<ウニオ・ミュスティカ 38 の続き>

 

・執念と強迫とは、はっきりと区別される。自分のビジネスのあらゆる面に強い関心を寄せることを執念というのであれば、実際の行動を促すのが強迫である。執念と同じように必要不可欠で効力も大きいが、考えや計画よりも、むしろ衝動や条件反射に支配される。執念と強迫の違いは、愛と欲望の違いのようなものだろうか。

 

⇒分かりやすい例を挙げるのであれば、執念というのはもちろん日々虚業を継続させること。そのためにパフォーマンスが必要になる。僕のことでいうのであれば、ゴミ箱に捨てた伝票の後始末、行方が気がかりなので店のとある備品を故意的にゴミ箱に捨て、それを店が終了したあとで捜索するという行動だ。それが強迫に該当する。店長は別段、その備品に対して注意を払ってなく、たとえ複数個紛失していたとしても店長は何も気にしない。僕が時々ゴミ箱を漁って見つけ出すので、気にしているくらいだ。僕にしたら、その備品を捜索するのが目的ではなく、虚業を続けるために証拠隠滅を完璧にして安心しておきたいという別の狙いがある。衝動や条件反射なのだろうか。一連の行動のなかに執念や脅迫が折り混ざされている。

 

・たとえば、居間を整頓しておきたいと思うのと、すべてが元の場所に片付いていなければ居間を出られないのとでは、まったく別物である。自分の決めたとおりのことをしなければ気がすまない。それが強迫観念である。

 

⇒「強迫観念」といえるものか定かではないが、自分独自で編みだした方法論、手順に従って常に実行していた。無論、易々と伝票が手に入る場面は幾度もあった。がしかし今まで積み重ねてきた経験があるが、それに対する対処法が自分の中にないので、安易な方法には頼りたくなった。簡単に伝票を抜き去ることができる場面で、「抜きたい」と思うのと、従来通りのやり方で「抜く」とはやはり同じ行為にしても違う気がする。あくまで自己流で虚業を継続したいと思っていた。

 

・ビジネスにおいては、脅迫は何よりも有用な道具だ。壊れ窓を直すのにうってつけである。強迫観念があれば、窓の修理が終わらないと何も手につかないからである。また、不屈の意志、細部と秩序へのこだわりは、ふつうに仕事をしている人とは桁違いだ。秩序からはずれたことは認めず、修正が必要なら即座におこなう。つまるところ、強迫観念とは一貫性を持つことである。

 

⇒正業をこなすことよりも虚業をすることに関して神経をすり減らしていた気がする。あの店で働く一番の目的は「自己の虚業を継続させ、店長にあの時と同じ思いを抱かせる」という絶対的な思いだ。虚業ありきだったので、毎日それなりに楽しく仕事(正業)をこなすことができた。虚業の延長線上に正業があって、両者が密接に関わり合って、虚業を成り立たせていた。自分の虚業を継続させるうえで、存続が危ぶまれることや都合の悪いこと、耳の痛いことは、正業のなかで即座に修正した。最終的に虚業を存続させるために何が弊害になっているのかを逆算して考える。そうすれば入り口は違えど、必ず出口は一緒になる。逆算して考えているので、何としても目的のゴールに辿り着かせるために、あれやこれやと理屈や根拠のないことを言って、周囲を欺いてきた。その真意を知られることはないので、「頭の回転が早い子」「思慮深い子」だと誤解させることができた。すべては自分が画策した予定調和?に導くためだ。やはり最初に抱いた思いは大事なことだと常々思う。

 

・強迫は執念と同じく有用な手段である。とはいえ迅速な行動を必要とするため、そう簡単ではない。問題が解決して納得がいくまでつぎの行動に移れないとしたら、すばやく解決するよう努めるだろう。その鍵は計画にある。壊れ窓に(あるいは窓が割れる前に)気づき、できるだけすばやく対応できるよう、自分を訓練するといい。強迫的な手段に出なかったために大変な困難に見舞われた大企業は実に多い。

