私は結婚するとき毒母に

邪魔されませんでした。

 

結婚を邪魔されるというのも

毒親の話でよく聞くので

その点では毒親ではなかった

と言わざるを得ないないのだろうか?

と長年思っていたのですが

最近いろいろ気づいてきました。

 

まずは毒母は親が決めたり、お見合いも

多い時代に自分も一応大学の同級生

と恋愛結婚をしていたために

私が恋愛結婚をすることについては

そこまで嫉妬心がなかったのだろうと

思います。

 

 

結婚式も私は表参道で挙げましたが

毒母も(祖母が言うには)

近所の人達が公民館のホールで

挙げる人が多かった時代に、

政令指定都市のホテルで挙げたと

言っていたので

別にそれに対しても嫉妬心が

なかったのでしょう。

 

毒母は中学から私立に行かせてもらい

そこからD−Eランク私大卒だけど

地元にはそれ以上難しい私大がなく

毒母の年代で女性の大卒は

10人に1人だったそうだから

学歴コンプレックスもなく、

(田舎の役所の公務員になったからむしろ

「女の高学歴コンプレックス」のほうが強かったのかも)

 

私が本来なら毒母の出身校より難関の大学に

合格しただろうけれど、

それを潰したことも心の奥で密かに

満足していただろうし、

私が、氷河期の最中、貿易会社の正社員に

採用されたこともなかったことにして

「留学までして帰ってきて、

ずっとバイトとか派遣しかできない

困ったおバカ娘に

手を焼きながらじっと見守るずっと公務員

として堅実に生きてきた母」

という、毒母にとって

美味しすぎる配役設定に見せることも成功し

 

その点については逆に

「やり過ぎたかしらてへぺろ」と思ってた

位だっただろうから

 

夫が国立大卒で誰もが知っている

会社に勤めていることにも

特に嫉妬心がわかなかったのでしょう。

(大都会に出たことがない人だから

逆に田舎コンプレックスみたい

なものがうすい人なのです)

 

結婚した時、夫は結婚式で配る

新郎新婦プロフィールみたいなものに

「はじめて会った時の印象:

可愛い!きれい!

天使が舞い降りたのかと思った!」

と書いてくれました。

とてもうれしかったですおねがい

 

夫は”自分の方が相手に惚れられている

ように見せよう”みたいな

せこいプライドや忖度が一切ない人で

そういうところは今でも

夫の大好きなところの一つです。

 

それなのに、毒母はしつこく

「ninaのヘンで面白いところが

好きなんだね」

と言ってきました。

 

結婚してすぐ

親戚のおばあさんの家を毒母・毒父・夫と

結婚の挨拶に訪ねると

おばあさんが

 

「まあninaちゃん本当に

きれいになって、立派な旦那様

見つけてよかったねぇ!!」

 

とすごく喜んでくれたあと

話をしてるうちに

前年に亡くなった長年連れ添った

おじいさんのことを

思い出して泣いてしまいました。

 

その後

場の空気をもとに戻そうとしてか、

 

「結婚はね片目つぶって相手を

見るって昔から言うんだよ~😉」

 

とおちゃめな感じで言って

いたのだけれど、

 

後から毒母が

「夫君あの時両目つぶってたわあ!」

「あの時、夫君って本当に面白い人

だと思った!!

両目つぶってた! 

本当に面白い人!!」

 

と何度も何度も言ってきたのです。

 

本当に何度も何度も1年以上言ってました。

満面の笑みではしゃぎながら。

 

夫が両目をつぶったか

どうかは覚えていないけれど

そうだとしても、多分

おばあさんが泣いていたり

しんみりした空気になっていたから

ふざけて和ませようと

してくれたんだと思うのです。

 

だけど毒母は

私は両目をつぶらないと

一緒に暮らせないような人だ

と言う話がすごくおもしろく感じて

気に入ったのでしょうね。

 

 

普通の親の反応と反対ですよね。

普通の親は自分では子供のことを

謙遜して面白可笑しく言って

しまったとしても、(子の配偶者であっても)

人に言われたらムッとするものだと思います。

義母も見てるとそういう感じだし。

 

このとき以来、親戚で私が子供の

ころ預かってもらったりなど

お世話になった人が亡くなった時でさえ

お葬式や家にお線香をあげに行くことさえ

激しく止めるようになりました。

 

「綺麗になって立派な人と結婚した」と

言われるのが嫌だったんでしょうね。

結婚前は「親戚が亡くなったときは

いくものだ!!!!」

と車の中に拉致するようにして

連れて行って、私を親戚の前で

結婚できず彼氏もいないキャラにして

笑ってたんですよ。

 

 

そういえばこのころ、毒母は

「息子だと、ちゃんとした人に

ならなくて、引きこもりに

なんかなられたら大変だけど

娘はモノにならなくても結婚してくれれば

片付いて出ていってくれるからよかった」

 

と言っていました。

私はどっぷり洗脳されていたのでしょう。

それを聞いて笑ってましたが

夫は「嘘だろ。。」って凍りついてました。

これついては後でまとめます。

 

 

それから結婚一年以上経ち

私が「この間谷根千のカフェでね」

などと、夫と出かけた写真を

見せると、

 

「えぇ?これいつ?最近なの?」

 

と私たちが肩を寄せて

映っている写真などをみると

毒母は凍り付くようになってきました。

 

 

 

私たちは

「最低3年間子供を作らない」

と宣言して、

「いいと思うよー」

と毒母はそれに賛成していました。

 

しかししばらくして

近所の同年代の子がデキ婚など

していくと祖母に

「近所の人にninaちゃん

赤ちゃんできないの?って

言われてうんといやだー」

と被害者のような口調で

言われるようになりました。

 

私は毒母と祖母に

「「3年間は仕事や旅行をしたいから

子供をつくらないんだって。

いや~~ね~」

とでも言っといて。」

 

と言いましたが

「そうねわかった♪」と

言いながら毒母は

近所や親戚には私が不妊で

ブルーカラーのマイルドヤンキー

とデキ婚したご近所の同年代の

(意地悪な)子たちの

ことさえうらやむような立場である

と取られるように、吹聴していました。

 

(職業差別の意図はありません。)

 

 

 

結婚から4年後私が出産し

毒母が手伝いに来ると

ついに毒母は本性をあらわにして

きました。

 

夫と私が助け合って子育て

している姿や、

夫が夜泣きの時も必ず

一緒に起きてくれたりと

非常に協力的な姿を見たり

私が子供を愛してちゃんと

母親になろうと奮闘する姿

を見て普通の母親とは反対にブチギレ。

マンションを数日間乗っ取って

「アンタら迷惑」

「私、何もすることなくて

どれほどみじめだと思う?」

 

と大暴れしてきたのです。

 

いろいろ点と点がつながったのですが

まとめは次にします。