たんたん狂歌185「宗教」再掲

 

 

 2024年3月1日現在、旧統一教会の宗教団体としての取り扱いについて、司法の場で教会側と国家行政とで争っているらしい。それにしても、こうした判断は言い出した岸田内閣の責任に基づく行政指導で済ますべきで、宗教弾圧の汚名を着せられる司法が可哀そうだ。

 

 また、自衛隊の装備品における外国との共同開発において、その輸出の是非を巡って連立与党の自民党と公明党が異なる判断を示しているらしい。そこで、保守的な政治指向を持つ有権者からは、これを機会に連立解消を求める動きが出ているらしい。

 

 

 それはさておき、2022年夏に起こった元総理の暗殺事件を受けて生じた政治と宗教の問題を詠んだ狂歌を再掲しよう。

 

 

クローバー

 

 

宗教をカルトと呼んで敵視する信じるものの無きぞ寂しき/ブログ主

 

 

 今般の殺人犯の親が某宗教団体の信者で、それがカルトなぞと誹謗中傷されるべき組織団体であると決めつけて、そして、与党がこれと癒着しているとして、マスコミや野党の一部が一生懸命に批判している。

 

 

 ちなみに、ブログ主は宗教を信じていない。キリスト教やイスラム教は勿論のこと、我が国で伝統的な神道や仏教ですら、信仰してはいない。ただし、親鸞(1173-1263)の考えは面白いと思う。すなわち、現世に聖人君子を目指さずとも、悪人でさえも御仏を唱えれば救われるのであれば、世間一般にとって大変有難いことだ。

 

 なお、ブログ主は宗教を信じていないからと言って、宗教を否定したり非難したりしない。なぜなら、この世にそうした存在が在って、そして、それを信じるも信じないも個人の自由であると考えるからだ。

 

 

 それはさておき、当該団体や与党を批判する者たちには、普通(?)の宗教とカルトなどの霊感商法とが区別できるらしい。

 

 しかしながら、いかなる宗教であってもそれぞれの信じる神様たちが居て、それに寄進したり喜捨したりすることで、現世における幸いを得ようとするだろう。また、「寄進や喜捨をしない者は地獄に落ちる」といった教義のそれも、ところによっては在るだろう。

 

 そうであれば、伝統的な宗教だろうとカルトと呼ばれる団体だろうと、人間の信仰心に基づいて、あるいはそれにつけこんで様々に活動する点においては五十歩百歩ではないか。

 

 

 また、いかなる宗教であっても、日本国憲法において信仰の自由は保障されているはずだ。それを世界的に伝統的な宗教は見て見ぬ振りをして、営利が過ぎるとセルフジャッジしたところのみを攻撃するのは、憲法に違反する可能性もあるだろう。

 

 

 さらに、政教分離を持ち出して、つまり、宗教が政治に関与することをもって、当該団体や与党を批判する者も散見される。「何を今さら」である。現状既に、全国規模の宗教団体をバックとする政党が政府与党に居るではないか。

 

 もしも、今般のケースが問題ならば、なぜ、現状既に在る宗教色の強い政党に対して、憲法違反を主張しないのか。今般の批判にはこうしたご都合主義が目に余る。

 

 

 ところで、宗教色の強い政治団体は世界中にごまんとある。他方で無信仰を基本とする組織団体、例えば、社会共産主義に基づく政党もある。

 

 ただし、これを標榜する大陸や発展途上地域の政権は凡そ一党独裁の全体主義である。こうして宗教を謳う団体よりも無信仰の組織の方が、もしかすると社会にとっては害悪かもしれない。

 

 

 現代を生きる人間にとって信じるものや頼るもののある方が、人と人とのふれあいを育むだろう。他方で目に見えない存在を頑なに信じない生き方は、人として何やら寂しい気もする。人間と宗教の関係はなかなか難しいものだ。

 

 

 それにつけても、政治は難しい。それでも、政治は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー