・人間には、動物にはない異様な執念深さと、その執念を実現させようとするとんでもない知恵が備わっています。だから、負けたほうも、そのまま黙っていることはせずに、必ず復讐してやろうと考えます。

 

⇒その通りだと思う。僕に限ったことではなく人間特有の異様な執念深さが一連の行動の原動力になっていた。知恵と呼ばれるほどの崇高なことではないが、ない頭を駆使して、過去に見たアニメを手本にして、絵空事だったモノを具現化しただけだ。復讐心というよりも「あの時受けた屈辱を同じように味わわせる」という一種の情念が内在していた。その一心だった。

 

・私たちの生活には、無数の「わかる」ということが何気ないかたちで充満しています。その充満は、お互いの心の作用によって成り立っています。そして、「わかる」が充満しているからこそ、ときどき「わからない」という事実が、人々の心の作用の間で吹き出してきて、強く意識されるのです。

 

⇒「わかる」ということがダブルミーニングになっていて、こっちが困っているのはそばで見ていて「分かって」いるのだから、助けて欲しい。と救いを求めているということと同じ屈辱を相手に味わわせることのどこが悪いのか「わかる」よね。ということ。その曖昧さが今回の心のすれ違いを起こしそれに連なる虚業になったんだと思う。だから、なんで助けてくれないのかという「わからない」となんでそんな短絡的な行動を取ったのかが「わからない」ということがせめぎ合っていたんだと思う。自分勝手な意見だが、同じように屈辱を味わわせることのどこがいけないのか「わからない」し、傷ついたのならば他の方法で相手に伝える方法も「わかる」よね。という意見もあることは「わかる」

 

・現実に不特定多数の人の福利に全くつながらないような労働は、社会から「職業」としては認められないのです。

 

⇒不特定多数の人の福利につながろうがつながなかろうが、別段「職業」と認められなくても構わない。虚業は今回限りだし、このまま持続していこうとは毛頭も思っていない。今回の虚業は、人生最大のビギナーズラックだと自認している。別の時代、別の環境では到底実現不可能な所業だということもわかっている。何者でもない自分が人生の中で大きな成功体験を手にしたんだと何度も再確認し、自信をつけるための作業だっただけだ。その一風変わった成功体験を通して、人生でのいろいろなことを浅く広く学ばせてもらったと思っている。自分専用の辞書(ルールブック)を手に入れたとも思える。

 

・詐欺師は大いに自尊心を持っていなければならない。騙せると思っていなければ、カモを騙すことはできない。

 

⇒これから自らが実行しようと思っている壮大な計画の前に足踏みするのであれば、最初から実行しないほうが賢明だろう。それに自分すら欺けないのに他人を欺き通しなお且つ操れるわけもないと思う。標的を定めたら、その標的に近づき相手の物事の嗜好や何やらを間近で調べられるくらいの度量と余裕は欲しいと思う。

 

・専門知識と実務知識、そしてそれを秘密にすることで圧倒的な優越性を高める。

 

⇒この言葉と同じような意味のことを、漫画のダークヒーローが言っていた気がする。確かにその通りで、自分がいる今の場所で使える「実務知識」そして、それに対応するだけの「専門知識」が必要だ。そしてまたそれを秘密にすることである種の神秘性を自分の中に帯びることができる。少し抽象的な説明になってしまったので、少し補足すると…、まず今いる環境下で虚業をするということは、無論店の誰も行っていない業務だ(基よりそんな業務は存在しないのだが…)。その中でも自分一人だけが日々虚業を行っている。他の人が正業を行う中、僕たった一人だけが同じ環境下で虚業を行っている。そこで必要になるスキルが「実務知識」になるのだろう。どのタイミングで虚業を行うのか、それを隠ぺいするための方策、手段、その他諸々の知識が必要だ。それを総括して「実務知識」となる。次に「専門知識」なのだが、これは虚業をするための知識ということではなく、むしろその逆で、正業に関する「実務知識」だと言える。店のマニュアルやルール、システムなどがそれに該当する。それを踏まえたうえで、その隙間を衝きつつ虚業を行う。有り体に言えば、文字通りコインの裏と表みたいな感じで、正業の専門知識の上に虚業の実務知識が成り立っていて、どちらか一方がなくなってしまうと成立しなくなってしまう。そして二つの要素をうまく取り込んだ「専門知識」と「実務知識」を両立させ周囲に秘密にすることで、自身の優越性を高めることが可能になる。いわゆる仕事に関する自分だけのブラックボックスを所持することにもなるわけだ。

 

・変わらなければ、破滅することになる。

 

⇒いつまでも自分の殻に閉じこもり、そこから外の世界へと踏み出すことを躊躇してしまう。いつまでも心地の良いこの場所に留まって安寧を求めていたいというのが、正直な感想だろう。だが、それではだめだ。僕は虚業をするなかで、ホールの仕事ができれば、きっとこの先も虚業を継続できるものだと勝手に思い込んでいた。しかし、ホールの仕事からバックヤードの仕事に追いやられたとき、それを知った。ホールの仕事をしていれば、容易に虚業はできる。しかし、それはホールという環境下にいればこそだ、バックヤードの仕事をするにあたって、ホールとは環境が全く違って、何より肝心かなめのレジに近づくことさえできない。これは大きな事件だ。レジに近づけなければ、伝票を抜き去ることはおろか、売り上げがあがってしまって店長に疑念を抱くきっかけを与えてしまう。そうなるとこれまでの虚業が明るみにでてしまって、僕がホールではなく、バックヤードで仕事をしていた方が売り上げがあがるという、最良のカードを店長に明け渡す結果になってしまう。それは非常にマズい状況に陥る。なので僕自身がバックヤードにいながらにして、虚業を継続できる妙案がどうしても必要になってくる。そうしなければ虚業の道半ばで計画はあっけなく頓挫してしまいすべてを失ってしまう。否応なしに「変わらなければ」ならない。

