昨夜はブログをアップしてから
夕飯を作ろうとキッチンに行くと
在宅ワークの日だった夫が
「手伝うよ」と来てくれましたが
疲れていたのか
グラスを割って床一面に散らばらせて
しまいました。
普段はシンクの中で割れることが
多いから、床は片付けが大変でした。
 
こんな日は外食したほうが良いって事
かもと思い、習い事から帰って来た
息子にどこに行きたいか聞くと
回転寿司。
 
スシロー、はま、くら、かっぱ
なぜかうちから行けるところに全部
あって回転寿司好きには天国な地?に
住んでますが、息子は昨日は
くら寿司を選びました。
 
私はお寿司4皿、スイーツ4皿とコーヒー
でひとりスイーツビュッフェ
しました。unhealthy~でも冬は自分を
甘やかそう笑
 

 
 
くら寿司歴14年位かな?
昨夜、初めて「びっくらポン」が
2回当たりました。
(一回の食事で1回しか当たったこと
ありませんでした)
 

”これからは、こういう日は

今日みたいに無理しないで

外食するのがいいよ”っていう
メッセージかな、と
勝手にそう受けとりましたキラキラ
結構直感で生きるタイプなのでブルーハーツ
 右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印右矢印
 
さて、最近気づいたのですが
私は実家のお金を放蕩娘のように
使ったと強く思い込まされて
いました。
 
しかし自分が大人になって、
家計を管理する立場になり
子供にこれからかかる学費を
用意しなくてはいけなくて
私立の場合、公立国立の場合
引っ越した場合など
さまざま試算しなければならない
立場になり、
何十年も経って今やっと
子供(私)を犠牲にして
両親はお金にかなり余裕のある暮らし
をしていたと言えると気づきました。
 
子供の頃私達は母方祖父母の家に住んでいた
ので家賃もかからず、ローンもない。
保育料も延長保育料も学童保育料も
かかりませんでした。
両親は正社員と公務員で合計年収は
1000万位だったと推定しています。
 
祖母が作ったご飯を食べるから

毒母は料理もしなくてよかった。

 
私は近所の公立小学校が嫌で
いじめにもあい、どこか寄宿学校に
行きたいと言ってももちろん許されず
中学受験など打診さえされず
最低レベルの公立中に行くことになった。
中学途中もう嫌だからフリースクール
にでもいきたい
といっても許されなかった。
 
近所の退職した校長先生が
開いていた寺子屋のような塾
(多分月謝は7000円位)
に通っただけで上位の公立高に
合格&入学した。
 
殴ったり怒鳴ったり見張ったり
戦時中のような暴言を吐く祖父が嫌で、
何度も近隣の政令指定都市に
引っ越したいとも言ったけけれど
毒母は
「そんなことできるわけないでしょ」
と宙を見上げ自分が悲劇のヒロインに
なるばかりだった。
 
しょうがないことだけど
祖母の作る魚と野菜の煮付けばかりの
ご飯が合わず、私は毎日お菓子ばかり
食べて、太り、虫歯もありましたが
毒母は何ともしようとしなかった。
 
高校までで、どれほど金銭的には
貢献したか計り知れないけれど
子供の私には知る由もなかった。
 
都市で、小さなアパートかマンション
でもよかった。
毒母が働いていて鍵っ子でもいいから

学校から帰ってきたら、

妹とも誰とも比べられずに

見張られずに

自分の時間を過ごし、充電できる。
そんな時間がある子供時代だったら
あんな両親だとしても
心身の破壊を免れたかもしれない。
私の心身の犠牲あっての田舎同居
ぐらしだった。
 
毒母が働いていて忙しいなら
週何度もファミレスや
スーパーのお惣菜でもよかった。
 
昭和の粗食を無理にありがたいと
思わなくてはいけない
と食べさせられ
結局お菓子ばかり食べているよりは
その方がずっと良かっただろう。
 
大きな家に住んでいたことは
小中までは唯一誇らしかった
ことだったけれど
高校で大きな都市に通うようになると
田舎者といじられ
バイトも住所で不採用になることが
多かった。
土地が安い所に住んでる
といわれたこともあるし、

