最近何度かかpickした

「思春期の脳」という本に

 

”女の子は思春期からホルモンの

関係で自己肯定感がガクンと

下がる。

だから

「成績がいいから」とか

「かわいいから」とかで

褒めてはいけない。

 

「成果」でなく

存在そのものを愛してる

ことを伝えたいものだ。

 

反対に思春期の男の子の脳は

ホルモンの関係で期待に負けない。

むしろ期待してやらないと

暴走するかもしれない”

 

 

とある。

 

 

私の子供が今中学生なので

私が今子供の頃のことで

思い出して辛くなる記憶として

一番頻繁に蘇ってくるのは

 

成績がよかったのに

それを故意に無視されたこと。


「すごいね」

って笑顔で喜んで欲しかった。

誇りに思って欲しかった。

認められたかった。

 

じゃあ、私は男脳が強いタイプ

だったのだろうか?

 

それもわからないと思った。

 

幼い頃から、

存在をそのまま愛されたい

などという希望は

粉々に打ち砕かれてきた。

 

毒母の望む

田舎のチンパンジーの群れの中に馴染んで、

人気者になることだけを期待され

(この表現はこの本から借りたもの↓)

 

 

 

その資質がないとわかると

激しい心理的虐待を受けるように

なっていった。

 

毒親たちは、

物凄く悪い子どもである私を

少しでも良くしてあげようとして

頑張っているとの体で

毒を盛っていじめ続け

私の自己価値観を地に落とした。

 

 

小学生の時は

目に見えることで何か

目立つ成果をあげたら

褒めてもらえるかもしれない

と思い学習発表会で

中心的な役をもらおうとか

書初めで賞をもらおうとか

スイミングの大会選手に選ばれようとか

頑張ったけれど

逆にめちゃくちゃに踏みにじられた

だけだった。

 

 

 

 

 
中学に入ると、成績が小学校の頃
よりはっきりと数字で示された。
 
小学校みたいに多くの子が
取れるかもしれない95点
ではなくて
 
200人中5位とか
100人中2位とか
 
位置がはっきりと数字で
表された。
 
数字で示されれば
今度こそ、私にも何か価値があること
を認めてくれるかもしれない。
 
もうとうに「そのままの私を
愛してほしい」なんて
期待は消え去っていて
せめて数字で出ている結果
だけでも喜んでほしい
認めてほしい
そんな流れだったのかも
しれない。
 
だから、私が最初から男脳
強めの女の子だったのか
わからないし
推測するのは難しいと思った。
 
 
発達障害もそう。
私は方向音痴、
吃音(どれくらい気づかれてる
かは分からない程度)、少し不注意、
過眠・睡眠リズム障害、
疲れやすさ
など発達障害では?と
思われるところがあるけど
虐待やマルトリートメントでも
発達障害のような特性が
出るといわれているのは
今ではよく知られていると思う。
 
 
(こちらの本を以前読んだけど)
(こちらも新しくkindle unlimitedになって
いたので読んでみます。
DLしました。)
小学校低学年まで褒められた言葉は
「利発でしっかりしている」
(いかにも可愛らしいという
感じではなかったからかも
しれないけれど)
だったことを考えると
小学5年生に虐待の後遺症で始まった
と思われる体調不良とともに
発達障害のような症状も始まった
のかもしれない。
 
 

 

 

とにかく、虐待を受けると

もとの自分の特徴というもの

さえわからないんだなということが

悲しいなと思った。

 

 

 

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夫に

「ninaは通訳学校に通って四六時中

シャドーイングの練習をしていた時

だけは言葉に詰まったり

話が止まったりしていなかった」

と言われたことがある。

やっぱりシャドーイングって吃音に

いいんでしょうね。

 

 
英語のシャドーイングとは
違うかもだけどこんな本もあるのか
(わたしもこれから読みます)↓
 
 
 最後だけ美味しい画像で😋
お好み焼きやさんの
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