この週末は、珍しく映画尽くしだった。
奇しくも、どれもこれも、
ハートフルな作品だった。
「インサイドヘッド」「シェフ」「アバウト・タイム」そして、
先ほど、スタチャンでしていて、ついつい観てしまった「トランスアメリカ」
何と言うか、私、海外ドラマに毒されてるなぁ~という実感(笑)
どの作品も、小細工もなく、胸に響いてくる。
アッと驚かせる細工もなければ、どんでん返しもない。
それでも、程よい緊張感と、面白さが詰まっている作品ばかりだった。
『トランスアメリカ』
気にはなっていた作品が、スタチャンでしていた。
この作品は、ケヴィン・ゼガールが出演していたなぁ~と思い視聴。
男性であることに違和感を持つブリー(フェリシティ・ハフマン)は、肉体的にも女性になるため最後の手術を控えていた。そんな“彼女”の前に、突然トビー(ケヴィン・ゼガーズ)という少年が出現。彼はブリーが男だったころに出来た息子であることが判明するが、女性になりたい“彼女”は彼を養父の元へ送り返そうとする……。
性同一性障害を持つ男性の役を、女優であるフェリシティ・ハフマンが演じるという、
今までとはちょっと違った配役だった。
フェリシティ・ハフマンは、性転換手術を前にして、息子と再会を果たすブリーの役柄を、
演じたワケだけど、
全く、違和感のない、演技だった。
「女の人」ではなく、女になろうと頑張っている男。
見事なまでに、違和感がない。
これが、もし、男性が演じていたとしても、
私は、違和感のない演技だったと評すると思う。
つまり、その、どちらでもとれる、微妙な辺りの役を、
演じ切っていたなぁ・・と思うのだ。
まさに、トランスジェンダーではないだろうか。
そんなブリーと、息子のトビーが、車で旅をしながら、
打ち解けていく姿も、微笑ましい。
こういった映画で、ここまで、ハートフルな内容であるのも、
珍しい。
トビーは、男娼でありドラッグであり、継父から暴力を受けていた。
ブリーは性転換手術前で、まだ自分に付いているモノが気に喰わない。
なんだか、明るい材料が全然ないんだけど、
出来上がったものは、なんとも、まぁ、ハートフルであたたかい。
観終わった後の、清清しい気分。
トビーとブリーの、明るい未来をも、想像させてくれる。
最終、ブリーが父親だと打ち明けるキッカケになったのは、
トビーが、ブリーに恋をしたと打ち明けたからだ。
はじめ、この場面は、正直、いらないと思った。
笑える場面にしたいのなら、大失敗だと。
けれど、これは、トビーにとっての、大きな変化だったのだ。
継父に性的暴力を受け続け、傷つき、誰も愛せなかったとビーが、
ブリーと出会って、「愛情」を再び得たのだ。
その愛は、ブリーから出る「母性愛」が導いたのかも知れない。
けれど、まだトビーはそれに気付かない。
その姿が、切ない。
トビーが再生する何かを得たのに、このまま、どーにかなっちゃうの??
・・・と海外ドラマばかり観ている私としては、
アッと驚く顛末に、ドキドキしてた。
このまま、分かり合えないまま、ブリーが死んでしまうとか・・・。
けれど、トビーは、ブリーのもとへ戻ってきてくれた。
トビーに、帰る家が出来たのだ。
さて、この映画、全編通じての音楽も良ければ、
アメリカ横断の景色も素晴らしい。
そして、沢山のお気に入りの場面に出会える。
ブリーがトイレットペーパーを持って、森の中のトイレにいく場面
トビーに「バケモノと言わないで」というブリーの切ない哀しげな表情。
そして、トビーは「バケモノじゃない、大噓つきなだけだ」という。
そのバツの悪そうな表情。
ブリーと、旅で出会った男性との、夜の場面。ホント、素敵だった。
ブリーの母親が、「私はおばーちゃんよ!」とまんまと言いそうになる所や、
孫ときいて、態度豹変するところや。
あれほど楽しみにしていた手術のあと、泣きじゃくるブリーの姿。
家族を失うことは、自分らしくなる喜びを凌駕するほどの感情なのだと感じた。
でも、その涙は、普通でない自分への怒りにも見える。
そうなったのは、ブリーのせいではない。
けれど、自分の境遇を恨み、神を恨む慟哭にも聞こえる。
だからこその、ラストシーン。
ブリーとトビーの再会。
手術を受けた後、同じ職場で働くブリーの姿。
その姿は、ハツラツとしていて、輝いている。
「自分らしくある」
その影響力、そうで在れる幸せを再確認する。
家族愛と、自分らしく生きること。
キャラクターは複雑だけれど、
映画そのものは、とてもシンプル。
だからこそ、この映画が更に愛おしいものになる。
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奇しくも、どれもこれも、