 

・社会でランダムに行われていることには、実はランダムであるべき理由があることがある。

 

⇒僕が店にアルバイトとして入って、あの時店長が僕に対し日頃からは考えられないあんな態度を取らなければ、虚業を決意することもなかったし、店が閉店に追い込まれることもなかったと思う。店長のあの態度は当人にしたらほんの気まぐれに行ったことなのかもしれない、日頃何かしらの不満が鬱積していて、腹いせにここぞとばかりに僕を攻撃した。それに過剰反応した僕が虚業を決意して、結果店を閉店せざる負えなくなったという一本の線で描けるのかもしれない。すべては閉店という終局へ続いている。最初からこの結末へ向かってすべては動いていたのかもしれない。一つの選択がその先の展開を定め、ひとつの終局へと誘う。その根底にはたった一つのランダムな行動が存在していて、それが数々の不幸を生み出してしまったのかもしれない。僕が店に入ったのも、虚業が野放しにされ、その願望を叶えることもできなかったのもすべては予定調和だったのかもしれない。

 

・人は相手を軽視しているかぎり、憎むことはない。相手を同等もしくは一段優れたものと認めたときに、初めて憎む。

 

⇒果たしてどうなんだろう。少なくとも僕は店長のことを優れたものと認めたことはない。ある意味毎日公然と虚業を目の前で行われて、そのことに一切気づかず毎日仕事ができるなとは思った。その精神には感服してしまう。まあ当人には裏で何が行われていたのかはあずかり知らぬところだろうが、それでいい。それだけ虚業が正業に溶け込んで日常の一業務として認識されていたということだろう。嬉しい限りだ。そういう意味では店長のことを軽視していたのかもしれない。でも「人を呪わば穴二つ」と言われているように、そんな店長と同じことを実行したので、同等なのは言うまでもない。

 

・人間は自分の勝利の方程式に満足していると、おおむね人生に満足していられる。

 

⇒正直、僕の成功体験はまがい物の勝利の方程式で彩られているので、自分のルールブックとまでは到底言えた代物ではない。だがしかし自分が行ったことに関しては概ね満足はしている。まさか映画や小説の中で行われる絵空事が実際に現実の世界で転用できるなんて思ってもいなかった。誰にも自慢はできない体験だが生涯にわたって大きな宝物を手にいれた気分だ。虚業の中には様々な学びの場が点在して、それは他に応用可能なものばかりだ。虚業を通して世の中では清廉潔白でいるよりも清濁併せ吞むほうが物事がうまく運ぶ場合が多いことも学んだ。そのことも自身の勝利の方程式に組み込んでもいいと思っている。

 

・「信念」は言動や行動の指針にもなるもので、それがあるからこそブレずに生きていくことができる。

 

⇒「信念」というよりも「初志貫徹」と言った言葉の方がしっくりくる。それと確かなゴールを思い描くことも大切だ。ゴールを明確に定め、そこに辿り着くには何をすればいいか、言い方はおかしいがゴールに持ち込めるものを探し日々鍛錬する。僕自身が指針にしていたのは「店長に同じ思いを味わわせる」といういたってシンプルなものだった。そのためには前提としてガツンと一発食らわせる何かが必要になってくる。そこに遠慮があってはいけない。同じ状況になった時、いや同じ状況を意図的に作り出すには何が必要か?どうすれば相手の焦燥感を煽り真剣に困らせることができるのか、それを何らかのカタチとして突きつける必要がある。そこで大分極端な考え方だがその方法論として売り上げ操作が思い浮かんだ。では、どうやって実行するのか。短時間で決着をつけるのか、それともゆっくりと時間をかけて、過ぎ去った時間も後悔させるのか、僕は後者を選択した。そのほうが復讐に付加価値をつけることが可能になる。一緒の空間にいて、その時間が長ければ長いほど、相手にガツンと食らわせることができる。それも自己満足に終わらず、誰にでも通用する事柄の最良だ。そこで気を付けなくてはならないことは、「初志貫徹」を絶対に忘れてはいけないということだ。何のための復讐なのか、そのことを考え別の誘惑にも勝たなければならない。それに今回は「金銭」という万人に通じる非常に強固な魔力と魅力を兼ね備えた魔物が相手だ。相手を破産させたいわけでも、私腹を肥やしたいわけでもない。ただあの時の気持ちを味わわせたいという一心だ。金銭の魔力にうつつを抜かしている場合ではない。ゴールを明確に見定め、それに付随するものを見失わずにいるために常に「初心忘るべからず」だ。

 

・成功した姿をイメージすることで本当にそうなっていくし、その場面がはっきりとしていればいるほど、その姿に近づいていける。

 

⇒最初にイメージした通り、最後は過失にしろ故意にしろすべてを露呈させるつもりだった。そこで相手の焦燥感を煽って、こちらは平然と惚けるというシナリオだった。最後の舞台も容易に想像できた。しかしその時に用いるセリフは完璧には想定していなかった。その場の雰囲気で発言すればいいと思っていた。そして僕にとっての成功したイメージとは何を指すのだろう。すべてを露呈させ、相手に一矢報いることなのか、すべてのショーを完璧に演じ切ることなのか、最終的な舞台設定を用意することなのか、はたまた何も告げず舞台から降りて、相手に疑念を抱かせ、答えのない問題提起をすることなのか、終幕はいくつも考えられる。だが、当初思い描いた舞台を用意することが一番の目標だった。