退院して間もない頃、
通院時は、大部屋のみんなと病院でちょこちょこ会いました。
Cさんとはたまたま通院日が合うと予定を合わせて会っていたのですが、
一緒にいると、院内で、なぜかまだ付き添い入院中のAさんと遭遇する。笑
三人集まるとハグ!!
「本当にみんながんばってる!!お疲れ様!!!」
的なことを言いながら、ギューッと![]()
リアルタイムで今でも通院していますが、
こんな殺伐とした大学病院のロビーで、円陣のようなハグをしている人たちは
私たち以外見たことありません![]()
当時は退院後すぐで、私とCさんは、ウォーッという己を奮い立たせたい気持ちもあったんでしょうね。
みんな大変だったんじゃないのか、と聞いたら
Aさんは「いや、私なんか全然…」
と謙遜していましたが、話を聞くと、やっぱりAさんが娘さんのことで一番重大な決断を迫られていました。
「Aさんが一番頑張ってたんじゃないですか」と言うと、
Aさんはそっと涙を流していました。
それにしてもCさんは歳の近いママなのに、美しくって、忙しい難病児のママには見えません。
私は入院時は常にすっぴんで、「これは仮の姿だから」と言っていましたが、
ちゃんとお化粧しているママもいて。Cさんもその一人。
パンプスを履いて、きれいな格好をしているCさんを見ると、私も元気が出ます。
「自分の人生も楽しまなくっちゃ!」と言ってくれます。
この人たちに会えてよかった。
それから数か月後。
私は乳児検診やなんやらで、他の子供と比べて非常に落ち込むことが多く…。
モヤモヤして、イライラして、心のつっかえがとれないままでした。
意を決して、Cさんに数か月ぶりにLINEしてみることに。
Cさんになら本音が話せて、難病児ママならではの悩み話もできると思ったからです。
すると、
「実は子供が緊急入院となり、今PICU(こどもの集中治療室)にいて、落ち込んでいたので連絡が嬉しい」
と返事がきました。
私はなんてバカなんだろうと思いました。
自分は、乳児検診で受けた心無い言葉に傷ついて、どうにか理解してもらえる人に話したかったのですが、
今、PICUにいるCさんとは、抱えているもののステージが違いすぎました。
乳児検診に行って嫌なことを言われたなんて、口が裂けても言えない。
Cさんとお子さんは、文字通り、命を懸けて頑張っているのです。
私は本当に大バカ者です。
CさんのことをLINEで心から応援しました。
またあの付き添い入院のさなかにいるんだ。
どうにか、どうにかCさんのお子さんの容体がよくなりますように…。
そうLINEしましたが、心の中では、別の穴がぽっかり空いていました。
娘は、大変ながらも、少しずつ減薬が進んでいて、
生活に制限はあれど、入院することなく毎日を過ごしています。
本当にありがたいことです。
でも、それでも健常児を持つお母さんとは比べ物にならない葛藤を日々感じていました。
ああやって抱きしめ合えたのも、みんながみんな、同じ部屋で、同じような辛さを抱えていたからなんだなと。
難病児のママは、みんなが同じようにしんどい時しか、抱きしめ合えないんだな、と。
ああ本当に私は、独りぼっちなんだな…
そう思って本当につらかった。
本当の気持ちを話せる人はもういない。
私の話は、みんな返事に困るから
その申し訳なさを思うと、とても友達には話せなかったのです。
この頃、猛暑でしたが、感染が怖くてどこにも連れて行けず…。
歩き始めだったので、ちょっとでも体を動かしてやりたいと思い、
毎日誰もいない商店街を走らせていました。
小さなお寺に行って、影で休んだり。
私たちは、どんなに暑くてもイオンに行くこともできない。
そのたびにツーッと涙が出てきました。
この頃が一番辛かったかもしれません。
※このブログは、当時の私の考えていたことを記録するために書いています。
今は私も明るく元気ですが、暗かったのときのことを書いているので、
不快に思われる方はそっと画面を閉じていただけますと幸いです。