ハートフルな作品だった。
「インサイドヘッド」「シェフ」「アバウト・タイム」そして、
先ほど、スタチャンでしていて、ついつい観てしまった「トランスアメリカ」
何と言うか、私、海外ドラマに毒されてるなぁ~という実感(笑)
どの作品も、小細工もなく、胸に響いてくる。
アッと驚かせる細工もなければ、どんでん返しもない。
それでも、程よい緊張感と、面白さが詰まっている作品ばかりだった。
『トランスアメリカ』
気にはなっていた作品が、スタチャンでしていた。
この作品は、ケヴィン・ゼガールが出演していたなぁ~と思い視聴。
男性であることに違和感を持つブリー(フェリシティ・ハフマン)は、肉体的にも女性になるため最後の手術を控えていた。そんな“彼女”の前に、突然トビー(ケヴィン・ゼガーズ)という少年が出現。彼はブリーが男だったころに出来た息子であることが判明するが、女性になりたい“彼女”は彼を養父の元へ送り返そうとする……。
性同一性障害を持つ男性の役を、女優であるフェリシティ・ハフマンが演じるという、
今までとはちょっと違った配役だった。
フェリシティ・ハフマンは、性転換手術を前にして、息子と再会を果たすブリーの役柄を、
演じたワケだけど、
全く、違和感のない、演技だった。
「女の人」ではなく、女になろうと頑張っている男。
見事なまでに、違和感がない。
これが、もし、男性が演じていたとしても、
私は、違和感のない演技だったと評すると思う。
つまり、その、どちらでもとれる、微妙な辺りの役を、
演じ切っていたなぁ・・と思うのだ。
まさに、トランスジェンダーではないだろうか。
そんなブリーと、息子のトビーが、車で旅をしながら、
打ち解けていく姿も、微笑ましい。
こういった映画で、ここまで、ハートフルな内容であるのも、
珍しい。
トビーは、男娼でありドラッグであり、継父から暴力を受けていた。
ブリーは性転換手術前で、まだ自分に付いているモノが気に喰わない。
なんだか、明るい材料が全然ないんだけど、
出来上がったものは、なんとも、まぁ、ハートフルであたたかい。
観終わった後の、清清しい気分。
トビーとブリーの、明るい未来をも、想像させてくれる。
最終、ブリーが父親だと打ち明けるキッカケになったのは、
トビーが、ブリーに恋をしたと打ち明けたからだ。
はじめ、この場面は、正直、いらないと思った。
笑える場面にしたいのなら、大失敗だと。
けれど、これは、トビーにとっての、大きな変化だったのだ。
継父に性的暴力を受け続け、傷つき、誰も愛せなかったとビーが、
ブリーと出会って、「愛情」を再び得たのだ。
その愛は、ブリーから出る「母性愛」が導いたのかも知れない。
けれど、まだトビーはそれに気付かない。
その姿が、切ない。
トビーが再生する何かを得たのに、このまま、どーにかなっちゃうの??
・・・と海外ドラマばかり観ている私としては、
アッと驚く顛末に、ドキドキしてた。
このまま、分かり合えないまま、ブリーが死んでしまうとか・・・。
けれど、トビーは、ブリーのもとへ戻ってきてくれた。
トビーに、帰る家が出来たのだ。
さて、この映画、全編通じての音楽も良ければ、
アメリカ横断の景色も素晴らしい。
そして、沢山のお気に入りの場面に出会える。
ブリーがトイレットペーパーを持って、森の中のトイレにいく場面
トビーに「バケモノと言わないで」というブリーの切ない哀しげな表情。
そして、トビーは「バケモノじゃない、大噓つきなだけだ」という。
そのバツの悪そうな表情。
ブリーと、旅で出会った男性との、夜の場面。ホント、素敵だった。
ブリーの母親が、「私はおばーちゃんよ!」とまんまと言いそうになる所や、
孫ときいて、態度豹変するところや。
あれほど楽しみにしていた手術のあと、泣きじゃくるブリーの姿。
家族を失うことは、自分らしくなる喜びを凌駕するほどの感情なのだと感じた。
でも、その涙は、普通でない自分への怒りにも見える。
そうなったのは、ブリーのせいではない。
けれど、自分の境遇を恨み、神を恨む慟哭にも聞こえる。
だからこその、ラストシーン。
ブリーとトビーの再会。
手術を受けた後、同じ職場で働くブリーの姿。
その姿は、ハツラツとしていて、輝いている。
「自分らしくある」
その影響力、そうで在れる幸せを再確認する。
家族愛と、自分らしく生きること。
キャラクターは複雑だけれど、
映画そのものは、とてもシンプル。
だからこそ、この映画が更に愛おしいものになる。
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