現在までの経緯 | にの日記

にの日記

2002年2月30歳で乳がん発症。現在50歳。再発して9年、抗がん剤はやり尽くしました。現在、痛みのコントロール、腹水・胸水治療(CART)を受けています。
今までのほほんとしていたのですが、あまりのほほんとしていられなさそうなので、ブログタイトル変えました。

治療記録を更新していなかった2021年からこの前の腹水穿刺までにあったこと。

備忘録として書いておこう。


2021年上半期 ぱっとしない体調が続く。疲れやすい。

マーカーは常に上昇傾向。

コロナワクチン接種のため、7月下旬からベージニオ休薬。


2021年8月上旬 左足が上がりづらくなる。

力が入らない。

筋力が足りないんだと思い、せっせとウォーキングをする。


8月下旬 左足だけで立てなくなる。

バイクで停止する時足元が覚束なく、怖い。

新しいライディングシューズに慣れていないせいだと思う。


9月上旬 左足を引きづるようになる。

骨転移の薬「ランマーク」には「筋肉の脱力感」の副作用があるので、そのせいだと思う。

役場でヘルプマークをもらう。


9月下旬 家でSnowMan「D.D.」を踊っていて、ジャンプして左足着地の時に立てずにコロンと転がる。

さすがにおかしいと思う(D.D.踊ってるのもおかしいけど)。

この頃には体がシンドくて夕ごはんの支度をするのが精一杯。

夫が出張していた1週間、作る気力がなく食べられず。

梨半分が夕食。


9/30 乳腺外科受診

先生、こんなに足上がらないんです〜と歩いて見せたら、今すぐ脳神経外科へ行ってきてと紹介状を書いてくれる。

札幌市内の脳神経外科にお昼ごろ到着。

本当は午前中の受付は終わってるけど、すぐに診ますと言ってくれる。

造影剤を使ったMRI検査で転移性脳腫瘍判明。

右脳3cmと小脳にそれぞれひとつずつ。

即入院して、ガンマナイフをすることに。

乳腺外科に戻って、脳転移でしたと報告。

更に食べてないのにお腹が出てるんですと診てもらって、腹水が溜まり始めてることがわかる。

この時腹囲72cm。


10/2 脳外科入院

脳の炎症を抑えるため、ステロイドの点滴開始。退院まで続く。

10/4〜6日の3日間、ガンマナイフ。

日々お腹は大きくなっていく。

10/8退院

入院した時履いていたスカートのボタン閉まらず。


10/11〜12 ずっと拒否してきたポート留置のため提携病院へ入院

右側鎖骨下にでっぱりあり。点滴は格段に楽になる。


10/18 乳腺外科入院

歩くのもやっと。すぐに息が上がる。

腹水貯留と肝機能低下のため、利尿剤、栄養分、アルブミンの点滴治療。

抗がん剤は、パクリタキセル+アバスチン。

最大腹囲83㌢。

腹水穿刺は行わず、自然に排出されるのを待つ。

10月下旬頃からお腹が凹み始め、11月中旬には腹囲70㌢。

11/23 退院


2020年の終わり頃から体調が少しずつ悪くなっていくのを自覚していたけど、もう髪の毛が抜ける治療はしたくなくて、自分から違和感を訴えなかったからこのような結果に。


乳腺外科の先生曰く、腹水のコントロールができたのは奇跡だそう。


お腹を凹ましてくれたことには感謝しているけど、痛みや退院まで時間がかかったことが精神的にきつく、治療自体より先生との意見の相違に苦しんだ。


12/18 これを踏まえて、CARTができる現在の病院にセカンドオピニオンで転院

以降、抗がん剤、ハイパーサーミア、高圧酸素療法を同日に受ける治療を継続中。


現在 腹水再貯留

腹水穿刺2回、胸水穿刺1回。

来週CART2回目予定。

まず体を楽にしてから治療するというやり方で、精神的にも安定。

先のことはわからないけど、今は自分の選択に納得している。


っというのが2021年からこの前のCART1回目までの経緯。


抗がん剤は

2021年10〜3月 パクリタキセル+アバスチン

縦隔リンパ節腫大のため変更、

2022年4〜5月 イリノテカン

腹水、胸水貯留のため変更、

2022年5月下旬〜 ハラヴェン+ヒスロン


乳がんになって20年。再発してから9年。


今までいろんな薬や治療をしてきた。


まだ耐えられるわたしの体。


もう少し頑張ろうかな照れ