栗毛の少年は「小ベース」から毎日徒歩圏内の本社に通い、短髪の少年はその使い勝手のよいシステムを買われて、他によほどの案件でもない限りは会長の女の専属の警備要員として、どこへでも(わりと楽しそうに)ついて回っていた。長い黒髪の男は、アームの管理を任されてベースと本社を行き来することが多く、金髪の彼はベースのアームと同様に、案件ごとの仕事を請け負って現場に出向いた。
「小ベース」の住人が留守がちだったため、中は大抵とても静かだった。城戸家に雇われ、城戸翁に長年仕えてきたT老人こと辰巳老人が、古美術品のコレクションのメンテナンスのため、月に何度か出入りするときに、少しばかり騒がしくなる程度であった。
栗毛の少年はその日も本社にいた。たまたまた仕事が立て込んでいて、ジムのシャワーをつかったり、椅子を並べて仮眠したりして過ごすうちに、気がつくと一週間ほど「小ベース」に帰っていなかった。
そろそろ帰らなければならないと思った。何故帰らなければならないかと云うと、家に置いてきたものが心配だからである。犬や猫の話ではない。金髪の同僚のことだった。
彼の第一印象は、彼特有の作り物めいた無表情のせいで、「冷酷そう」だったが、話をしたり少し関わった後の印象は、「意外と優しそう」であり、一年近くそばで生活してみた最近の印象は、「押しに弱そう」「考えてなさそう」「放っておくと死にそう」である。自分より一つ年上の彼を心配するというのもおかしい気がするが、いつの間にかそうなった。
金髪の同僚が、栗毛の少年らが棲みかにする小ベースに初めて来たのは去年の九月某日のことだった。
栗毛の少年はその日のことを――正確にはその日は、金髪の同僚にも大いに責任がある散らかした仕事の後片付けで帰宅できなかったので、その日の翌日のことを――よく覚えている。栗毛の少年が夜遅くに小ベースに戻ったとき食堂に短髪の少年と長い黒髪の男だけがいた。
栗毛の少年が氷河は、と訊くと、部屋だろ、と短髪の少年が答えた。長い黒髪の男が、ずっと寝ているようだと付け加えた。栗毛の少年は、新入りの彼と話をしなければならないと思っていたので部屋へ出向いた。
金髪の彼は、強めの冷房のかかった暗い部屋で、真新しいマットレスを置いただけのベッドの上で横になっていた。眠っていたわけではなく、少年が部屋に入っていくと、何だ、と云った。少年は部屋の明かりのスイッチを入れたが点かなかった。長いこと誰も使わなかった部屋なので蛍光灯が切れていること自体には何の不思議もなかったが、きのうからこっち、新しいものに交換しない理由はないように思われた。栗毛の少年が月明かりしかない中で眼をこらすと、備え付けの壁際のボードの上にビールの空き缶が何本か転がっていた。
あれ飲んだの、と少年が訊くと、金髪の彼は横になったまま、何を、と云った。
少年は優しく、マットレスにシーツを敷かない理由と、蛍光灯を交換しない理由と、食堂に降りてこないでビールを飲んでいる理由を尋ねた。同僚はしばらく黙っていたが、しまいに、おそらく最後の質問に答えて、喉が渇いたからだと云った。
そこで栗毛の少年は、同僚のシャツの胸元を捕まえてベッドから引きずり起こした。そうすべきだという衝動がわき上がったのである。
その後の約一時間を、蛍光灯の交換から始まり床の掃除、窓のブラインドに載った埃を取ること、物置から新しいシーツや枕を取り出しシャワーバスの湯の出方を確認しタオルや石鹸並びにシャンプーを設置すること、冷蔵庫の中にビールだけでなく水のボトルを入れることなどに費やした。部屋が多少生活空間らしくなったところで少年は作業を終了した。これまで黙って作業に付き合っていた(本当はこちらが付き合ってやったのだが)新入りの彼と連れだって一階の食堂へ降りた。彼をテーブルに着かせて自分用に用意していた夜食を前に置いてやったところで、金髪の彼が栗毛の少年に、一体何の騒ぎだ、と訊いた。
その後一年近く同じ建物の中で生活してみて、彼が未成年なのにビールを飲みまくるのは生まれ育った国で水代わりに飲んでいたせいだとか、彼は一日一食も食べれば十分な体質らしく三日くらいは食べなくてもぴんぴんしているとか、全く趣味を持たないらしいこととかが分かった。
そんな人物のことは、本当は放っておけばいいのだろう。仕事中の彼は、例の「冷酷そう」な雰囲気を全身から醸し出してソツもないし――幸い、彼が遂行する安全提供サービス全般に愛想は必要なく、彼からもクライアントからも不満があると聞いたことはない――、何の問題もないはずである。
金髪の同僚は最近、「輸送サービス」の案件を定期的に受け持っていた。「輸送サービス」は、その筋の会社ならばどこでも提供している後方支援サービスに含まれ、特に物資の調達やスケジューリングを経て最終的に物資を目的地へ運ぶという直接のサービスを指す。当然ながら目的地の治安はたいてい絶望的に悪く(そうでなければ仕事は回ってこないだろう)、グラード商事は費用対効果が見合う限り、「輸送サービス」にアームを参加させていた。金髪の同僚がそのサービスのために出かけると、短くて半月程度、長ければ三ヶ月程度出かけたままだった。
今回もその「輸送サービス」の案件のために金髪の同僚は先月から日本を留守にしていた。そして栗毛の少年は、金髪の同僚が担当した輸送機が数日前に無事に戻ったのを知り、その同僚のサインが入った「問題なく目的地に物資を輸送して帰還した」という簡単なレポートが提出されたのも確認した。本人の顔は見ていないが、サービスの提供が完了した以上小ベースに戻っただろう。次の案件が入るまで当分非番だ。それが問題だった。どうせ今頃、部屋に引きこもって食事もせずにぼんやりとビールを飲んでいるに違いない。そう思うと栗毛の少年は落ち着かず、仕事が手につかなくなった。
短髪の少年や長い黒髪の男は、仕事がろくでもないとか、会社がろくでもないとかよく文句を云った。その分を余暇に気晴らしする方法を心得ていた。それが普通ではないのだろうか。
金髪の同僚が楽しそうに笑うところをあまり見たことがなかった。たまに控えめに微笑むさまを見ると、胸が痛むような気がした。
それを一度残りの二人の同居人に云ってみたとき、短髪の少年は、「俺がたまに遊びに連れだしてやる」と気楽に云い、長い黒髪の男は逆に深刻そうに、「どうにもしてやれんかもしれないな」と云った。
兄はかつて、「のたれ死にしたがっている奴に入れ込むと苦労する」と云った。「お前の方が詳しいはずだ」とも云った。しかし自分は、彼のことを知っているとは思わなかった。知りたいという思うほど、ますます知らないという気がした。