前記事の続きです。

 

 

 

 

 

小学3-4年生の頃の出来事です。

 

 

ある日、家の近くで段ボール箱を見つけて

開けてみると、

ちっちゃな子猫たちが何匹も入っていました。

 

特に動物好きではなかったけど、

捨てて置くのもかわいそうで

恐る恐る家の玄関まで持ってきてきました。

 

 

 

 

祖父は家の庭に猫が入ってきたら、

「庭を汚される」といって庭の小石をシュッと

投げて威嚇するような人だったので

当然駄目だといわれるのは

わかっていたのですが、

とりあえず毒母に「かわいそう。

どうしたらいい?」と聞いてみました。

 

案の上毒母に

 

「はぁ?やっだぁ~。なんなの?

 早く元あったところに返してきてよ」

 

といわれ、しばし

 

(この子たちをどうしよう…)

 

とそのまま玄関で途方にくれていました。

 

 

すると玄関の隣にあったキッチンから

毒母が祖母に私の文句をタラタラいうのが聞こえてきました。

 

そして多分わざときこえるように

 

「わたしは動物が好きな

やさしい女の子なの~ぉ♪

とか思ってるんでしょ。どうせ。」

 

と聞こえてきました。

 

すっと背筋が凍って

 

 

通りかかった毒母に

「どうしてそんなこというの?」というと

 

「はぁ?いいでしょ」と言われ

毒母はフンと立ち去りました。

 

一人玄関に立ち尽くして

 

そうか、私は動物が好きでもないのに動物が

好きだってだってふりをした恥ずかしい人間なんだな。

 

私はお母さんに“動物に優しい女の子”って

思ってもらいたかったのかな?

 

私はやっぱりみにくくはずかしい子供なの?

 

母の毒は深く深く

9歳の心に染みていきました。

 

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これは暴力よりインパクトのないエピソードなのかもしれません。

 

しかし、この頃、家では日常的な屋外への

締め出しやがあり、

学校ではいじわるな子がいて

立ち向かう術がなく、

 

帰宅後は毒母に

「アンタ友達いないんでしょ」

と言われないように友達と約束をとりつけ、

 

約束しなかった日は

一人で自転車で学区内を

ぐるぐる廻ってから家に帰り

 毒母に辱められないように

努力していた私にとって、

 

母の思い描くような子に

なるから母に自分を見てほしい、

 

褒めてほしい

 

と願うことさえ

 

醜く汚い演技だと言われたことは、

 

もう心の行き場がどこにもなくなる思いでした。

 

 

悪いことをした時暴力や締め出しに

あうのはもちろん

一般的にはいいことをした時も

 

「いい子に見られたいという汚い心からやっている」

 

とされる。

 

心がどこに進んで成長していけばよいかわかりませんでした。

どの方向に進んでも見えないガラスの壁があってぶつかってしまうようでした。

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ある日、妹と母と映画館に行き動物ものの映画を見ました。

 

妹は母の隣に座り

動物が亡くなる場面を見てポロポロと

素直に涙を流して泣いていました。

その姿を母が優しく見守っていました。

 

それを見ていたら

どうしようもない悲しみと怒りが沸いてきて、

こらえきれず映画館で

 

「Sは自分のことを優しい女の子だと

おもって泣いてるのにどうして

お母さんは何も言わないの?

自分のこと優しい子って思って

やってるんだよ」

 

といいました。

 

毒母は「やめなさいよ」とだけいいました。

 

後で人がいなくなったら

いつものようにこっぴどく叱られるかなと

思ったらあまり叱られませんでした。

 

毒母はいつも自分が私に言っている言葉が

そのまま私の口から出てきたことに驚き

私がそれくらいの年齢になったことに気づき

焦ったのではないでしょうか。

 

しかし、その先も私に対する毒母の

毒が止むことはありませんでした。

 

 

私はいつもそわそわと落ち着かなくなり、

いつも髪を抜き、

手の親指と人差し指の間の付け根を

しょっちゅう噛む癖がついて

真っ赤になっていました。

 

しかしうちの実家では大人全員が

一致団結して私が悪いということで

家がおさまっていたので

 

誰も

ninaに強いストレスがかかってるのでは?

 

などと察しようとする人はいませんでした。

抜毛癖は「はずかしいからやめなよ」

といわれ、

真っ赤になっている手を見ては

「へんなの」と冷たくいわれただけでした。

 

でも本格的な心身症を発症するまではもう少し時間がかかりました。

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まだ小さな我が子に動物の命を

大切に思う気持ちがあることを知って

成長に目を細めるのでも、

ただ「うちは飼えないの!」

というのでもなく

「自己陶酔してる!!」と騒ぐ

心の醜い母親っていったい

どれくらいいるのだろうか。

 

 

 

 

子供が真似たり演じたりしながら
この世界を生きるモラルを身に着けて
いくのは普通のことのはずなのに
 
本来可愛いはずの自分の子供が
成長過程で「優しい女の子」や
「可愛く素直な女の子」
を演じながら自己肯定感を
育てている事さえも
許しがたくこっそり後ろから
毒を浴びせずにはいられなかった毒母
 
ずーっと後に、毒母の強い
「悲劇のヒロイン·自己陶酔願望」
に気付き
自分の脚本を実現するためには
「周り人間の人物設定まで
勝手に決め、演じてもらわないと
気が済まない人」であることに
気づいたことで、
なんとなくその理由がわかりました。
 
でもそれはまだまだずっと後のことでした。
 
続く