・常に不安とストレスを感じる仕事にチャレンジし、克服していくことです。「まだ困っていないから、いいよ」と考える人もいます。全然よくありません。実際に困ってから新しいチャレンジをするのと、まだ余裕があるうちに仕掛けるのとは、どっちが精神的に楽だと思いますか?当然「余裕があるうち」ですね。追い詰められてからの勝負は本当につらいです。「これがダメだったら、もう後がない」と感じた瞬間、体がこわばって冷静な判断ができなくなります。まだ必死になる必要がない、という時期から準備しておくことが大切なのです。

 

⇒虚業を始めた頃は、このままならこの復讐計画はうまくいくと思っていた。でも月日が経過するにつれ、今まで以上に仕事を任される機会が多くなり、チャンスは減っていくのだろうと予測していたが、それが却って、虚業が露呈しにくくなった。ちょっとラッキーだった。店のシステムに沿ってやっていたので今まで以上に店の業務に溶け込むことができて、うまくコトが運んだ、以前のままで停滞していたら、チャンスを逃し続けて、あたふたしていたと思う。この状況が理想ではなく別の可能性も念頭にはあった。具体案があったわけではないが、環境をみてそれにあわせて方向転換をしていった。それもこれも最初に自分なりのマニュアルがあって、それと現状を照らし合わせることが出来たからこそ。行き当たりばったりだったら復讐は途中で頓挫していたと思う。

 

・見ているはずなのに、見えていない状況をつくる。

⇒これは後程書こうと思っていたのだが、虚業をする上で一番の要点は、他人の視線を他へ逸らすこと「ミスディレクション」を誘うこと。具体的な事例は明記できないが、通常業務のシステムの中にうまく紛れ込ませて、本来の目的を悟らせないこと。会計を操作するためにそこにいるのに、あたかも通常業務のために、そこに留まっているようにみせたり、証拠を隠滅するために派手なパフォーマンスをしたり、問題をすり替えたり、自分で考えたり、落ち着いたりしたいのでその間、他愛もない話題で話をつなぐ。

 

・「嘘」は「真実」の中に隠す。

 

⇒これはあえて書くまでもないことだと思っていたが、一応書いておく。当時とある本に「嘘をつくのは簡単だ。ついた嘘を覚えておけばいい」という文章があった。先に他愛もない話題と書いたが、その会話を自分の中で覚えておく。さらに相手との会話も頭の中で後で復唱しておく、時には自分の失敗を確認するためにカマをかけることもあった。「○○の時は、どうするんですか」「最近○○ですよね」と原因は分かりきっているが、相手にも共通認識を植え込むためにあえて話す。質問の裏に潜む真意など滅多には悟られることはない。

 

・相手の記憶を塗り替える。

 

⇒これはよく使った手だ。先の「「嘘」は「真実」~」にも含まれるが、毎時の集計の際に伝票が何枚あるかなんてことはさほど重要視されない。もちろん自分もいちいちカウントはしていない、何枚かある内の数枚を手に入れればよいのだ。そういう意味では、誰も正確な枚数は分からない。自分が手に入れた枚数など正直覚えていないし、会計を操作したら、証拠隠滅を行っているので正確なところは自分でもわからない。毎時集計された数が真実となる。嘘が真実へ変貌する瞬間だ。帳簿上に記載されている枚数が真実。今考えるとひどく滑稽に思えてくる。

 

・自分が感じている激しい感情に、周囲が同意・賛同してくれることほど嬉しいことはない。逆に、全く賛同してくれない時ほど悲しく、不愉快に感じることはない。

 

⇒あの時、もう少しこちらの異変を感じて気持ちに寄り添ってくれていれば、虚業をすることもなかった。対応を間違えた。変に茶化したり、冗談を言う場面では決してなかったはずだ。空気を読めと言ってやりたい。相手は普段の仕事の延長線上で物事を図ったつもりなのだろうが、こっちは到って真面目に困っていた。それを空気を読み間違え、その場面にそぐわない決してやってはいけない対応をしてしまった。その代償があの事件だ。ことのあらましを今さら書くつもりはないが、事件の発端を話し、その時の激情をいくら説明したところで賛同は得られないのは分かっている。全くもって個人的な私怨なので、誰かの賛同ははなから欲していない。理解されないのは分かっている。その程度のことで私怨が湧いていたら、日々ちょっとしたことで感情が発動し、日常生活を送ることが困難な状況に陥るだろう。私怨なので、とくにそのことは気にしていない。その時の激情は言葉では到底説明できない。だからそれと同じ理由で、私怨を正当化しようなどとは全く思っていない。なので、自分が起こした事件について、賛同してくれないので悲しいだとか不愉快に感じることはない。むしろ、あの時自分の中で沸き起こった激情に素直に感謝している。よくあの場面で逆恨みかもしれないが、店長に対して行動を起こせたこと。人生のターニングポイントになったと自負している。

 

・どう「理解」するのかは相手の勝手

 

⇒まさにその通りだ。こちらが発した言葉をどう捉えようと相手に一任するしかない。特に相手が間違って記憶することが多い場面に遭遇することが多ったので、これは体験談として分かる。なぜ相手がそういう捉え方をしたのかはあえて追及しない。相手に合わせてミスリードしていき、本来の意思から遠ざける。多用可能だ。

 

・大切なのは「自分自身がそう信じる」こと

 

⇒自分の中に確かな「核」というか信念みたいなものが存在しなければ続けられないだろう。それが間違った信念であれ、世間的に「悪」だと言われている信念であれ、善悪論ではなく自分の中でのアウト・セーフ判断、今やっていることは自分の信念に基づいてやっているのか、誰かに命令されてやらされているのか、最終目的地はどこなのか、全てが曖昧だと、この手の仕事は途端に露呈して頓挫してしまう。これは復讐なんだ、周りから見ればただの逆恨みだと言われたって、自分がやり続けて、もう後には引けないところまで来てしまった。ここで手を緩めてしまったら全てがおかしくなってしまう。あくまでツールとして考える。それが最終目標ではない最終目標はまた別のところにある。途中でやめてしまったら、ただの私怨。実際私怨なのだが、決して伊達や酔狂、ましてや気まぐれで実行しているわけではない。もちろん周囲からの賞賛や同情を欲しているわけでもない。これはあの時、受けた悔しさを晴らすため、同じ悔しさを味わわせるためにやっている隠密行動だ。

 

・相手が注目する場所をコントロールする

 

⇒これはとても重要なことだ。会計を操作するところを見られてはマズイ。それこそ命取りになりかねない、それは伝票を抜く瞬間も例外ではない。もちろん自分なりに視野は伝票をみているわけでもない。手の感覚、それと相手の行動を観察している。ほんの数秒、何気ない動作で近づいて、さっと抜いて、証拠になる伝票を隠すなり、処分する。操作をする際も同じように何気ない動作で相手の気を逸らし操作する。会計をしながらツールを移動させたり、隠したりする。何はともあれ相手の視線と気を逸らすことがとても重要になってくる。

 

・「想像」の余地を残してやる

 

⇒単純に会計操作をしているので店の売り上げは必然的に落ち込む。しかしその事実を認識しているのは自分だけである。店長をはじめ他の従業員は別の理由をあれやこれやと勝手に考える。客層を間違えた、料金のせい、料理がワンパターンとか、それも僅かながら関係しているかもしれないが、それらの理由はほんの少し、全体の三割程度だろう、事実を伝える程僕もお人よしではないので、素知らぬ顔で相手の思考にのってみる。話を合わせ、真実から遠ざけてミスリードする。結果ますます事実から遠くなる。それと同時に自分は安全圏にいられるし、その間、次なる一手を考えることもできるし、今後の対策も練ることも可能だ。相手に認知的不協和を植え付けるのもいいだろう。自分の選択は正しいと、原因は他にあると薄々感づいても自分が出した結論が正しい。多分これが障害になっているはずだと、自分で答えにたどりついたように思わせることができたら成功だ。その考えに固執するあまりさらに事実から遠ざかってくれる。

 

・負けた時に、負けて悔しいという感情に捕らわれて、仕返しをしようとする。そして自分の一生を無駄にする人もいる。負けた時に、このような喧嘩をすることが自分の長所ではないと知り、自分の長所に自分のエネルギーを向ければ、意味のある人生になる。もし仕返しということがあるのであれば、そのように生きた時である。自分の長所で生きて、自分の人生を素晴らしいものに変換したときに、仕返しをしたのである。

 

⇒自分の長所を考えた時、一体何だろうと今でも思う。現段階でも見つかっていないのが現状だ。でも短所は長所だということを聞いたことがある。これが短所かどうか判別できないが、自分が意図した結果に終ったことがあまりない。人生自分が思うようにはいかないことが常だとよく言われるが、それとも違う気がする。よく人から良くも悪くも誤解されることが多い。それを逆手にとれば、自分のイメージと他人からのイメージが相違しているのだろう。深く探求すればキリがないが、人からよく誤解されるという事実を認識しているのであれば、それを最大限利用してしまえばいい。今回の計画にうってつけの素質だ。擬態して真の目的や真実から相手を遠ざける。相手に悟られなければ今回の計画は成功と言えるだろう。それと同時に、その力、ツールがここぞという場面で最大限の効力を発揮してくれる。それが僕が目指していたゴールであり、と同時に仕返しにもなる。