(2020年9月30日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)
たんたん評論「AIによる短歌作品の善悪評価」
角川学芸出版様が発行する月刊短歌総合誌「短歌」の2020年10月号を読む。
なお、前回の批評は本年4月号に対するそれだったから、半年ぶりになる。ただし、前回は其処に掲載された企画ではなく、実施されなかった大学短歌バトルを取り上げて、テレ歌会を勧めただけだ。
そして、今回も毎月定例の作品群や歌集や歌誌等に全く触れず、メインの企画である岡井隆(1928-2020)への追悼や俵万智(1962-)へのインタビューも取り上げていない。
ただし、歌壇時評において田中綾(1970-)が言及したような「短歌に係わる定量分析」に絡めて、短歌業界の進歩発展に必ずや貢献する(かもしれない)点を一つだけ指摘しよう。
さて、我が国における歴史と伝統の一つでありながら、近年世間から注目を浴びて進化している分野がある。それは将棋の世界である。凡そ短歌に特化した当ブログの読者でも、棋界に彗星の如く登場した藤井聡太二冠(2002-)の名前くらいは知っているだろう。
藤井先生は若いのに将棋が強い。ただし、それは羽生善治(1970-)永世七冠の若い時の強さとは異なるらしい。先生の師匠によると、先生は他の棋士と思考方法が異なり、通常は頭の中に盤面を描くところを先生は記号を並べるという。言っていることがよく分からない。
そして、藤井先生は他の棋士以上にAI(人工知能)を活用しているようで、自身でAIを搭載したパソコンを組み立てることができるらしい。他の棋士にはとても真似のできないことだ。
この将棋におけるAIは対局者の指し手の善悪を判断し、更には形勢の有利不利から勝ち負けまでもあっという間に計算する。
例えば、先手が60点で優勢ならば、相手の後手は40点の劣勢と計算されて、両者を併せて100点になるように表現する。あるいは、数十手もの詰み手順を瞬時に発見して、人間同士の対局が終わる前に勝敗の結論を出してしまう(笑)。
さて、短歌の世界においても、例えば、専門紙誌における作品や評論等の構成の割合や、文語旧かなと口語新かなの勢力の変遷等のように、具体的な数字のある事項は定量的に捉えることができるだろう。
田中氏の評論においては、専門紙誌は相変わらず作品群が主体で評論が少ない点や、口語新かなで詠う歌人が増えている傾向等が数値で示されている。
ただし、短歌作品のような文芸そのものはこれまで、定量的に評価できないとされてきた。なぜなら、それは数字や科学では表現することのできない、自然のありさまや人間の思考心情を文字にしたものだからだ。
ところが、世の中にはAIに書かせた小説があるらしい。そして、そうした作品をもって高名な文学賞に応募したといった話も聞く。もしも、それが事実なら、小説や物語が書けるAIに過去の短歌作品を大量に読み込ませれば、素敵な短歌作品を容易く製造するだろう。
更に言えば、もしも、短歌を製造できるAIならば、人間が制作した短歌作品を読み、その優劣や良し悪しを瞬時に判断するだろう。こうして将棋界と同じ改革が文芸界を待っている。それは凡そ既存の権威には辛く厳しい一方、若い才能には嬉しい実力の世界に違いない。
それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。
![]()
