このHappy peopleという
Quoteが何となく目に留まり、
いろんなフォントのをスクショして
みたりしていました。
(一つ一つ微妙に違うけれど)
虐待のストレスで思春期から自律神経を
おかしくして、吃音気味になり
言葉がスラスラ出てこなくなったので
話がポンポン出てくる早口な女の子に
戻れる日を追い求めてきた気がします。
 
でもTalk less..言葉少ない人のままで
いてもいいんだ、
むしろHappy people talk lessなんだ?
と思ったら気が楽になりました🥰
 
Don’t show off(自慢しない) は
判断が難しいです。
何故なら、このブログの
全く同じ記事を読んで
「とても勇気づけられました」
と言ってくれる人と
それを鼻もちならない自慢話と捉え、
「幸せだったら自慢しないのに」

「自慢・自称・ナルシスト」

等の批判記事を書きづづけるほどの

敵意を持つ人と両方いるのを

知ってるからです。

 

Help others・・他を助ける

Help less fortunate

・・自分より不幸な人を助ける

も実は難しいです。

 

私は、こんな経験をしました。

 

息子が小さな幼稚園に通っていた頃

息子はそこでおそらく一番華のある子で

人気があっていつも友達に囲まれ

劇や運動会などで次々に大きい役を任され、

私たち夫婦も多分一番?

見た目がよく若い両親でした。

(後からいろんな人に言われたことを

整理して気付いた)

 

その時私はどの母親からも完全に避けられ

どうにも、どうにもならなかったです。

ある行事の時は、夫と義母といるとき

一人でいた息子のペアの子の母親に

挨拶すると、怪訝な目で凝視され

平気で無視されました。


別の親子の落としたものを拾ってあげようと

すると「けっこうです!」と

冷たくいわれました。

 

珍しく寄ってくる人は

マウントをとるための言葉を先に用意して

そのためだけに寄ってきているのが

解りました。


最後の運動会で息子に攻撃してやろう

という計画を大人である母親達が

建てるほど逆恨みされました。



なぜ?なぜ?

なにもしてないのに。。

その時は呑み込めず3年間苦悩し続けました。

 

息子が小学校入学から海外に行ったけれど

もう懲りて日本人の母親とは

一切かかわりたくないと思っていました。

 

息子はインター園出身でなかったので

入学当時英語が話せず、

夏生まれで日本では

同学年の中で生まれが早い方だったけれど

海外での学年・学期方式の違いから、

クラスで一番生まれが遅い生徒となり

しかも2年生の3学期から入学

する形になったため、

ずっと難なく「できる子」の枠に

入ってきた息子は

あまりのショックに

毎朝の朝礼にも出られず

私の手をずっと握って

私の後ろに隠れていました。

子供の輪の中に入っていこうとせず

別人のように幼児がえりしてしまって

いました。

 

すると、ある日そんな私たちを見て

ある日本人のお母さんが

目を輝かせて話しかけてきて

全学年に数人ずついた

日本人のお母さんたちに

声をかけて私に紹介すると沢山集めました。

 

「かわいそう。大変」

「うちの子が通訳してあげるよう

いっておくね」

「うちの子は友達がいっぱいで約束が

いつもあるけど、〇〇君のこととても

心配してるから

お友達になってあげるね」

 

息子が産まれてからそれまでで

最悪の状態だった時

なぜか私はそれまでの人生の中で

一番女性に人気..というほどでも

ないが普通に温かく迎え入れられました。

 

幼稚園の時と、海外に来てから

このあまりのコントラストが

とても怖かったのです。

 

 

他の母親達に誘われて家に遊びにいくと

不幸のどん底の私たちに

すごーく親切にしてくれる隙に

「〇〇君(息子)学校では一言も

しゃべってないんだってよ」

と心配そうな素振りで言ってくる

のが通例でした。

 

私はほんとは気づいてました。

 

そういうことを言うとき

母親達の目がキランと輝いてたこと。

私の反応を興味津々に伺っていたこと。

 

でも、思い違いだと自分に言い聞かせて

いました。

まだ、人を信じたい気持ちがあったから。

人の善意を信じて

受け取りたい気持ちがあったから。

 

決定的になったのは次の学期になり

息子が持ち前の華やかさで

様々な人種の子と友達になり

(アジア人はアジア人groupで固まる

場合が多かった)

さらっと英語を身に着けていき

遅れて夫も一緒に住めるようになり

落ち着いて

幸せに暮らし始めた時でした。

 

さーっと潮が引くように

今まで向こうからの誘いで仲良くして

いた人に無視されるようになったり

連絡が途絶えたり。

 

最初の学期は

周りの日本人の子が賞をもらうのを

私はその子母親に「おめでとう」って

拍手して言っていました。

その母親は

「今日見てたら〇〇くん、

あとちょっとって感じだね😉」

等、しょっちゅう上から?心配する

LINEが来ていました。


素直に「ありがとう」って

返していました。

 

次の学期になって、うちの子が

大きなものも含め、

次々に賞をもらっていくように

なると、連絡がぱったりと途絶え

「おめでとう」さえ言われなかったのです。

 

人は人の不幸を望むもの。

女性は自分より不幸な女性が大好き。


そしてなぜか私の不幸は

極上の蜜の味なのね?

 

この世の醜い真実を認めざるを得ない

二つのあまりにも違う状況を

私はその数年で体験したのでした。

 

上のquotesの中の言葉を借りれば

人は皆、自分は「自分より不幸な人を

助ける」幸せな側の人間なんだ。

と思いたいのだ。

 

だからこちらが幸せそうなときは

「お前の助けなんかいるか

見下しやがって」と無視し

陰で足を引っ張る。

こちらが不幸のどん底の時は、

大手を振って

笑顔で仲間に引き入れる悲しい

 

やっと毒親と気づいて決別し

新しい人生を歩もうと模索していた

まだまだ不安定で弱い私の心に

次に襲い掛かってきたこの母親の世界の

醜さ陰湿さが

私の古傷で痛む心を再起不能寸前まで

毒しました。

 

「毒親」とともに私を苦しめつくした

もう一つが「女性からの攻撃」

その苦しみを書くことで

自分も癒され、そして同じことで

苦しむ人が「自分だけじゃない」と

思ってくれるwin-winが生まれる

可能性があることを私は知っています。


でも、勇気を出して書いた同じ記事を

自慢話という角度からしか

捉える気がない人がいるだろうことも

知っています。


でもそれはquotesの言葉を借りれば

ignore bullshit

(馬鹿馬鹿しいことは無視)ってことで

割り切って書いていかなければ

ないだろうと、意外と決心がついてる

自分に気づきます。