 

⇒最大の問題は、やはりいかに証拠(伝票)を処分するのかということだろう。抜き去ることは日々の反復練習で身についているが、処分するのはその都度の作業になるので、対策を講じなければならない。ましてやその処分方法に穴があってはいけない。そのことを気づかせてくれたのはやはり店長がゴミ箱から伝票を発見したときだ。あのことがなければその後の虚業は立ち行かないことはもちろんだが、道半ばで頓挫していた。あの瞬間、頭の中ですばやく解決策を講じて、壊れ窓が割られる前に対処できたことは本当に幸運だったと思う。その後は、店のゴミ箱に伝票を棄てるのではなく、自分のカバンや帰りにコンビニのゴミ箱に処分するようになったので、虚業をする上での杞憂が一つ減った。

・ビジネスの世界では、執念を燃やし強迫観念を持つのはよいことである。大惨事につながりかねない壊れ窓を修理したり、また事前に防いだりするためにはこれしかない。

⇒これも前項に類するのだが、店長に店のゴミ箱に抜いた伝票を棄てているのを発見されてしまったので、別の処分方法を考え出さなければならなくなった。考える時間がかかればかかるほど初動が遅れ、その間にチャンスは失われる。それは由々しき事態だ。なのでつねに別の解決策を準備しておかなければならない。その時は代案を用意してなかったので急ごしらえな対応になってしまったが、第一は虚業を継続させることが大事だ。その中で軌道修正を図ればいい。土台をしっかりと組み立て、その上で試行錯誤しながら自分がしっくりくる方法を模索すればいい。

・取るに足らないことなどビジネスの世界には存在しない。それがまちがっていて、正すことが可能なら、絶対に正さねばならない。たとえだれにも気づかれまいと思っていても、そのうち必ずだれかが気づく。

 

⇒「取るに足らない」ことは往々にしてある。だが、そのことに第一に気づくのは自分自身だ。自分で行動を起こし、実行する中で、何か自分のなかでしっくりとこない時がある。周りは誰も気にはしないほんの些末なことなのだが、自分にとっては致命的とも言える失敗につながることがある。ましてや虚業は、周囲に怪しまれれば継続することは困難になる。なので常に細心の注意を払っておかなければならない。自問自答を繰り返し自分の中の不安要素は早めに消化しておきたい。正誤は自分の中に存在する。

 

・強迫観念からの行動は、あなたが完全無欠の仕事を目指しているというイメージを発信する。熱心にやるだけではだめだ。反射的に無意識にやる域に達しなくてはならない。

 

⇒虚業をすることが僕の強迫観念だろう。虚業は周囲にバレてはいけない。完ぺきな出来ではないにしろ、無計画な行動は控えるべきだ。自分の中では終わりの景色が広がっているので、そこを目指していけばいい。虚業につながる正業を疎かにすることなく、その正業の一環として「虚業」を捉える。虚業での一連の行動は正業に比べれば楽なものである、だがその代わりその数倍の神経を使う。それでも虚業を継続させる意味はあると思っている。いちいち正業、虚業とすみ分けを意識しているわけではないが、二つはコインの裏表のように盛者必衰を表している。どちらか一方が衰退すれば、もう片方に陰りがでてくる。どちらも万遍なく実行しなければならない。

 

・日常生活のうえでは、執念深さや強迫観念に捕らわれることは厄介である。少なくとも不便は多い。だが、ビジネスでは有用な道具になる。その道具を使いこなせ。

 

⇒執念深さや強迫観念に捕らわれるというよりも、何か物事の一点に集中することが大事なのだと思う。ある程度の執念深さや強迫観念は必要かもしれないが、それだけになってしまうと日常生活が立ち行かなくなってしまう。他方、ビジネスに目を向けると、同じようなことだがこちらは突き詰めて物事を考えすぎると別の意味で立ち行かなくなってしまう。要は心の持ちようだということかもしれない。物事を深く突き詰めていくと思わぬ発見をすることがある。そのひらめきというか感性?を大事にして、今まで見えていなかった事柄に興味や関心を持ちそれをビジネスに流用することは可能だ。あれこれ考えて試行錯誤を繰り返して、少しずつだが自分のビジネスを構築する。

