先日書いた異常に絡みつくような

 

コメントをしてきた人なのですが

 

 

 

 

全然違う人生なのになぜ

 

「同じ」「負けてない」と張り合い

 

絡みつくのか不思議だったのですが

 

後になっていくつか

 

彼女の嫉みポイントが判明したのです。

 

 

 

その一つが、私が「地元を出ている」

 

ということのようでした。

 

正直予想外でした。

 

 

私より上の年代の方には、

 

「家を継ぐ」という

 

感覚が強く残っていたことを

 

知っているつもりです。

 

私の実家も、毒母が一人娘だったため

 

農家の長男だった父を婿養子に

 

迎えてまで家を継がせましたが

 

それを知っていても

 

私に「家を継ぐ」という感覚は

 

ありませんでした。

 

 

長男だった父が家を出た、父の実家は

 

お嫁さんを迎えて父の弟が継ぎましたが

 

その子供の従弟たちは東京に出ました。

 

 

なので、アラ還世代とアラフォー世代は

 

20歳位しか違わないし

 

戦後に生まれたということでも

 

一緒だけれども、価値観がガラリと

 

変わった世代だったと思います。

 

 

私たちの世代は「跡継ぎ」という事

 

に振り回された人も少なかったし

 

成人の頃には

 

携帯、ネット、新幹線、夜行バス、

 

マンスリーマンション、ネカフェ

 

派遣で働く...など何でもあり

 

その気になれば、

 

地元に近い大きな都市でも

 

東京でも、大阪でもどこでもいける

 

世の中だったから、

 

私は、私たちの世代で地元に残ってる

 

人は、地元に残りたくて残っている人

 

がほとんどだと思っていました。

 

 

でも、


同世代で跡継ぎでも親に反対された訳でも


なんでもないのに、近くの大きな都市

 

どころか、〇郡〇町のようなところから

 

一生出ず、出た人のブログを見て

 

絡みつき噛みつかずには

 

いられないほど妬んでいる....

 

そういう人もいるんだな

 

ということを知りとても

 

不思議に思いました。

 

 

 

絡みつきコメントの人は、私の毒母に

 

似ていると思っていました。

 

どこがか?というと東京に出るという

 

チャレンジをしなかったため

 

「東京に出ていたら

 

私は大成していた」と思いこんでいる


(肥大化した自己像を抱えている)

 

らしかったことです。

 

(毒母も本気で出たければ出られたのだから

 

私を虐待した言い訳にならないけど、

 

価値観が変わった世代であった私への

 

妬みがあったことはわかります)

 

 

でも、よく思い出してみたら妹も

 

私が大都市や海外に出ていくことに

 

過剰な反応をしていたなと思います。

 

 

最近蘇ってきた記憶です。

 

私が高校を卒業し海外渡航を控え

 

妹が中学を卒業し進学高に入った

 

頃でした...

 

家族全員留守で私と妹だけが家に

 

いました。

 

長年の虐待で心身を病んで、

 

日本の大学受験を諦め

 

心療内科に通いながら、

 

渡航を控え不安だった私は

 

妹と何か会話していて

 

「私は一つのところに留まらない

 

人生がいいなって思ってる。

 

ちょっと変わった人生に

 

なりそうだけど頑張ってみるね」

 

と自分を励ますように言うと

 

妹が突如いやああーー!!!

 

と大声で叫びだし

 

ちょうど帰ってきた

 

祖母と毒母に向かって

 

「お姉ちゃんが田舎にずっと住む

 

なんて平凡でくだらない人生。

 

私はあなたたちとは違うって

 

馬鹿にしたイヤぁああ

 

と言い泣き叫びだしたのです。

 

 

毒母と祖母は

 

「どうしてそんなこというの!!」

 

と私を叱り、私は

 

「そんなこと言ってない!」

 

と言うと

 

「じゃあもうおしまいでいいでしょ」

 

と祖母・毒母は片付けようとしました。

 

 

 

子供の頃、反対に私が妹に酷いことを言われ

 

「妹が○○と言った!!」

 

などと泣いて訴えたら

 

「Sちゃんは何も悪くない

 

うるさい!!」と言われて、私は

 

外に引きずりだされていました。

 

なので、妹は嘘をついて人を陥れよう

 

としても「おしまい」で片付けられる

 

ことは、私には大人に近い年になっても

 

非常に不公平に感じられました。

 

 

妹はそのように私を陥れてエネルギー

 

を奪うことが幼いころから

 

当たり前になっていたので

 

高3まで何とかこらえて生きてきた私が


高3でついにくじけて

 

精神科通いになり、休学し、

 

進学校なのに日本の大学受験をやめる

 

など問題が噴出したことで、毒母が

 

(やばい、やりすぎたかな?)

 

と怯えついに私を痛めつける手を緩めて

 

いたことが、姉をいとも簡単に

 

奈落の底に突き落とせることを

 

当然として生きてきた妹にとっては

 

不満でならなかったのだと思われます。

 

私と妹は物事を全く違う面から見て

 

お互い不満を感じていたのです。

 

 

上のような姉妹差別については、

 

このように分析できるのですが

 

なぜ、海外や大都会に出ていくことに

 

あれほどに過剰に反応していたのかは

 

わかりません。

 

 

当時妹も学区一の進学校に進んだ

 

ばかりの16歳で、望めば将来東京でも

 

海外でも行けたはずです。

 

ずっとふみつけてきた姉から

 

搾取できなくなる怖さは

 

あったと思いますが、ちょっと

 

理解に苦しみます。

 

 

 

4年後、私が日本に帰ると

 

妹は専門学校を退学して

 

フリーターだった時、


病気が見つかりました。

 

当時の私の彼は

 

県庁所在地(政令指定都市、以下○市)

 

在住で、妹の彼はそこから車で1時間半

 

程車でいった県境の田舎町の実家から

 

出たことのない人でした。

 

当時○市でも働いていた私が妹に

 

「○市の南口の○通りに

新しいカフェができていたよ」

 

と世間話をすると

 

「ふーん。私、ninaちゃんみたいに

 

なんでも○市がいい、東京がいい

 

都会がいいっていう人ってイヤ」

 

と都市が好きという好みにまでも

 

罪悪感を抱かせるように仕向けて

 

きました。

 

 

近所の何歳か年上の幼馴染のお兄さんが

 

私が海外の大学に行ったことを聞いて

 

「すごい度胸だ」とほめてくれたり

 

祖父も同じようなことをいって

 

褒めてくれることがありましたが、

 

(私は東京の大学を受験しなかった

ことを後悔していたから、そんな

気持ちはなかった)

 

それを聞くと祖母は

 

「3丁目の○ちゃんも海外に

 留学したよ」

 

「隣の家の○くんと隣組の○くんだって

 

東京の大学にいったんだよ」

 

と面白くなさそうな顔で

 

「あなたは特別なんかじゃない」

 

という風に戒めて?くることが

 

ありました。

 

 

毒母・祖母・妹は地元の町を

 

出たことがないチームだったので

 

3対1の心理になっていたのかも

 

しれませんが、ちょっとやはり

 

地元の町を出たことない人が

 

都会へ海外へ出ていく人生になった

 

人に抱く気持ちはよくわからない

 

ところがあるのが現実です。

 

------------

週末


Starbucksは書店と一緒になって
いるところとドライブスルーだけ
行きます。

沖縄のちんすこうのフラペチーノ。

 
帰りはジョリーパスタでデザートに
好みの固めのプリン。