本日2度目のバスネタ更新です。
元々、修学旅行の時に乗った観光バスがきっかけでバスにハマるようになった私ですが、大学入学時にしのこおさんと知り合ってバスの写真を撮るようになり、その後、「バスジャパン」「バスメディア」などの雑誌を購入して、バスの型番などを覚えていきました。
90年代に入ると、「バスラマインターナショナル」が創刊され、バスの知識がより一層深くなりました(のような気がする)が、いつぞや申しましたように、規制緩和でバス事業への参入が相次いだことと、業界再編などによって、次第に飽きが生じてきて、気がついたら写真は撮らなくなり、雑誌も殆ど売却したりして、バスの世界から完全に遠ざかりました。
 
このブログを始めるようになって再びバスを撮るようになり、新旧織り交ぜて(昔は新型しか撮らなかった)紹介するようになりましたが、前述のように、資料価値の高い雑誌は殆ど処分してしまったので、今はインターネットなどで手がかりを摑んでいるのが現状であります。
 
ただ、下記の雑誌だけは何故か処分されることなく、今でも我が家に残存しておりますが、今回はそんな話題です。
 
イメージ 1
 
年に1回、音響メーカーのクラリオンから発刊されていた(発刊されている?)バスの本、一応「クラリオン バス機器ニュース」の別冊扱いで売っておりました。
最初はイメージ写真やイラストが表紙を飾っていましたが、1989年の第14号からその年の「クラリオンガール」が表紙を飾るようになりましが、その第1号が第16代クラリオンガールのかとうれいこ氏でした。因みに第15号は持っていないんですが、多分第17代の上田祥子氏が表紙を飾ったんでしょう。
画像の上段左側からかとうれいこ(第14号)、第18代の大河内志保(第16号)、第20代の高田美佐(第18号)、そして右端が第22代の泉尚子(現、湶尚子~第20号)という顔ぶれです。欠落している号では立河宜子や原千晶などが表紙を飾ってると思われます。
話をバスに戻しましょう。
 
イメージ 2
 
今回は1987年に発刊された第12号「THE HIGHWAY BUS」の一部をアーカイブス的に紹介します。思いっきり懐かしんで下さい。
 
この頃になると全国に高速道路網が発達して、各地で高速バスが開業しますが、何処も全線開通という状態ではなく、一部高速経由も「高速バス」としての概念に入れられており、中にはオール一般道経由のいわゆる “長距離バス” も高速バスとして扱われています。それだけ完璧な状態ではなかったことが読み取れます。
 
この頃の北海道はそれこそ一部分しか高速道路が開通しておらず(札樽自動車道と道央自動車道だけじゃなかったか?)、大部分が一般道経由という状況。そんな中での「スターライト釧路号」は当時の北海道のバスのスター的存在でしたね。
今や絶滅危惧種に指定されている日野の二階建てバス「グランビュー」もこの頃は高速バスにも使われてたりして、まさに全盛期。ここでも掲載されているように結構北海道に多く生息していました。中でも画像左下の道南バスのグランビューはまさに「かっくいいっ!」の一言に尽きます。
それと北都交通のエアロバスは現在の「オーロラ号」の原型。後ろに控えるのはMS5とか6系ばかりなので、エアロバスは真新しい新車であることが窺えます。この写真を見てしのこおさんは股間が熱くなったと言っていました。
 
イメージ 3
 
撮影の仕方がヘッタクソで申し訳ありません。
当時の新星である「ノクターン」号の初代専用車が掲載されています。その下の日野ブルーリボン(ミドルデッカ-でしょうか?)も新しいバスに変わりはないんですが、それでもスーパーエアロの存在感は抜きん出ています。隣の下北交通のふそうはB8系でしょうか? 最新のスーパーエアロと並んで掲載されてしまえば、このB8も肩身の狭いこと。
 
イメージ 4
 
この頁で際立っているのが名鉄のスーパーエアロタイプⅡと名阪近鉄高速バスのグランデッカ、そして日本急行バスのスーパーエアロタイプⅠです。この頃、グランデッカの高速バス投入はそれこそ「ノクターン」での導入実績がありますが、昼行便では比較的珍しかったと思います。
日急のSAⅠはもはね用語で言うところの「タケコプター」とリヤスポイラー付きのいかにも「名古屋系」バスの見本となるような典型的なスタイル。固定窓で折り戸なんてイカすバスじゃありませんか。写真の角度のせいか、なんか車長が短いN尺にも見えなくもありませんね。まぁ、スーパーエアロに限って、N尺はありえないんだけど。
 
イメージ 5
 
いきなりすっ飛んで九州エリアのバスを紹介します。
ここで目に止まるのは、何と言っても現在の夜行高速バスのスタイルを築き上げた立役者「ムーンライト号」。今は懐かしい西工58MCボディを架装しています(シャシーはMS725?)。
この頃は西鉄と阪急で同一仕様車を所有していましたが、90年代に入ると、それぞれの会社で共通運用できる車を導入することになり、今は阪急も西鉄もそれぞれオリジナルの車を運行に充てています。
祐徳バスのエアロはスタンダードデッカーですが、ハロゲンの角目2灯(スタンダードデッカーでは角目2灯はオプションで装着可能)を装着しています。
 
イメージ 6
 
最後は分社化される前、鉄道会社直系だった頃のJRバスです。
エアロクィーン・Wがまだ「ドリーム号」専用で、最新鋭だった頃です。名神ハイウェイバスに充当されていたスペースウィングは昼行便で運用されていました。「今日の1枚・100」でもお伝えしましたが、この時も東京・大阪は三菱、名古屋は日産ディーゼルという導入図式は変わっておりませんでしたが、スペースウィングが東京にやって来ることはありませんでした。あくまでも名神(北陸)用だったんですね。
エアロクィーンやスペースウィングも注目ですが、面白いのは広島エリア(現、中国JRバス)のエアロバス。スタンダードデッカーで旧国鉄バスのカラーを纏っています。
あと、JR九州もこの時はまだJRバスカラーを纏っていますが、このエアロバスはハイデッカーなのに何と丸目4灯を採用しています。
 
駆け足で23年前の高速バスの状況をお伝えしましたが如何でしたでしょうか?
この頃は貸切用を転用して路線に充てていたケースが殆どで、今のように最初から高速路線に充当するためのグレードはありませんでしたが、それでも普通の路線用とは格段に違うグレードで人気を集めていったんですね。
 
次回はいつになるか分かりませんが、また機会があったら紹介したいと思います。