レンタルCDショップでは

未成年+市外住所だと会員証が
つくれないと邪険に言われたことも。
 
家を出て海外や東京に来てからも
○郡○町の実家の住所を
馬鹿にされたこともあった。
 
田舎町での祖父母との同居は
両親にとってのメリットのみだった。
 
毒母は「婿養子を連れてきた
親孝行な一人娘」と自分が世間に
見られる。
 
そうすることで
自分がよい娘だと親(祖父母)
に認めさせられる。
 
その上、金銭の苦労も全くなく
家事や子育ての負担も少なくなる。
 
毒母の職場もすぐ近くっだたが
毒父の会社は
政令指定都市のはずれにあり
車で一時間かけて通っていた。
 

辺鄙な田舎町での暮らしは

圧倒的に毒母にとって有利

だったわけだけど

毒母はそれを

「出てなんか行ったら

おじいちゃんに〇されるわ」

と涙を浮かべて悲劇のヒロインに

なるばかりだった。

 

後に息子が生まれてから毒母に
小さい頃虐待され苦しかった
ことを話すと
暴力も暴言も全て祖父母の
せいにし、
「母親なのに助けようとしないかった
自分は悪い」
などという思考が全くないのに
驚愕した。
 
毒母という人は、
自分に優位で、
周りのせいにできて
自分が罪悪感も何も感じなくてよく
逆に周りが罪悪感を抱くような状況を
上手に周りを操って作り上げていく
悲しき天賦の才の持ち主なのだと
思います。
 
 
ただ、数少ないいいところで
毒母の側(祖父母と毒母)
はなぜかかかったお金に関しては
あまり口にしませんでした。
 
お金に関して色々口に
出したのは毒父でした。
 
「この家は、
車も家も全くローンがなく
お父さんは仕事に集中できる。
お前も恵まれた環境に
感謝しなくちゃいけない」
 
(ローンがなく仕事に集中
できるのは親側のメリット。
私は毒母が祖父母を操って
監視・虐待、責任転嫁させられない
環境の方がほしかった)
 
 
「お前がこの前ホームステイに
行ったので50万かかった」
 
(ホームステイに行ったのは
公立高校に入学したら初海外に
行かせてほしいと約束してたから
だった。
私立に行ってたら差額50万どころ
ではなかったのは、今考えると
明らかだが、
そこは伝えられることがなかった)
 
「お前がこの前大学受験の
教材を買ったので〇万かかった」
 
(進学校に入りほかの子は
親に予備校やらいろいろ言われて
行っているのに、毒母毒父は
まるで無関心。
何一つ声掛けしたことがない。
それで教材をしつこく訪問販売
しにきたおばさんがあれこれ世話を焼いて
くるのでその教材を
買ってほしいと言って、
買ってしまったことがある。
でもそれも、ちゃん親として
子供の将来を考え声掛けしてたら
教育熱心で予備校に通わせてたら
私立(中)高に行ってたら
と考えると
相殺できるものだろう)
 
 
 
「留学というお金を出して
やったから、
お前は英語が話せる」
 
「お父さんとお母さんが
学費を払ってあげたから
今お前は語学でお金が稼げている」
 
(虐待により小学生で
すでに心身を病み、
それでも頑張って公立だけで
高校まで頑張ったが
高3の時ついに限界がきて
休学し日本の大学受験を諦めた。
 
留学を毒母が認めたのは、
それまでしてきたことを
帳消しにしたいウラの
思いがあったからだろう。
 
留学は不本意だった。
難関大学に合格したうえで
交換留学を勝ち取りたかった)
 
 
このように、
大人全員に無価値以下と
思い込まされた上で
毒父には、かかったお金だけを
言われたゆえ、
私は両親のお金を湯水のように
使い果たしたと思い込まされたが
実はそうではなかった。
 
そんなことに、アラフォーになり
子供は10代前半になった
今になってから
やっと気づいたものだから
上手に簡潔にはまとめられなくて
思いのほかだらだらと長くなった。