(2021年6月14日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)

 

 

たんたん評論「キラキラネーム読みの功罪」

 

 

 日本経済新聞2021年6月12日(土)付け朝刊27面の詩歌・教養の欄に「歌壇」コーナーが掲載されている。そこで、二人の選者のうち、三枝昂之(1944-)の選んだ作品十二首の中から一つを取り上げて批評しよう。

 

 

 さて、三枝氏が選んだ五首目は次の作品だった。

 

(作品および作者名は省略)

 

 もしも、ブログ主が「上記作品(以下、作品)は五句定型に詠めている」と言ったとしよう。すると、当ブログの読者の皆さんはこぞって「いやいや、結句は「みらいをせおって」と読めて、小さい「っ」も一音に数えるから、八音の字余りだ」と言うに違いない。

 

 ただし、作品においては実は、「未来」に「あす」とルビがふってある。つまり、結句は「あすをせおって」の七音と数えられ、きちんと定型に詠めているのである。

 

 

 このように、「或る言葉の読み方をそれから連想される事物の、あるいは、それを代表する事物のそれに変える」ことを、ブログ主は「意訳読み」と呼んでいる。誤解を恐れずに敢えて言えば、「キラキラネーム読み」と呼んだ方が分かり易いかもしれない。

 

 ちなみに、「キラキラネーム」とは例えば、「七音」と書いて「どれみ」と読んだり、あるいは、「黄熊」と書いて「ぷう」(ディズニーの「くまのプーさん」から)と読んだりするさまである。また、花が「咲く」ことを人が「微笑む」さまと読むこともあるらしい。

 

 

 そこで、作品においても、過去から現在を経た未来までの時間軸において、将来を表現するような身近な言葉として明日を連想したことから、「未来」と書いて「明日」すなわち「あす」と読むことを読者に要求したのだろう。

 

 なお、このような手法は名前に留まらず、例えば、「時代」と書いて「とき」は未だしも、「地球」と書いて「ほし」と読ませることは、最近のJポップの歌詞にも多く見られる。こうしてキラキラネーム読みは特に若者の間では流行に留まらず一般的になりつつあるようだ。

 

 

 ところで、短歌作品において、「短歌」の代わりに「三十一音」と書いて、これに「たんか」とルビをふるのは如何だろうか。こうすれば、短歌の最大の特徴を漢字で説明しながら、本来は「さんじゅういちおん」の八音を使うところを「たんか」の三音に減らすことができるだろう。

 

 このようにキラキラネーム読みは、言葉の意味は従来のままの一方、言葉の本来の読み方に係る音数を節約できるので、音数に限りのある短歌や俳句川柳等の短詩型文芸においてはメリットをもたらすかもしれない。

 

 

 しかしながら、この一石二鳥に見えるやり方は、一を述べて十を伝えたり、状況を説明せずに心情を訴えたり、さらには叙景を持って抒情を詠ったりといった作歌技術の向上には決してつながらない。

 

 そこで、読み方に決まりの無い人名等はさておき、ブログ主は文芸の世界におけるキラキラネーム読みをお勧めしない。なお、ルビをふるのは難読のケースや複数の読み方がある場合に限りたい。キラキラネーム読みはあなたの短歌を決してキラキラと輝かせたりはしないだろう。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー