【韓ドラ以外のドラマ】アンという名の少女①シーズン1-3 ネタバレ感想 | ROUTE8787 サンサクキロク

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【アンという名の少女】

シーズン1  7話 2017年3月~

シーズン2  10話 2018年7月~

シーズン3  10話 2019年9月~

☆☆☆☆☆

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.そこまでコアではないですが、

赤毛のアンファンです。

 関連する作品は、ほぼ観てます。

中でもミーガンフォローズ版が大好きです。

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で、こちらのドラマですが、

かなりアレンジしていて、新しいものになっています。

 けれど、アンらしさ、アンを取り巻く人や環境、プリンスエドワード島の印象が全く同じである事に驚きを隠せません。

 日常を描いた原作と比べ、

より、あらゆる問題を明確にし、

ドラマチックに仕上がっているのにも関わらず、そこに立ち向かうアンの印象は、

原作から知るアンそのものであり、彼女が説く言葉は、

同じように私たちの胸に響くのです。

 

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残念ながら、シーズン3で打ち切りとなった本作。

 更新の嘆願署名運動が続けられています。

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打ち切り理由は、明確にはされていませんが、原作に現代的解釈を付け加えたことや、先住民問題を取り上げたことにあるのかな。

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いずれにせよ、『想像することを愛する』アンがこの事態を知ったら、

悲しむんじゃないかなぁと思えてなりません。

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先住民問題はカナダにとっては先住民寄宿舎問題、世界的にとってもウイグル地区問題などで、とても難しい問題であるとは思います。

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多くの嘆願署名が集められているのは、物語の続きを観たいという理由もあるでしょうが、カクウェットの行く末を心配している人たちが多く存在しているんじゃないかなぁと思います。

 彼女を助けてあげたいという一心が、人々を動かしているように思えるのです。

 このまま、シーズン4が制作されなければ、この作品を観て、この世界観に魅了された人々が、

カクウェットを助けられなかったという気持ちを持ち続ける事になるんじゃないかと、切ない気持ちになります。

 それは、果たしてカナダにとって、有益なことなのでしょうか。

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とはいえ、このカクウェット問題を着地させるには、よりこの問題に深く切り込まなくてはなりません。

 観ている方も、良い結果にならない覚悟をしなければなりません。

 けれど、その問題に立ち向かうアンの姿を、私は観たいと思うし、

そこに様々な学びがあるのだと思えます。

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このまま打ち切りになってしまっては、カクウェットは永遠に閉じ込められたままです。

 どんな形であれ、彼女を解放してあげたいという気持ちで、シーズン4更新を願わずにはいられないのです。

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. 正直なところ、個人的には、カクウェットの件が中途半端でなければ、

全然、シーズン3で完結でいいと思ってます。

 というのも、私は、「赤毛のアン」好きなんだけど、

どの作品にしても、アンのギルバートへの徹底した拒絶ぶりが、

もう、イライラMAXなんですね。

 けっこうな長い期間、アンは、「にんじん」事件をキッカケに、

無視しまくるの・・・・。

それが、もう、ええやん?もう、ええんちゃうの?と、

思っていたので、

この作品で、それは、もう、サクッとギルバートへの愛に気付くアンが、

なんともスッキリさせてくれるんです。

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 しかも、超絶素敵なキスシーンで、しめくくりなんて、

ほんと、これで完結でいいんですよ。

 他のことも、ほぼ解決しているし、全然、クリフハンガー的でもないしね。

 

そして、これも重要なんですが、

マシューが死なない!

毎回、マシューが死ぬシーンが辛かったので、これはうれしい限り。

マシューが死ぬ場面がないって、それだけで、素敵やん。

モンゴメリの自伝で、もう1度「赤毛のアン

を書き直すなら、マシューはもう少し長生きさせていって書いてあったような・・・・

それを、製作陣は汲み取ってくれたのでしょうか。

 

 そして、キャスト的にも、ほぼ外れはないし、

何なら「コール」という美少年が付加されてたりするし、

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ジェリーもなんか、可愛いし。

そして、何より、ギルバートが今までで1番、好みだったんです。

 

 以前より打ち切りは決まっていた・・・なんて事も聞くし、

ひょっとしたら、本当にここで終わりのつもりだったのかも知れない。

 本当に、まだ続くつもりなら、ギルバードとアンの件ももっと、引っ張ってたかも知れないし、

ここまで(カクウェットの件以外で)何の問題も残していないのがね・・・・。

カクウェットの件あえて投入し、答えを出さなかった(出せなかった)のかも知れないなぁ・・

・・・・と思ったりもします。

 

だって、先住民寄宿舎の件は、寄宿舎跡地からこれでもかって程の遺骨が見つかっているらしい。

そんな状況で、カクウェットが助け出される・・という結末は、

少し、無理があるような気もするし。

 

 この問題だけではなく、このドラマは、

他にも、女性蔑視・黒人差別・ネグレクト問題・LGBTQ問題・虐待など、

現代まで引き続き抱える課題を、多く含んでいて、

少し入れ込み過ぎだろう。。。。とも思います。

 けれど、当時は、問題とは思わなかったこと、問題として明るみに出なかったものが、

こうして、現代の目で見た時に、問題として浮き上がってきているのかな・・・と思えたり。

 そういう意味では、人間は、今だ沢山の課題を抱えているけれど、

少しづつ進歩してきていて、成長しているのかな・・と思ったりします。

 そして、その過程の始まりは、アンのように意見する人の存在だったのだと、

まるで歴史の縮図を観させて貰っているような気分になります。

 

アンは想像する事が、大好きで、大切だと話します。

それは、苦しい現実からの逃げ場所であったのかも知れません。

けれど、それだけではなく、

相手の立場を想像すること、違う世界を想像することなのかも知れません。

 想像するということは、観ている世界を広げます。

 自分だけではない、色んな人が存在するという、想像が、

常に、アンの心をオープンにさせ、

すべてを受け入れる下地になっているのかも知れません。