気持ちを穏やかに過ごしたいのだけど、イライラし易くなっている嫌な自分に気付いて凹む瞬間がある。
イライラの原因は加齢によるものか素性なのか、はたまたストレスに起因するものか。傍から見て面倒な爺さんにはなりたくない。
予防策としては、荒んだ気持ちを癒してくれる小さなパートナーとの暮らし。我が家でもお世話になっている。
とはいえ出張先でパートナーを作るわけにはいかず、自宅から時折送ってもらう癒しの写真や動画で凌いでいる。
さて、癒し写真の効力が薄らいだタイミングであったのか、先週、自分の未熟さにはっとする瞬間があった。
滞在中のホテルでは、いろいろな団体客を受け入れている。以前には、日本では見たこともない様な大型の2階建てバス2台に分乗するサッカー観戦の団体客を受け入れ、数日間にわたり朝食のブッフェの料理の提供が間に合わない事態に遭遇した。また、先々週にはホテルのホールで開催されるイベントの参加者であろう車いす利用者の団体客が宿泊されていたが、ホテル側では朝食のレストランに食器を乗せるトレーを用意するでもなく、テーブルに並ぶ料理の高さを工夫するでも無かった。ホテルのスタッフのキャパシティの考慮や利用者へのホスピタリティはぼちぼち、というところ。
そして先週。いつものように朝食のレストランに行くと、レストランの手前で白杖を持った20名程の団体に遭遇。身体障がい者の社会進出や自立を支援するイベントなのかも。主催者側と思われるスタッフが行列の先頭でテーブルを叩いて食器が並ぶ位置を案内するものの、あくまで個人の行動を促している印象、アテンドするスタッフは数名で、個々をサポートする様子は見られない。果たしてこの体制でオペレーションできるの?白杖を片手にお更に料理を取って回るの?
私はといえば、コロナ感染予防策として朝食は自前のお皿とボウルとマグを持ってレストランに行き、料理とコーヒーを取って自室に戻ってから頂いている。そもそも料理は選ぶ(迷う)ほどには並んでいないので、当日も料理のテーブルに団体の行列が並び始める前に、事務的にコーンフレーク、コーヒー、卵料理、フルーツを取ってできあがり。この時点で出勤まで残り40分で時間の余裕なし。さて、部屋に戻ろうかとレストランの出口を見ると、その団体の行列が出口を塞いでいる。
ここで少し「イラッ」っとしたのかもしれない。アテンドしているスタッフに「Permiso!」と声をかけて道を空けてもらいつつ、狭い通路に並ぶ行列の横をすり抜けるように進んだ。途中で行列の中の女性の腕に触れてしまった途端、女性は慌てて「Perdon!」と謝ってきた。ただ触れただけ、お互い様という状況で、女性の声に驚かされた。第一声に「ごめんなさい」を発してしまう生活であろうことが伺えた。
身体障がい者の方の暮らし、苦悩、努力、生き様、負担、喜び。いろいろな事を娘や娘の恩師、先生方から教わったつもりでいた。
自分は障がい者について理解しているとの自惚れが、出勤時間を気にしたばかりに女性にPerdon!と叫ばせたことでメッキがはがれた感じ。
あらヤダ、器の小さな人間だわ。嫌なタイプの爺さん一直線じゃないか。
齢の重ね方、軌道修正しないといけない。ここは、「老いては子に従え」です。
吹奏楽をやっていた息子には、文化や芸術のある生活の豊かさを学んだ。自分の暮らしの中には無い要素であるだけに、とても羨ましい。
生活に文化や芸術を取り入れるのは人間の特権だと考えると、文化や芸術に触れることで人間らしい爺さんを目指せるのかもしれない。
齢を重ねて、陶芸や俳句、短歌に嵌る方の気持ちが判ってきた。生活費を稼がないといけないので、汲々とした生活は変わらねど。