雨の日は体が重く感じて動けなくなる。

今日は仕事をする予定だったが、朝目覚めても、身体を起こすことが出来ない。


昼前になんとか起きて、スープとバナナを食べる。

ヨメも起きてきて、昼食をどうするか聞いてきた。

パンを焼いて食べると伝える。

ヨメはレトルトカレーを温めて食べていた。

カレーの香りは食欲を刺激した。

添加物だらけのカレーは食べないことにしているので、ヨメは俺の分は用意しない。


定期購買している無添加カレーは現在底をついていて、次の配送がされるまで我慢するしかない。


冷凍庫にラップでくるんでいる、カットしたバケットを2枚取り出して、IHヒーターの魚焼きレンジで焼く。

トースターは調子が悪くて、熱が上がらなくなっているのだ。

焼いたバケットにバターを塗り、コーヒーとともに食べた。

あんまり美味しくない。

全粒粉100%の硬いパンを5種類まとめ買いセットでamazonで購入したのだが、次は無いと思う。


食べている間中、体がだるくて口を動かすのも鬱陶しい。


気がつくと、既に午後2時を回っていた。


今日やるべきことはいくつかあったけど、「もう今さら」と言う気がして、会社にメールで休むことを伝えた。


副反応が強めの時期に雨が降ると、概ねこのような体調になる。


そういえば去年の梅雨の時期も、月に7日程しか仕事ができないくらい体調が悪かった。


また同じような、辛い日々がやって来るのかな。


そして、もうすぐ、この病が見つかってから1年になる。


以下、振り返り。


2022年の7月3日、香美町のトレイルレースの真最中に起こった、左の肋骨最下部の激痛が最初の自覚症状だった。


その年の11月16日の夜明け前に2度目の激痛。


3日後に、埼玉県で行われる、100kmのトレイルレースに出場する直前だった。


ネットで検索して、「膵臓」を疑い、選んだ病院が、小さな、老医師がひとりでやっている泌尿器科だった。


エコー検査で「異常無し」と言われ、むしろ前立腺が肥大してるから注意しろと言われて退散。


その後、整形外科で痛み止めを貰って帰宅。


痛みの原因が分からぬまま、トレイルレースに出た。


腹痛はレース中、痛み止めを飲んでも効かなくなる。


痛みで体はネジ曲がった。


関門をタイムオーバーで突破できず、70km程でレース終了。


レース終了後、腹痛は消えることなく、いつまでも宿った。


慢性胃炎持ちだったことを思い出し、胃腸外科に通うことにする。


1ヶ月以上通院して改善しない様子を見て、医者は「胃腸やない」と診断。


血液検査で、膵臓に異常があると診断。


CT検査すれば分かると言われ、その病院の古い機械で検査したが、画像がぐちゃぐちゃでわからない。


俺の内臓のせいだと言われる。


市民病院のMRIの予約を入れたら、1ヶ月待ち。


待たされて、検査して、見せられた膵臓のしっぽには、スペアリブのように大きな腫瘍が巻き付いていた。


「これは、腫れ物です。覚悟してください。」


覚悟する前に、死のうと思った。


市民病院にすぐに行くように言われ、予約を入れた。


その日の夜は、もう死のうとは思わなかったが、ネットで「膵臓癌」を検索しまくり、ネガティブな情報に絶望し、早朝まで眠れなかった。


4月3日月曜日、市民病院での初診察。


今後のことを色々言われた気がする。


4月6日、PET検査。


4月10日、ヨメを伴って診察。


PET検査の結果、肝臓と腹膜に転移が見られ、手術不可である事を告げられる。


医者ははっきりとは言わなかったが、他臓器に転移があり手術できないということは、レベルIVすなわち末期癌だと言うこと。


診察室を出て廊下にいたら、カウンセラーがやってきて、メンタルサポートとかなんとか説明している途中、それまで無言だったヨメが号泣。


今思えば、死刑宣告された人の家族に対して、廊下でする話ではないと思う。


この病院では今日も同じことを繰り返している。


4月13日、14日、一泊して、胸に点滴用のポケットを埋め込む、ポート手術。


4月17日、第一回目の抗がん剤投与。


ここから俺の無間地獄が始まった。


フォルフィリノックスの副反応はエグかった。


強い倦怠感は、次の投与日が来ても消えることなく、追い打ちの抗癌剤で、発熱と嘔吐感と倦怠感で死にたくなった。


医師は、この発熱は、抗癌剤が癌と戦っているからだと言った。


それで心折れずに耐えた。


この戦いは、その後3ヶ月で終結。


癌は、抗癌剤に打ち勝ったのだ。


フォルフィリノックスは結局7ヶ月で敗北した。


11月27日、アブラキサンとゲムシタビン(略称アブゲム)の投与に変更。


副反応は、フォルフィリノックスに比べれば楽になった。


辛くて死にたいとまでは思わない。


この頃から、食事を見直したり、ホルミシス療法を取り入れたりし始めた。


効果は良くわからない。


アブゲムは、週一回の投与を3週続け、2週間の休薬を行う。


つまり4週間で1クール。


6月1日に、20kmのレースを走るので、その練習をしないといけないのだけど、週末まで副反応が残ってることがほとんどで、出来ていない。


明日も天気悪そうだから、家でダラゴロの予想。


無理はしないでおこう。


無間地獄の真っ只中でも、人には会えるし、笑い合えるし、幸せを感じることもある。


「死ぬまでにやりたい事リスト」も書き留めた。


あまりに項目が多すぎて、全部達成するには10年以上掛かりそうだ。


自信をなくして、挫けそうになったら、良いことだけ思い出そう。


大事なものを忘れて、べそかきになったら、好きな人と手をつなごう。


大切な事は、アンパンマンが教えてくれる。


色々と書いたが、書くことで落ち着くのだ。


ごめんなさい。


こんな夜もあるのだ。