長ナノ~現在のJR東日本長野総合車両センター) の189系を使用していました。 「183系を使っている」 という記述も当たって無くは無いのですが、ここで言う183系はあくまでも幕張の0番代であり、新潟や田町に配置されている1000番代ではありません。ですから、当時の 「あずさ」 には9両編成と12両編成の2タイプがありました。
【幕張183系】
下り2号、4号、5号、9号、10号、上り1号、2号、6号、7号、8号
【長野189系】
下り1号、3号、6号、7号、8号、上り3号、4号、5号、9号、10号
が担当でしたが、グリーン車が1両もしくは2両でその判別はつきます。しかし、時刻表を見ると、グリーン車2両の方は10両編成となっているんですね。私も知らなかったことなんですが、189系は登場当時から12両というわけではなく、昭和50年の運用開始当初は6M4Tの10両編成でした。12両化されるのは53.10改正前の昭和53年9月からです。
 
「あずさ」 に183系1000番代が加わるのは昭和57年11月改正から。上越新幹線開業に伴って 「とき」 が廃止。同時に新潟運転所 (新ニイ~現在のJR東日本新潟車両センター) に配置されていた 「とき」 用の183系1000番代が長野運転所に転属して 「あずさ」 に充当。さらに昭和60年3月の改正では 「踊り子」 が185系に統一されたことによって田町電車区 (南チタ~後のJR東日本田町車両センター) の183系を転属させて 「あずさ」 に充当。これによって189系は 「あずさ」 運用から外れて 「あさま」 「そよかぜ」 に集中することとなりました。
 
今は定期運用を持たず、波動輸送に従事する183系1000番代と189系。老朽化も手伝って次々と引退していきますが、残された車両に対しては、末永い活躍を祈らずにはいられません。
 
【画像提供】
タ様
【参考文献】
鉄道ピクトリアル No.832 (電気車研究会社 刊)
季刊 j-train Vol.11、21 (イカロス出版社 刊)
国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)
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