「カズレーザーと学ぶ」という番組を

夫が昨日は真剣にみていました。

 

昨日のテーマは「新時代の金銭感覚」。

終盤、脳科学とお金という話に

なりました。


 

投資などで損をすると

肉体的な痛みを感じる時と

似た脳の部分が反応する。

 

例えばギャンブルで自分が5000円

損したとすると、

人はその日落ち込んでしまう。

 

しかし、

他の人が10000円損をした

ことを知ると

まるで自分が利益が出た時の

ような快の反応が脳に出る。

 

というような話だったと思う。

 

(正しい内容かはちょっと自信が

ないので良かったらTverで見てみてください

終盤の3人目の先生でした。)

 

 

 

これは私が妹に対して

妹はこう感じていたと思われると

確信している

ことを非常によく表しているな、

と思いました。

 

 

幼い頃から

大人になるまでのことを

思い起こした時、

 

妹が私を助けられなくて

心を痛めていたのでは?

罪悪感を感じていたのでは?

 

....と思える記憶のかけらは

一つも見つかりません。

 

妹はいつも殴られ、罵られ

悪者にされ、嫌味の毒針を刺され

陥れられ、外に出される私を

口角を上げてつーんとすました顔で

見ていました。

(その時の妹の脳の反応を調べ

られればいいのにね)

 

私には決して助け船を出さず、

父に私だけ理不尽に殴られて過呼吸を

起こし腕を掻きむしって傷だらけに

なって何時間も泣きじゃくって

いたときも

知らんぷりして寝ていたのに

数日後形式だけ謝って来た父に

反応できなかった私を見ると

「お姉ちゃんはひどい人」と

さらりと言い

 

対照的に

祖父が祖母に怒鳴り散らす時は

祖母の傍に行って「大丈夫だよ」

と背中を撫でてあげて

褒められていました。

 

決しておとなしくて怖くて助けられな

かったのではなく

自分に得があることは

さっとやれる行動力を持っていました。

 

私は私が「損」していることにより

妹が「自分は姉より恵まれている」

と快楽を得ていた、という感覚が

ずっとありました。

 

 

妹は学校で友人や大人とは非常にうまく

やれていました。

もともと計算高い性格があったでしょうが

友達からストレスを感じるときも

じっと我慢し、よい評判を得られたのは

家で私から吸い上げたエネルギーが

あったからだと思います。

 

これが、親が愛情を持って

子供のストレスを受け取って

あげるから学校でうまくやれた

のだったら、罪ではありませんが

 

搾取子から不当に吸い上げた

エネルギーを

愛玩子にたっぷりと吸わせることで、

愛頑子が家の内、外、全てで

巧く立ち回れるエネルギーを

得られるのは罪でしかないと思います。

 

親に愛されることは

幸せなことです。

でも、愛されず痛めつけられる

もう一人の子を見て

「自分は得している」と

快楽を感じ続けることは?

 

そして、自分に損益があっても

別の人がもっと損しているのを

知ったら、脳が得したように

感じるのだとしたら、

 

同じことをしても

自分は殴られ、外に締め出されるのに

きょうだいは愛され守られている

のを見て育たなければいけない

としたら、虐待の脳の反応は何十倍に

なっているのだろう?

 

同じ程度の毒親に同じ程度の毒を受けて

育てられたとしても、

傍らにいつも愛情をたっぷりに受け

それを「得」「快楽」と感じて

いる様子の愛玩子がいたら

その心の痛み(脳の反応)は

どれほどに大きくなっているのだろう

 

 

私が高校を卒業して逃げるように

海外の大学に行くと

妹は学区一の進学校へ推薦入学したが

あっという間に、

夜遊びギャルの劣等生になり

進学した専門学校も中退し

パチンコ屋のバイトへと

転落したのです。

 

そこで生まれて初めて遠くにいる私へと

毒母の愛情関心が向き、

妹は生まれた時からそこにあった

無限に搾取できる土台を失ったこと

に気付き

 

絶対の形で親の愛情を取り返し、

ヒロインの座を永久に失わないため

難病になるというドラマを

作り出したのではないか

 

だから、病気になっても

私を下に置いて踏み台にできなく

なりそうなシチュエーションになると

外で見せる顔とは全く違った

空っぽの無敵の人のような顔で

取り乱し狼狽し

私を酷い暴言で痛めつけ

続けたのではないか?

 

そう考えるとき

全てのパズルのピースが

ピタっとはまるように

辻褄が合うのです。

 

ずっと妹のことは、

可哀そうな悲劇のヒロインだと

思っていて、

こうなふうに考えることには

罪悪感がありました。

 

10年20年経ってやっと妹の真実に

気付き、やっとことばにして

閉じられた場所で

綴り始めた時

 

「妹さんは快楽なんか感じてませんよ。

ずっと心を痛めていたでしょうね。

殴られる方とそれを見ている方。

サルの実験では見てる方のサルの

方に多く負担がかかっていたのです。

許せとは言いません。でもあなたが

何でそんな考えになってしまったのか

上にいる神様からは全部見えていますよ」

 

「妹さんはお姉ちゃんを助けられない

罪悪感で一杯だったでしょうね。

妹さんの心の痛み。

過度な甘やかしって虐待と一緒です」

 

など、聞いてもいないのに

我が物顔の

コメントをしてくる人がいました。

(後者の方は謝ってくれたから恨みは

ないけど)

 

 

まだ、やっと恐々外に出せ始めた

ばかりだったから

心がグラグラに揺れて傷ついて

しまった。

でも、折れて引っ込まなかった。

自分が感じていたことに

どこか確信があったから。

 

昨夜これを書いて、寝たら

妹が病気の頃の夢を見た。

その時の心の痛み、純粋に妹を

心配する私の感情を

夢で再体験した。

 

本当に妹をかわいそうに思い

心を痛め、心配していたからこそ、

妹がいたことで虐待の傷が

何百倍にもなったことや

子供の頃の搾取の構造に長く目を背け

気付かないようにした。

 

 

妹は私の事を無制限に搾取できる

確固とした足場だと感じており

それが当然だと思っていた。

私はそのことに気付き、認めるのに

時間がかかった。

 

今は妹について

かわいそうに思うとしたら

 

私から搾取することを

生まれた時から当然として

育ってしまい、巧く生きる術は

親に守られながら

私から無制限に搾取するという

方法しか知らなかった事。

 

だからそれができなくなると

巧く生きられなくなって

しまったこと。

 

その部分。

 

痛めつけられる私を見て

心を痛めていたというのは

記憶と照らし合わせたとき

全く事実ではない。

 

 

たくさんたくさん愛情を

もらえる愛玩子を常に横目で

見ることで、

何十倍になるだろう虐待の

痛みへの脳の反応を

誰にもわかってもらえず

一人耐えながら育ったのに

 

大人になり愛玩子が身を持ち崩し

搾取子がやっと人生を取り戻し

始めると

 

「愛玩子の方が

心を痛めているものなんだ」

と言われ始める。

搾取子の人生は苦しい。

 

 

まとめると

 

人はお金の損失で体の痛みと同じ

ような脳の反応が出るが

他の人がもっと大きな額の損を

したことを知ると

自分には利益があったかのように

脳が反応するという。

 

それならばやはりきょうだい間差別

のもとに育つ子供は

 

大きな損害を受けて育つ搾取子が

いることで、

愛玩子の幸福感は大きくなり

大きな快楽として脳が反応

することになることはあると思う。

 

何をしても不当に痛めつけられる

搾取子は

隣に何をしても庇われ

正当化され、こちらを憐れむことで

快感を得ているように見える

愛玩子がいることで

心の痛み(脳の反応)は

何十倍何百倍にもなると思う。

 

心を痛める愛玩子もいるのかも

しれない。

 

でも自分(搾取子)の

きょうだい(愛玩子)

が心を痛めていたか、

それとも快楽を得て

それがなくなるのを恐れていたか

ということは

 

小さい頃から

大人になるまでの記憶を

照合していけばわかるし

それは当事者にしか

わかり得ない事だと思う。

 

そこに、

「可愛がられ甘やかされる子の

方が本当は心を痛めている」

なんて説をここぞとばかりに

上から落とすのは間違っている。

 

「愛玩子が心を痛めていた」

それが本当だったらどんなにいいかと

思い、何度も記憶の欠片のなかに

そう思える部分がないかと

振り返ったけれど

そう思える破片は一つもなかった。

 

これまで、

毒母が押し付ける

勝手に作られた人物像

(妹と母が健気な飾らないヒロイン

私は悪魔のような子供→家族のバカな

お荷物)に基づいた脚本

を酷い違和感を感じながら

演じ続けなくてはならなかった

期間が長く、その違和感に

目をつぶらなくてはいけなかったことが

心を病ませ自分をわからなくした。

 

だから、もう自分の記憶や

自分が納得している過去への分析に

嘘はつきたくない。