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夜中の1時、妻の悲鳴で目が覚めました。

およそ1ヶ月前のある晩のことです。
赤リッリは突然の母の異変に泣き、私は動転しました。

右肩を押さえ、激痛に苦しむ妻。

どうしよう…

こういうときに一家の主がうろたえてはいけません。
まずは119番に電話します。
自分でも感心するほど淡々と項目に答えてゆきます。
「火事ですか、救急ですか?」
「救急です」
「どうされました?」
「妻が右肩を脱臼しました」


チビ赤に布団をかけなおそうとしたとき、予想以上にうちの布団が重く肩に負荷がかかり、その結果右肩を外してしまったのです。
脱臼というと“なあに、またはめりゃ治るんでしょ?”と骨折に比べて軽く考えられがちですが、骨折は一度折ったところが再度折れるということはない(らしい)。しかし脱臼、とくに妻のように何度も外している場合、またいつ外れるのかという恐怖で通常の生活を送ることが困難になります。

たとえば改札でポケットから定期を出して機械を通過する動作、日常の着替え、子どもと手をつないで歩くこと。普通の人ではなんでもない動作に常に恐怖が伴います。
また、外れたときは息ができないくらい、腕をもぎ取られるくらいの痛さが襲います。これは私もスキーで転倒して外したことがあるので、その激痛は良く知っています。

間もなく救急車が来ることを妻に伝えて安心させます。そして「ママ~!」と泣くチビ赤を台所に連れてゆきました。
「ちょっと聞いてくれ。お母さんが肩を怪我した。お父さんがいま救急車を呼んだ。いまからお母さんを病院に連れて行き、お母さんを助ける」

子どもに説明をするときにはしっかりと目を見て短い文章で説明することが肝心です。
「お父さんと一緒にお母さんを病院に連れて行こう」
涙と鼻水を拭いたチビ赤が

「よち!ママをびょういんにつれてってたすけるじょ!」

と半泣きの状態まで落ち着いて真剣な顔をして、支度を始めました。いつも背負っているPUMAのリュック(本人はランドセルと呼んでいる)の中にお菓子、オムツ(現在トレーニング中)おしり拭きなどをいれて着々と準備し、家族の靴を履きやすいように並べます。

三歳児の頭で考える“危機管理”としては十分すぎると思います。またひとつひとつの動作が終わるたび、不安で萎縮しないようにするためか「よち!」という元気な掛け声をかけています。
間もなく救急車が到着し、隊員の方々を誘導しました。
脱臼すると歩行のわずかな振動でも激しく痛むので救急隊員を私で支えながら救急車に乗せました。

過去に外したときに、はめるのが上手な医師がいない救急病院に連れて行かれ四苦八苦のすえ無理矢理はめたことがあるため、今回は過去の経緯と希望を救急隊員の方と相談して、少々遠くても整形外科の専門医が現在いる病院を選んでもらうようにしました。
意外と近くに専門医がいる救急病院が見つかりました。

明け方には肩は元の位置に納まり、無事に帰宅しました。
妻は何度も申し訳ないとあやまりましたが、

何かあったときに団結して助け合うのが家族のあるべき姿

と私は信じています。もう一度チビ赤を抱き寄せて「おまえが頑張ったからお母さんは助かった」とほめてやると、朝の6時頃にようやく満足げに寝息をたてはじめました。

その日私は会社を休み、チビ赤も保育園を休ませました。

「ここらできちんと手術で治したらどうか」

私は妻に提案し、妻も今後のことを考えて決断しました。

3回の検査でレントゲン、CT、MRIによって肩の損傷を細かく調べた結果、妻の右肩は関節の“球”を支える土手の部分が削れているため、肩の関節は前方に外れやすい状態。
いわゆる関節鏡手術という比較的ダメージの少ない手術で肩の状態を見て、肩関節の受け皿があまりにも減っている場合は烏口突起という骨を移植するという段階を取るそうです。

5月27日~入院、28日に全身麻酔で手術。
経過がよければ1週間で退院ですので、その間は私が時短勤務でチビの送り迎え等々に対応します。

入院中は家事、育児、仕事から解放されて治療に専念して欲しい。
チビ赤と一週間の二人の生活が始まります。

息子とふたりで:特別編

いよいよスタートです(なにを大げさな…)