夏がまだ少しだけいるなと、
日本に帰って来て嬉しく思います。
身体に慣れたこの空気の湿り気が、
肌や呼吸になじみ心地よく感じます。
ここらでニューヨークのことでも書こうかと
改めてパソコンに向うと、
アレやコレやのシチュエーションが、
(例えばモグラ叩きゲームみたいに)
気まぐれにピョコピョコと頭を出してきて、
なかなか焦点が定まらず、
時間ばかり経ってしまいます。
私にとって考えを言葉、
文章にするって大変な作業です。
さらにたったの一週間の滞在で、
たいそうな体験をしたような、
そんな感じにしたくないと思っているのですが、
頭で書いていくと
ツマラナクなってしまいそうなので(笑)
心が感じたまま、
そのままを書いていこうと思います。
モグラNo.1
「一日が終わりに近づこうとしていたあの時。」
✳︎
夕食後に、
近所のデリへコーヒーでも買いに行こうと、
街を歩いていたその時のこと。
この日にやり残したことは、
簡単なメッセージのやり取り、
ブログと、お風呂くらい。
だから気は楽で、
歩けば暖かくて、
チェルシーの街はオレンジ色でした。
そんな楽しくて、
別れがたい気持ちで歩いていたあの時、
旅の思い出というものは、
こんな何の変哲もない空間にあったりするもの。
「ヨガの先生になって良かった」
と、突然ずしっと降ってきたこと。
それを言葉にしたら、
生まれた時から「ここ」にもっている
私らしさというものが、
キルタンをしている時のように
手放しに開いていって。
胸の真ん中から、
暖かく広がっていったように思います。
なんだこれだったのかと、
思わず立ち止まってしまうほどの納得。
ずっとこれを求めていたのねという気持ち。
今かよ!という楽しさ。
その場と開いた私達と、
繋がるチューニングがあって。
思わず足取りが軽くなるような
幸せな時間でした。
✳︎
『たくさんの職業があるなかで、なぜヨガの先生をやるのかと自分に問い続けなさい。』
私の職業としてのヨガの先生なんて、
吹けば飛んでしまうようなもの。
会社の名前も、安定も、
保証も、所属もなんにもない不安定さ。
けれど自分を救い癒す術を学んでいく過程が、
結局そのまま仕事というものにも
結びついているということ。
経験から得たものが
自分だけの範囲で終わらず、
そこから溢れ出るものを
誰かに渡せるかもしれない可能性の多さ。
小さな頃からずっと疑問に思っていたこと、
自分が必要としていることを
好きなだけ学べる楽しさ。
誰かのためではない、
そんなものに一生をかけて出会えた。
ヨガ、私を見つけてくれてありがとう。
なぜこんな閃きに繋がったかというと、
この日の朝のベッドの中で、
私が経験したことがきっかけになっています。
モグラNo.2へつづく。