今度はキレる大人!!?(怖) | 本橋ユウコの部屋

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昨日書いた記事の関連?で。

ゆうべのNHK「クローズアップ現代」という番組では、少し前まで”キレる”といえば若者の話だったけど、最近、どうもそれが大人の方に増えてきたらしい…というのを見ました。

しかも、特徴として「街や電車の中で、マナー違反を”注意した側”(される側でなく)がキレるケースが目立つ」とのこと。へぇぇ~?なんで??

その中でスゴイ事例が何件かありましたので、ウケ狙いではなく発表。。

‥甜屬涼罎妊院璽織い鬚靴討深磴そ?了劼法崚甜屬涼罎妊院璽織い垢襪福廚斑躇佞靴燭っさん。女の子がムスッとして電話をしまおうとすると、いきなり「…おいっ!何だその態度は!!?(怒りに震え)お前のようなやつがいるから世の中が悪くなるんだ!みんな迷惑してるんだ!!(スゴイ大声)」と逆上。あげくに女の子が降りようとした時、背後からホームへ突き飛ばした。

∈みあってる病院で診察を待ってた40前後の男性。順番が来て診察室に入るや否や、「てんめぇぇぇ!いつまで待たせるんだよぉぉっ!!!?」と逆上して医者に襲いかかった。病院おおさわぎ。
…医者ネタではもっとスゴイのがありました。
なんと、「看護師が注射しようとしたら、いきなり患者に腕をかまれた」(愕)という。。
噛まれたって…。そ、それはもうキレるとかのレベルの問題じゃないのでは…?!(ビクビク。汗)


で、番組中に実際に「キレる」症状を治療中の人が出てきたんですけど、意外にもおとなしめな人で。
それがある時、自分でもどうにも抑えられなくなって爆発するようになってしまったんだって。

この人(若い主婦)の事例
F擦鯤發い討童紊蹐ら自転車でベル鳴らされた。とたん、「…こんなに遠慮して道の端っこを歩いてる私に…なによぉ!!(半泣き)」と、自転車のおっさん相手に逆上。
他にも駅の改札で駅員に怒鳴り散らしたり、普段はむしろ控えめな自分が全く制御できなくなるそうで。

なるほど、見た感じこれは「病んでいる」といって良さそうです。(失礼があったらゴメンなさい)


昨日のテレビで最も衝撃的だったのは、この、ごく平均的な人を突然攻撃的にさせる脳の仕組みが、あの「鬱」とどうやら同じものらしい、ということです。

え~!?だって、ウツと言えば、みんなグッタリして元気が無くなってしまう物だと思ってますよね?
でも、マウスを使った実験では、脳中のある物質を減らしたマウスは本当に凶暴になって隣のマウスに襲い掛かり、しかもその凶暴さが全く制御できなかった。えんえんとケンカしっぱなし。
その、ある物質ってのが、「鬱」の時にも異常な減少が見られる物質だったんです!(セロトニン)


とりあえず結論から述べてしまうと。
これら全て、過大な「ストレス」がもたらしている症状らしい。

´△呂錣らんけど、の人は、心理状態がおかしくなり出した”きっかけ”がわかっているそうです。
・結婚して、出産を機に東京の夫の実家で同居することになった。
急にまわりの環境が激変したのと、育児疲れから、心身ともに疲れていたんですね。

…思うに、この人はいっつもまわりに気を使って、自分を抑えて、緊張してたんでしょう。。

最終的にはダンナに治療を勧められて入院、みたいな感じだったから、家でもダンナには暴れてたんだろうしね。(逆に言うとダンナにしかキレられない状態だった)


人間は過度なストレスにさらされると、自分よりもさらに弱い者を不安や恐怖に陥れて、それを見ることで自らの精神の均衡を保とうとする…そういう困った生き物なんだそうです。
キレるのは、そうやって自分の身を守ろうとする本能的な防御行動であると考えられる。

上司は部下に。先生は生徒に。男は女に(逆も?)。親は子どもに。子どもはもっと弱い動物に…。


まるで「ストレス食物連鎖」ですな。。

つまり、殺伐たる”野生の世界”です。
野生の世界では、力の強さしかない。弱いもの、未熟だったり、孤立したものは食べられるしかない。
しかし動物達には、そんな過酷な世界の中でも子孫を残して行く仕組みがちゃんとある。

でも、人間同士には、そういうのってまだ無い。

少しでもストレスの少ない社会を目指す努力は当然なのだろうけど、それ以前に。
「個人」「自由」「責任」…それら近代的自意識の産物に、まだまだ折り合いを付けられていない。
特に日本人は、そう見えます。「個人」としてちゃんと大人になれない。

孤独に適応し、自分のことを冷静に客観的に分析でき、その結果に自分でちゃんと対処ができる、それが本来の”大人”の定義であったはずですが…。そんな人滅多に見かけませんね。。
何でもかんでも「若い方が価値がある」と思ってて、若さ=幼さ、になってるようなこの国では。


かつて、同じく”近代の病”に苦しんだ芥川龍之介は、心の師と仰いでいた夏目漱石先生の、年齢を重ねて恬淡とした姿に深く驚異の念を抱いていたそうです。
先生のように、あれほど鋭い感受性を持ちながら、どうしてこのような(明治~大正)殺伐とした時代にあって、心の静謐さを保てるのか…?それは理性なのか、別の何かなのか?

芥川は日本や東洋の古典を扱っても、そこに西洋近代文明の論理と知性を持ち込んでしまう人だったから、その理性に行き詰った時、自ら命を絶ってしまわざるを得ませんでした。
彼には、答えが見つけられなかった。

果たして、長い時を隔てた我々はどうでしょう?
彼らの時代より、賢くなれているでしょうか?成熟に近づいている?


残念ながらとてもそんな気はしませんね。。


唯一、芥川が身悶えする思いで憧れたという、夏目漱石の晩年の、精神の静けさ。
どっちが午前だったか午後だったかは忘れましたが。
「一日の半分は近代的な小説の執筆に、残りの半分は古い漢文の本を読んで過ごしていた」
というあたりの先生の態度に、何やらヒントが隠されているような気が、私はするんですが…。

これって、ただの気のせいですかね?(古いものが何でもいいと言ってる訳じゃないし)




…しかし、大人になるのも楽じゃない。。