「硫黄島からの手紙」
硫黄島の戦い 1945年2月16日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍の間に生じた戦闘である。1945年2月19日にアメリカ海兵隊の上陸が開始され、3月26日に日本軍の組織的戦闘は終結した。日本軍は20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死した。アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であった。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』4日の朝一番の回で一人で見たのですが、ホールはガラガラ。高齢の方がちらほら。普段は映画館に足を運ばない方も「この映画だけは見ておきたい」と言う気になったのかも。観始めてまず驚いたのは、日本人をちゃんと描いてることです。アメリカ人が作り上げた日本人像ではなく、当時の日本人が持っていたであろう心情やものの考え方が、違和感なく描かれています。少なくとも戦後のアメリカに洗脳されギブミーチョコレート脳になってしまった日本人が作るTVドラマや映画よりも、あの戦争で戦った日本人の心情を描けているように感じました。ただあえて苦言を言わせてもらえるならば、ディテールの描写不足には大いに不満です。室温が60℃にもなる地下壕は灼熱の地獄であったと言いますが、その辺はまったく描かれていません。星条旗が立てられた摺鉢山の頂上に突き出ていたパイプは、日本軍の生命線である貯水槽のパイプであったという皮肉な事実も削除。坑道の入口をブルドーザーで塞ぎ、削岩機で上部に穴を開けガソリンを流し込んで火を投じる攻撃・・・「馬乗り攻撃」と恐れられたその攻撃は、さながら害虫駆除のようだったといいます。これはさすがにグロテスクすぎて映像には出来なかったのでしょうね。米軍は硫黄島占領の直後から、爆撃機の滑走路建設に取り掛かりましたが、その際一万数千人の日本人はまだ息がある人も含めてそのまま滑走路の下敷きにしてしまいました。(余談ですが、戦後米軍が退去して今は自衛隊の基地となっていますが、遺体は今もなお弔われることもなく滑走路の下に眠っています。)この映画は史実を元にしたフィクションだと言うことは忘れてはいけないと思います。監督自身も「この映画を手がけたのは、戦争が与える影響を描きたかったからで、戦争映画だとは思って欲しくない。」と言ってますし。自分の愛する者のために、たとえそれが時間稼ぎでしかなかったとしても、持てる全ての力を出し尽くした男たちのドラマとしても見れるし、戦争の悲惨さ、残酷さを描いたものであるとも言えるし、アメリカ人から見れば、硫黄島で米軍に辛酸を舐めさせた日本兵がどんな人間だったのかという、検証ドラマの意味合いもあるように思えました。渡辺謙が演じる栗林中将と二宮君演じる西郷と加瀬亮演じる元憲兵清水が手紙を書くシーンが頻繁に出てきます。それぞれ家族に向けて手紙を書くわけですが、当然届くはずが無いと思って書いてるわけです。その悲壮感はたぶんアメリカ人には理解しがたい心情だと思うのですが、クリント監督は実に見事に描いてます。二宮君演じる西郷は「逃げたい」「帰りたい」「もう嫌だ」と、文句タラタラキャラですが、実際召集令状で狩り出された一般人は皆そんな気持ちだったと思います。でもラストで、戦っても仕方ないのに米兵相手に挑みかかる姿に号泣。加瀬亮演じる元憲兵清水には、心情の変化する様や死に際に言いようのない哀しさがあって、もうぐっちゃぐっちゃに泣かされました。伊原剛演じるバロン西こと西竹一・・・最後は自決やったんか?う~ん・・・中村獅童演じる伊藤中尉に現代の日本人の姿を見ました。我々は伊藤の末裔なんだろうな・・・硫黄島の陥落の数ヵ月後、硫黄島から発進したB29の爆撃により東京、大阪、名古屋は壊滅しました。見終わった後は、泣きすぎて目が腫れて席を立てませんでした。硫黄島の戦いについて、もうちょっと書籍や資料を読んでから、もう一度見てみたいと思います。