 

・最悪の壊れ窓が人間であることは多い。これは前にも述べたが、いま一度強調しておこう。従業員のだれかが、なんらかの理由で会社に不利益をもたらしたら、その人は壊れ窓である。綻びは周囲へ波及し、ほんの小さな事柄でもあなたの会社を破滅させる結果につながりかねない。

 

⇒至極耳の痛い話だ。全くその通りだと言わざる負えない。これは自分が壊れ窓だという自覚からくるもので、特に他に意味はない。壊れ窓だからこそ実体験として身に染みている。だが、周囲へ波及させた覚えはない。あくまで店長への私怨なので、他の従業員は関係ない。だが結果的には店は閉店した。これは少なからず僕自身にも責任の一端を担っているかもしれないが、最終的に店に火を放ったのは店長自身だ。僕や他の従業員、果ては家族までも店の設備投資は反対した。だが店長自身が断行してしまった。そういう意味では店長も壊れ窓と呼べるかもしれない。僕は常日頃から生かさず殺さずを貫いてきた。虚業を秘密裏にするという小さな事柄を継続して行っていたにすぎない。本来ならばまだ試したいこともいくつかあったのだが、店がなくなってしまったのでそれも実行できなくなってしまった。

 

・従業員も人間であり、人間ゆえのもろさを持っている。まちがいはだれにでもあり、それは壊れ窓ではない。そこから学び、よりよい仕事ができるようになれば、まさに理想の従業員である。

 

⇒正業と虚業は表裏一体なので、他方に気を取られていては、他方がおぼつかなくなってしまう。両方ともバランスよく仕事をしなければならない。だからという訳ではないが、正業よりも虚業の精度を向上させることに趣を置いていた。それが正業の精度向上へと還元されることはわかっていたからだ。虚業をよりよく?行うためにどうすればその環境づくりができるのだろうかと考えた時に、虚業ばかりに目を奪われるのではなく、正業に目を向け、虚業へと連動する仕事に改良を加える。虚業ありきで仕事を捉える。虚業での失敗はそのまま正業での改善点になりうることを肝に銘じていた。

 

・従業員が商売を破綻に追いこみつつあるのを放置するのは、親切でもなんでもない。いずれ当人たちが仕事を失うばかりか、ほかの従業員たちまで同じ憂き目にあわせてしまう。なぜなら会社が倒産し、消滅するからだ。けっして大げさな話ではない。悪い従業員は辞めさせなければ、会社が危険にさらされる。

 

⇒まったくその通り!店にとってがん細胞にもなりうるものは早急に除去したほうがいい。だが、そのがん細胞だって元来は正常な細胞だったことを忘れてはいけない、正常な細胞に何らかの不具合が起きてがん細胞に変異してしまったのだ。僕の場合は店長の嘲り、中傷、不遜な態度…などがその変異を引き起こし、がん細胞へと変貌した。そのがん細胞が徐々に店を蝕み、店を倒産させ消失させ、店長をはじめ他の従業員までも失職させてしまった。なので早めの対応は必要だ。しかし店長は僕の虚業を見過ごし、放置していたのだろうか。僕の虚業は店の死活問題なので、気づいていたのであれば、すぐさま止めさせる必要があった。そのまま放置したところで店にとって何のメリットもない。もしろデメリットしか存在しない。そう考えると僕の気の回しすぎなのかもしれない。しかしこれだけはいえる。壊れ窓を放置したところで何のメリットもない。普段見慣れた景色に思えても、きっとよく観察すれば何らかの不具合を起こしている可能性がある。なので常日頃から、環境整備に気を配り、窓や床を拭き、窓に入った小さなヒビを見逃さないことが大切なのだと思う。