いつからか女性が怖くなって

女性の近くにいると緊張し

静かになってしまうように

なったからだろう。

 

気づくと、

 

 

ーふんわり癒し系

 

ー怒ることなんてないほど

なんでも許してくれそうな優しいオーラ

 

ーいつもお洒落なカフェでお茶して

そうな優雅なイメージ

 

そういう感じのことを多く

いわれるようになった。

 

18年一緒にいる夫からは

「とにかく純粋でピュア」

というのを言われる。

 

(結婚して数年経ったころ

”意外と計算高い?”

と思ったらしいが

一周まわって「この人、何も

計算なんかできないんだ」

と気づいたらしい 笑)

 

確かにそういうところも

私だと思う。

 

 

澄んだ水が流れていくように

流れに乗って自然に生きてゆきたい

と思うところもある。


 

いつまでも、子供のように

純真すぎるところもある

だろうし、

 

いつまでも少女のように

日常にときめきを求めるところや、

可愛いものや美しいものが好きで

感傷的なところもある。

 

でも、歴史が大好きだったり

遺跡や歴史的建造物を好んだり

短歌が好きだったり、

 

渋いを通り越して

まるで老人のような趣味...

.....それも私。

 

8年ぐらい前、攻撃してくる

人の気持ちがわからずに

 

「あの人達はなんであんなこと

しようと思うんだろう?」

 

と何度も夫にボヤいていた。

 

すると、

 

「は?なんでって?

それはね

あの人たちはninaとは全く

別の生き物なの、

野生動物が獲物を見つけたら

噛みつくの。

それと一緒なの。

考えたってしょうがないの」

 

と諭された。

 

夫は、他人に関心がなく

それゆえ生きやすい人だ。

 

それでも、私は

「なんでなんだろう」と

物事を突き詰めて考えてしまう。

 

心理学や哲学的な関心が強い。

それも私で、

そんなところが自分を苦しめ

そして救ってもきたと思う。

 

濁流にのまれてたまるかという

反骨精神が強く発動することもある。

 

そして、おかしいと思うことが

あったら、手を挙げて

「それはおかしい!」

と異を唱えずにはいられない。

それも私。

 

「あなたはこういうイメージ」

と素敵なことを言われると

 

じゃあそういう

イメージでいこうかな、

なんて思うこともあるけど

やっぱりできない(笑)

 

それが私だからなんだろう。

 

 

幼い頃、身を切り刻むような

姉妹差別に異議を唱え続けた。

 

すると毒母は

「あら~、そんなふうに主張が

強いから誰もアンタの味方

しようなんて思わないんだよ。

もっと黙っていれば

みんなに可哀そうって思って

もらえるのに」

 

という言葉で

じっと黙って我慢する子に

なるよう暗示をかけようとした。

 

でも

「理不尽な姉妹差別を受けたんだ」

という真実だけは決して

捨ててなかったことにはしなかった。

だから、時間はかかったけど

このブログに書けるまでなった。

 

明るみに出すことは苦しい

こともある。

執着だ。復讐だ。

といわれることもある。

忘れればいいじゃないと

言われることもある。

 

でも、なかなか社会の表に

出てこない苦しみを言葉にして

送り出す。

すると、自分自身と

同じ苦しみを持つ人が

ちょっと楽になる。

そのことでこの世がちょっと

よくなる。

そういうこともあると

信じている。

 

 

目には見えにくい理不尽や

それとはわかりにくい

攻撃にもがき苦しんだことを

 

忘れて微笑んでいればいいじゃない

 

と言われることがある。

 

そうできる人は

素敵だなと思うし

自分とは違うから憧れるけれど

 

やっぱり私は、

目に見えにくい苦しみに光を当てて

言葉にすることで

自分自身と誰かの心をちょっと救って、

ちょっとこの世に光が多くなる

そうだといいな、と思ってしまう。

 

黙っていた方が楽だし得かも

しれないけれど。できない。

 

ああ、私はそういう人間なんだよな、

と今は思う。