家にはペットはいないが、俺は犬が大好き。


だけど、子供の頃に飼ったきり、もう50年、飼っていない。


俺が子供の頃(昭和30年〜40年代)、家の近所には空き地や田んぼが多く、そこに捨てられる犬が結構いた。


子供にとって子犬は絶好の遊び相手で、おやつを分けてやったり、川ですくったナマズやザリガニを与えたりして、かわいがっているつもりでいた。


そして子犬たちは数日のうちに見当たらなくなる。


ペットに去勢手術をする飼い主は、当時聞いたことがなかったし、存在しなかった。


生まれてしまった子犬は、市が運営する譲渡会に持っていくか、里子に出すか、捨てるか、自分たちで処分するかだった。


親に命じられ、袋詰された子犬たちを、橋の真ん中で落としたと言う友達もいた。


捨てられた子犬に住み着かれては困る大人が、別の場所に捨て直すか、最終処分してしまうのだろう。






その子犬は、可愛らしい顔をしていた。


当時流行っていた、スピッツが混じった雑種だった。


いつも、新手の子犬の捨て犬を見つけると、犬を飼いたい子どもたちは親にねだる。


俺もこの子犬に関しては、いつも以上におねだりのトーンは強めだったと思う。


犬の世話は絶対にするとか、親の言いつけは全部守るとか、その瞬間だけは本気でそう思って言っている。


その時だけの調子の良い嘘だと、あとになって息子を責めるのは、親としていかがなものかと、今ならそう思う。


その時、子供は真剣に、全霊を込めて親に訴えているのだから。


俺の渾身の願いは叶えられた。


俺は子犬を「コロ」と名付け溺愛した。


その数カ月後、父が会社を辞めてひとりで鉄工所経営を始めた。


ずいぶんあとになってから聞いた話では、会社の組織替えで、自分の助手のように育てた男を、自分とは別の部署に配属されたことで、ブチギレてその日のうちに辞表を叩きつけたそうだ。


それで妻と小学3年生を筆頭に3人の子供を路頭に迷わせたわけだ。


父が会社を辞めたと聞いたとき、最初に思ったのは、「幻燈機(スライド映写機)はあきらめないといかんかも」だった。


「小3の誕生日プレゼントは幻燈機」は、1年以上前からの俺の願い事だった。


その夏、親は家族でキャンプする計画を立てた。


車で2時間以上かけて、コロと一緒に移動した。


まだエアコンなどというものが普及する以前である。


汗だくの5人と犬一匹。


降ろしてくれと、もがくコロを毛まみれになって抑えていた。


初めての日本海の波は、瀬戸内海の穏やかな物とは大違いで、高くて激しくて正直怖気づいた。


小学校から借りてきたテントは、学校名が大きくプリントされた帆布製の巨大な物だった。


キャンプ場と父は言っていたが、トイレも水場も無い、ただの砂浜なのである。


すぐ近くに学校があり、水道水はそこで汲める。


トイレもあるが、とっさに使える距離では無いので、草むらに穴を掘った。


コロに災難があった。


まとわりつくハチを追い払ったのだろうか、鼻っ面を刺されてパンパンに腫れ上がってしまっていた。


日が暮れて、毛布に身体を包んで寝ようとしていたら、誰かがテントの外から声をかけてきた。


警察官だった。


見知らぬ人達が、砂浜で寝泊まりしようとしている、と言う通報があったらしい。


まだそんな時代だったのである。


早朝、あまりの寒さで目が覚める。


持ってきた布や衣服を全部身に纏ってもしのげない寒さだった。


真夏とはいえ、砂浜の寒さを舐めてはいけないと思い知った。


夏が終わり、冬になると、コロもみるみる成長し、もはや子犬の外見ではなくなり、あれほど愛した気持ちもやや緩んでいた。


散歩が面倒くさくなって、自分から連れて行かなくなった。


親にうるさく言われてしぶしぶ連れて行く感じである。


コロを飼いだして1年過ぎたあたりのことである。


学校から帰ってきたら、誰も居ない。


コロもいないので、母がどこかに連れ出したのだろうと思っていた。


しばらくして母は車で戻ってきたが、そこにコロはいない。


「わんわんセンター」に連れて行った、と言うのである。


「わんわんセンター」とは、市が運営する犬や猫などのペットの譲渡場である。


引き取り手がいなければ処分される場所である。


母は、お前が嘘をついて犬の世話をしなくなったからだと、俺を責めた。


俺は号泣して親を恨み倒した。


今思えば、口減らしだったのかもしれない。


その1年ほど後に、親は、自分たちが殺した(と俺が思っている)犬と、良く似た犬を見つけてきて、買ってもいいと家に連れてきた。


親の身勝手に反抗してみたが、犬は可愛くて、すぐに親の作戦にハマってしまった。


その犬は家にやってきた時点で一歳を超えていた。


親が牛乳配達をやっていた頃、とある企業の団地周辺をウロチョロしていて、親や団地の子どもたちに媚を売ったりして生き延びてきたらしい。


野良犬だが、毛艶も良くて、痩せてもおらず、食生活は劣悪ではないように見えた。


家で飼い始めてすぐの頃、散歩の最中に、雀に飛びついて一瞬で羽根ごと食い尽くしたさまを間近で見ることになる。


当時小学6年生だった俺は凍りついた。


思わず、鎖でしばき倒した。


しかし、その後冷静になって考えてみたら、野良犬一匹、生きていこうと思ったら、それくらいやるよなぁと。


当然のように「コロ」と名付けたその犬は、時々首輪を抜け出して逃走し、数日の後、汚物の匂いにまみれて、申し訳無さげに頭を低くして、ちゃっかり家に帰ってきた。


近所のヤクザが飼っていた黒い土佐犬は、昼間は放し飼いで、コロは毎年孕まされて子犬を産んでいた。


子犬は一匹ずつ里子に出して、引き取り手のない子犬は、申し訳ないが市の「わんわんセンター」に持っていった。


コロは18年家にいて、ある冬の大晦日近くの夜、旅立った。


家に来たときはすでに1年以上野良だったので、二十歳ほどだったと思う。


2匹のコロよ、俺と暮らして幸せでしたか?


あの世で俺を待っていてくれますか?


数日前、ヨメと、ショッピングセンターにあるペットショップに入ってみた。


犬を飼えないだろうかと言うと、最後、家に残るのは、どう考えても私一人だけど、私には犬を飼うのは無理だ、と言う。


犬が苦手だというヨメにそう言われては、仕方がない。


犬が好きな人でも、最後まで看取るのは大変な事だもの。


物言わぬ、多肉植物たちと過ごすことにしよう。