前回、源義経について長々と語ってしまいました![]()
さてさて、戦で大暴れし、
平氏を滅ぼすという大誉をやってのけた義経。
まだまだこれから開花する時であったのに、
平泉で無念の死を遂げました。
平将門しかり、
昔から、偉業を成し遂げた人は、
やはりそれをよく思わない者たちの力か、
はたまた栄枯盛衰の理か、
無念の死を遂げるものも少なくありません。
そして、その無念の死を遂げた瞬間から、
それは亡霊や怨霊となり、
死してなお人々に恐怖を与えてきました。
義経も同じように、
「高館物怪(たかだてもっけ)」と呼ばれる怨霊となり、平泉の地を荒れ狂いました。
義経が自害した翌日から、
亡くなった場所から毎夜のように、
太鼓の音のような、また人々の呻き声のような音が、聞こえるようになりました。
義経を自害に追いやった藤原泰衡を始め、
奥州藤原氏の人々は、
義経の亡霊に違いないと、大いに恐れました。
陰陽師に祈祷を頼みますが、
全く効果なし![]()
それどころか、ますます広い範囲に聞こえるようになります。
そこで出された策は、
義経が生前好んでいた剣舞を披露することでした。
すると、剣舞を披露している間は、
例の音は止みましたが、
舞が終わるとまた音が聞こえます。
それでも、剣舞の披露は、
毎日のように続けました。
剣舞を演じ始めて7日目のこと。
どこからともなく、1匹の猿が現れ、
剣舞に合わせてその猿も一緒に舞い始めます。
すると、多くのものを悩ませていた恐ろしい音は、それ以降ピタリと聞こえなくなったといいます。
実はこの猿は、お釈迦様の化身で、
彷徨っていた義経らの亡霊を慰めるために現れたといわれています。
この剣舞は、
「高館物怪」の名のもとに、
「朴の木沢念仏剣舞(ほおのきざわねんぶつけんばい)」として、奥州市で今日も演じられているようです。
義経の亡霊は、不気味な音を出して、
人々を怖がらせはしましたが、
平将門の亡霊のように、
人を不幸にはしていません。
そんな亡霊を鎮めるための剣舞が、
長い時を経て今でもなお伝統として続いているのは、
人々が、義経の勇姿を讃え、
義経の無念に共感してきたからでしょうね。
余談ですが。。。
義経といえば、、
鞍馬山の天狗から修行を受け、
牛若丸として、京の五条大橋で暴れまくっていた弁慶と戦い、見事勝利を納めます。
それ以降弁慶は義経に生涯忠誠を誓いました。
五条大橋での戦い、
多くの書物では、
弁慶は大槍をもった大男、
牛若丸は橋の欄干で笛なんかを吹いてるシュッとした美男子、
のように描かれています。
しかーーーし、
実は、義経、
背がとても低く、なんならとても出っ歯だったそうな![]()
そして、
「義経は、とても出っ歯だから、
戦の時にはすぐ義経だって分かる」
と言ってた人も。。。
あぁ、、
う、うん、、
でも、
こういう一面を知ると、
同じ人間なんだなと思うよねー
うん。
