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中央線の 「特 並みの大きなヘッドマークを掲げていた横浜線。昨今、第四世代 (旧国から数えて) のE233系に統一されたのは記憶に新しいかと思いますが、205系以降は大きなヘッドマークは装着されていません。まぁ、いくらなんでも (京浜東北線と) 間違える人は少ないでしょうというJR側の判断によるものなんでしょうけど、やっぱり横浜線というと、この大きなヘッドマークが今も脳裏にこびり付いています。
 
横浜線に103系が投入されたのは昭和47年10月のダイヤ改正からでした。
京浜東北線の車両を使用したので、スカイブルーそのままで運用を開始。誤乗防止のために、先頭車に 「横浜線」 のヘッドマークを装着しました。これが横浜線ヘッドマークの始まりです。
その2年後には、山手線と京浜東北線のATC計画が始まり、新製のクハを含む冷房車を大量に両線に投入、その玉突きで在来の車両を各線に転配して、山手・京浜東北のATC計画と同時に、旧形国電の置き換えも進められました。横浜線にもウグイスの103系が転入しましたが、塗色は変えなかったので、スカイブルーとウグイスの混色がこの時から見られるようになりました。なお、横浜線の塒は旧形国電時代から東神奈川電車区 (南ヒナ) だったんですが、103系は蒲田電車区 (南カマ) 所属でした。投入当初は京浜東北線の車両を使っていたため (転配というよりも、事実上の共通運用と考えて差し支えないかと思います) 、必然的に蒲田の車両となるのですが、山手線から転入してきた車両については、 「横浜線専用」 として、京浜東北・根岸線には使用されませんでした。その後、東神奈川電車区にも103系が投入されまして、蒲田と東神奈川の両区で横浜線を受け持っていました。
 
横浜線の103系を振り替える時、避けて通れないのが阪和線の存在。縁が無いように思えて、意外に切っても切れない関係にあります。
関西地区の103系は当初、クモハ入りの編成を転入させない方針でした。どういう理由かはよく解りませんが、阪和線の103系は Tc103-M103-M'102-M103-M'102-Tc103 という編成で、関西地区に初めてお目見えした103系としても知られています。しかも新製車両をそのまま投入したことでも知られております。昭和50年代に入って、初めて京浜東北線からの車両を阪和線に転属させるのですが、クモハを転属させない措置から、横浜線で運用していた両端クハの編成を片方、クモハに差し替えてクハを捻出、こうして両端クハの6両を阪和線に転属させました。また、昭和53年には紀勢本線電化に絡む転配で、京浜東北線のクモハ入り車両が横浜線に回されましたが、この時の転配車両が冷房改造車だったため、横浜線初の冷房車となりました。
 
この段階で横浜線にはまだ旧形国電が残っていたのですが、これを一掃するため、さらに転配が続けられますが、今度は仙石線や片町線の新性能化が絡みまして、仙石線や片町線に関しては、クモハの編成を投入することになり、まずATCクハを先頭にした新車を京浜東北線に投入し、在来の編成をこの両線に持って行けば話は早いのですが、クモハが絡むことから、横浜線のクモハ入り編成を差し替えて、横浜線は両端クハの7両で統一されることになり、ここで捻出したクモハ入りの編成を陸前原ノ町電車区 (仙リハ~現在のJR東日本仙台車両センター宮城野派出所) や淀川電車区 (大ヨト) に転属させました。関西地区にとっては初めてのクモハ103ということになります。
一方、横浜線の新性能化ですが、山手線に新車を投入して、余剰となった車両を横浜線に持って行くというフローでしたが、この時初めてATCクハが転配されてきました。これは横浜線の列車が根岸線の磯子まで直通運転することに起因するもので、根岸線もATC化する関係上、乗り入れる横浜線の車両もATC付きでなければ・・ということから、クハを差し替えることになりました。また、クハ103の早期落成車がオレンジに塗られて中央線快速に投入されていましたが、これらは後々全てが横浜線に転属。オレンジのATCクハは国鉄時代においてはかなり貴重な姿となりました。
 
昭和56年には東神奈川電車区の廃止によって、同区に所属していた103系は再び蒲田電車区の配属となっています。今も東神奈川電車区は残存していますが、乗務員のみが配置される現業機関であり、車両は無配置。かつての車両収容線は電留線となっていて、横浜線の車両や東神奈川折り返しの京浜東北線の車両が一時の休憩を取っています。
いつ頃からなのかはよく分かっていないのですが、いつの間にか横浜線のラインカラーは山手線と同じウグイスになり、これは後々の205系やE233系も継承しておりますが、103系末期までスカイブルーとの混色は見られました。
 
さて、画像ですが、こちらはウグイスで統一された編成で、両端のクハ以外は非冷房車です。ここで問題ですが、この編成の場合、クハの冷房は作動するのでしょうか?
答えは 「×」 。103系に限らず、国鉄電車が冷房を作動させるには専用の電源 (電動発電機~MG) が必要になります。クハはもとより、非冷房車のモハにはMGが装備されていないので、これだけでは冷房は作動しません。クハには冷房作動スイッチがあるのですが、せっかく冷房車に乗ったのに、冷房が動かないなんて詐欺じゃないかと怒る人もいたかもしれませんね。CDプレイヤーを買ったけど、アンプがなければ作動しないですよと一緒です。逆に、中間は冷房車で先頭が非冷房という編成もありましたが、こちらも作動するかしないかと聞かれれば、 「作動しない」 となります。こちらの答えは単純で、非冷房のクハには冷房作動スイッチが無いから。冷房化を見越して、先にスイッチだけ付けたという例もあります。この場合は作動します。
 
そういえば、私が最初にNゲージの103系 (トミックスの初代製品) を買った時、最初はスカイブルーに統一するつもりでした。しかし、クハが1両しか在庫が無くて、やむを得ず片方のクハをカトーの非冷房クハ、しかもウグイスにすることで不本意ながら一応の決着を見ました。結果、混色となって、行く先シールに附属している 「横浜線」 のヘッドマークシールを貼り付けました。その後、カトーのクハはトミックスに置き換わりましたが、スカイブルーではなくてウグイスで置き換えました。さらにモハユニットとサハを買い足して7両になり、これで文句なし (?) の “横浜線仕様” となったのですが、モハはウグイス、サハはスカイブルーとして、混色編成を楽しみました。
 
横浜線の103系は1989年まで運行され、205系にバトンタッチして運用を終了します。働き場所を失った103系は、南武線、総武・中央緩行線、埼京線、武蔵野線、常磐線快速などに転配され、あるものは101系を置き換える目的で、あるものは初期の103系を置き換える目的で、それぞれ第二の働き場所に散っていきました。
 
【画像提供】
ウ様
【参考文献】
キャンブックス 「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (東神奈川電車区、淀川電車区、仙台車両センター宮城野派出所)