前エピソード

 

 

 

幼い頃の話は書いても書いても恐ろしい

 

エピソードが出てきて書ききれなかったの

 

ですが、毒母は私が小さい時から

 

スポットライトなんて、

 

よべるのかわからないほどの、

 

ほんのちょっとの光が私にあたることさえ

 

嫌っていたように思います。

 

 

この話はまだ分かりやすい方の話だった

ということになります。

 

 

小学2年生の時に家を建て替えましたが、

 

親戚がたくさん家に来たときに、

 

妹が張り切って親戚の子達を

 

家中案内ツアーしていました。

 

数日後、毒母は私に

 

「みんながSちゃんに感謝しているのよ」

 

と言いました。私はそうできない私が

 

悪いんだなと劣等感を持ちました。

 

でも今思えばおそらく、私を前に出させない

 

ような見えないバリアを毒母が張っていた

 

のではないかと思っています。

(私が前に出れば毒針を刺し、引っ込んで

妹を立てれば「ほら妹の方が偉い」という。

これはダブルバインドというのだろうか?)

 

 

 

父の勤めていた会社の関連会社で

 

家を建てたので、父の会社の社長や

 

役員などをたくさん招待したことも

 

ありました。

 

その時も妹だけが自然にさっと出て行って

 

笑顔でお酌して社長の膝に抱っこされ

 

「かわいいかわいい」と言われていました。

 

毒母はうれしそうに笑い✨

 

私はいない子のようでした。

 

途中で悲しくなって、二階に行って

 

泣いていると毒母が優しい声で

 

「社長さんが“あの子は寂しいんだよ”って

 

心配してるよ。泣かないで来て」

 

と言われました。毒母に優しくされる


ことも「寂しいんだね」と気持ちを

 

思い遣られることも毒家族にはほとんど

 

なかったことなので嬉しかったですおねがい

 

ところが、数日後に毒母に

 

「みんな楽しくしてるところに

 水を差した!」

 

と怒鳴られ驚きました。

 

 

泣いて他人に同情されたり

 

人目をひいたりせずに光の当たらない所で

 

静かにじっと妹に嫉妬している存在で

 

あってほしかったけれど、社長さんの手前

 

その場だけ優しい言葉をかけてなだめた

 

という事だろうと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒母は親戚の集まりでたくさんの子供に

 

順々に話が振られる中、順番だから私に光

 

が当たるといういう事さえ嫌っていました。

 

私が5年生で「もうすぐ林間学校なのおねがい

 

と言うと、それさえも毒母は気に食わず

 

私を睨んで、すかさず4年生のはとこに

 

に猫なで声で話しかけました。

 

「Aくんは?あら、4年生で林間学校で

 

5年生でスキースクール、まぁいいねえ

 

さすが都会ねえ。」

 

言葉にはならなかったけれど

 

毒母のギロリとした目からお前は一歩でも

 

前に出るなという禁止令は感じていました。

 

---------

 

高学年の時だったでしょうか

 

初めて海外旅行にいこうという話になって

 

旅行代理店に行き、うれしくてたまらなくて

 

帰りの電車で座れたので、もらって来た

 

パンフレットを出して見ていたら、後から

 

「自慢したいんでしょ?

 

分かるんだよ。嫌らし~いニヤリ

 

と言われ、その後その旅行は知らないうちに

 

にキャンセルされていました。

 

 

中学生のとき初めて子供向けでない

 

洋画を映画館で見て、大人になったようで

 

うれしくなり電車の中で毒母に

 

その映画の話をすると、降りたホームで

 

「映画の事自慢したいんでしょ

 

恥ずかしい」と耳元で囁かれました

 

こういうことがあり、大人になってから

 

電車やカフェで堂々と大声で話す

 

同年代の女性を見ると理解できず

 

イライラしてしょうがなかったです。

 

 

 

毒母が本当に上品なマナーを教えようと

 

していたのであれば、こんな複雑な苦しみ

 

は持たなかったはずです。

 

 

「光の当たる所に出るな」

 

「水面より上に顔をあげるな」

 

そう口には出さずに、洗脳する。

 

毒親としての悲しい才能のある人

 

ゆえできた事でしょう。

 

 

人の中にいるといつも透明な手で

 

頭を沈められるような感覚は、私の人生の

 

裏のテーマなのではないかと思うほど

 

人から理解されない大きな苦しみとなって

 

いるので、この話はたびたび書いて

 

行きます。

 

続く

 

 

 寒い日が続きますね...

 

 

 
 

 
 

私は寒い時に暑い国に逃避するのが好きドキドキ

 

そんなことを自然に口に出すことも

以前はすごく難しかったです。

 

小学生の時、旅のお土産を持っていくのは

 

「嫌らしい」「お母さんそういうの嫌い」

 

と言われていました。

 

それなのに大人になり毒実家でお葬式が

 

出た時に、近所の同年代の子が喪服で

 

「これ、この前友達とアメリカ旅行に

 

いったお土産です」と故人と弔問客

 

みんなの前で堂々とお土産を渡して来ても

 

毒母は何もいいません。

 

毒母にとって私以外の子のすることは

 

みんな悪気がない事なのです。

 

なにかおかしい....

 

気が狂いそうでも、それでもまだ....

 

私は気付けませんでした。

 

 

社会人になってから会社に旅のお土産を

 

持っていくのも変な恥ずかしさを感じて

 

いつもモジモジ挙動不審になっていました。

 

「これヨーロッパいったお土産です

 

私のお土産皆に好評なんですキラキラ

 

と天真爛漫にいう年下の同僚がいて

 

羨ましくて涙が滲みそうでした。

 

変な呪いですよね💦

 

 

 

 

 

ninaのmy Pick