たんたん狂歌184「暴力」

 

 

 2024年2月27日現在、中東ガザ地区ではイスラエルとハマスがしばらく停戦するようだ。

 

 それにしても、ここはたいそう不思議な地域で、狭い土地に200万を超える人々が暮らすのはさておき、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治政府の支配が及ばず、イスラム過激派テロ組織であるハマスが実効支配しているらしい。

 

 ただし、ハマスがガザ地区をきちんと統治しているかといえば、世界中から集まった善意は国連を通じて幹部が独り占めする一方、彼の地の民衆はまともな仕事もなく、そして、将来の希望もないその日暮らしのありさまという。

 

 そこに今般のハマスのテロに対して怒りに燃えるイスラエル正規軍が攻め込めば、劣悪な環境がさらに悪化するのは必定。不倶戴天の敵に奇襲をかけて快楽は一時得られるも、そのせいで不幸な目に遭うのは無辜の民というさまは、先の大戦における大日本帝国と同様。

 

 当時の我が国の為政者はなぜ、アジアにおける西洋列強の非道なさまを国際社会に、少なくとも米国に最後まで訴えなかったのか。それを短慮に行動すれば、破滅の道を進むのは明らか。現代のハマスが同じ道を歩んでいるのは度し難いとしか言いようが無い。

 

 ちなみに、我が国のマスコミの多くは純真無垢な赤ん坊を利用してまでも征服者の非道と彼の地の惨状を訴えて、反米反イスラエルの印象操作を図るようだ。それでも、学校や病院や、果ては国連組織の地下にアジトを作り、民衆を盾に卑怯なテロに走る者を世界の如何なる神様も助けないだろう。

 

 それはさておき、2022年夏に発生した元総理の暗殺事件を受けて詠んだ狂歌を再掲しよう。

 

 

クローバー

 

 

暴力で恨みを晴らし義を騙る忠臣蔵を褒める愚かさ/ブログ主

 

 

 日本には「忠臣蔵」という故事がある。藩主のミスや不法行為のせいで幕府に処分されたことを恨みに思い、トラブル相手を暗殺した事件である。これをいつまでも「義士の美談」なぞとテレビや演劇で持て囃している。

 

 ただし、誤解を恐れずに敢えて言えば、これは間違いなくテロリズムである。特に戦後の、自由と民主主義を愛する現代国家の道を歩む日本において、言論をもって正当性を訴える努力もせず、物理的な暴力をもってトラブル相手を殺害するなぞ許し難い暴挙である。

 

 

 ちなみに、今回の現代におけるテロ行為を非難しながら「犯人の気持ちは解る」なぞと言う者が居るらしい。また、法律で食べる者が「暴力は許されない」と言いながら、テロリズムの心情は理解できるなぞと公共の電波を使って述べるとは全くもって度し難い。

 

 こうした思考回路は犯罪を産む温床になりかねない。そこで、正しくは「犯人の事情は分かるが、暴力は決して許されない」と言うべきだ。両者は同じことを言っているように見えるが、民主主義へのベクトルは逆向きである。

 

 なお、戦後に忠臣蔵を持て囃した動きの奥底にはもしかすると、神国日本を打ち負かした米国を憎み、「いつか必ず恨みを晴らさん」と誓う反米左翼の思惑もあっただろうか。

 

 

 それはさておき、暴力は何も解決しない。忠臣蔵は結果的に、対立した両グループを破滅に追い込んだだけだ。北風を吹かせても旅人の服を脱がすことはできないのは、洋の東西を問わない真理である。

 

 こうして、赤穂浪士の子孫や縁者の皆さんに決して他意は無いが、忠臣蔵における思想信条は決して美談ではなく、紛れも無くテロリズムである。自由と民主主義を愛する現代国家に生きる市民であれば、理由や事情はともあれ、こうした暴力をもって物事を解決しようとする態度をきちんと指弾し、強く否定しなければならないだろう。

 

 

 それにつけても、政治は難しい。それでも、政治は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー