たんたん評論「添削のメリット」

 

 

 2024年1月21日(日)放送分の「NHK短歌」におけるお題は「ごめん」だった。

 

 

 さて、他の芸術の世界では有り得ないものの、日本の短詩型の世界では或る人の作品を採り上げて、他人である先生や指導者と呼ばれる者が改善点を指摘し、それに基づいて作り直すことが行われている。これは一般に「添削(てんさく)」と呼ばれている。

 

 なお、こうした指導を受けることは作歌初心にとって有益と思われている。しかしながら、ブログ主は「こうした詠み変えは所詮他人の感性に基づくものであって、それにいちいち従っていたら、自分の個性を殺すことに繋がる」ものと見做して、然程評価していない。

 

 

 それでは、添削は無意味かと言えば、決してそんなことはない。それは指導される側ではなく、添削を行う側にメリットがあるだろう。

 

 つまり、他人が制作した作品の背景や情景や意図を想像し、その趣旨を捉えて主旨を掴み、それに基づいて自身の詠いぶりに詠み変える、といった一連の作業を実施することが、当人の短歌制作技術の向上や読みのトレーニングに繋がるのである。

 

 昨今の若い短歌愛好家や歌人の皆さんは「基本的歌権」なぞと主張して、他人の制作した作品を取り敢えず褒めておためごかしするようだ。しかしながら、「自分ならこう詠む」と自己主張し合う方が、短歌業界の進歩発展には少なからず有益に違いない。

 

 

 さて、当日の放送回を担当した歌人の吉川宏志(1969-)は一般投稿者の作品をひとつ採り上げて添削していた。そこで、ブログ主も自分の作歌技術の向上のために、これを添削というか詠み変えを行った次第である。

 

 なお、元の作品および吉川による添削結果を掲載すると、著作権侵害で訴えられる可能性がある。そこで、それらは大変お手数ながら、当該番組の録画や再放送等から取得されたい。

 

 

 それでは、まずは元の作品に書かれた言葉から、趣旨や主旨を読んでみよう。

 

 作者はご夫婦の妻と思われる。なお、歌に「亡夫」とあり、その骨を撒いたようであれば、夫を最近亡くしたようだ。

 

 そして、亡くなった夫の遺「骨を風に散ら」したとあるので、恐らくは「海洋散骨」を行うために船に乗り、夫の遺骨を海に撒いたのだろう。その際に砂状になった骨が海風に乗って、作者の肌に、作者の身体に向かって飛んで来たという。

 

 その時、作者はとっさに骨の砂が自身の身体に触れないように避(よ)けたのだろう。これは亡くなられた夫にとっては大変悲しい仕打ちと言えよう(笑)。それで、作者は亡き夫に申し訳なく思って「ごめん」と心の中で謝ったようだ。

 

 

 次に、上述した読みに基づいて、元歌の改善点を指摘しよう。

 

 最初に、読者の多くは海洋散骨の一場面と容易く想像するだろうことから、夫が死んでいることを表す「亡」はこの際無用である。

 

 ちなみに、ブログ主はわざわざ「亡」の字を付けながら「つま」と短く読ませるのをお勧めしない。もちろん、字を眼で見れば分かるが、「短歌は歌」であれば、耳で聞くだけで理解できるようにしたいものだ。

 

 敢えて言えば、元歌では初句から二句に「骨風」と繋がって書かれている。もちろん、短歌の韻律からすれば両者は別々と分かるものの、ブログ主ならば、ここは字余りでも助詞「を」添えて詠むだろう。

 

 なお、「つまの」あるいは「おっとの」としても五音に足りず、定型にちょっぴり詠み辛い。そこで、「ごめん」といった口語調の言い回しに合わせて、「夫」をより卑近に呼ぶ際の「とうちゃん」とするのは如何だろうか。

 

 

 二つ目に、海洋散骨の一場面と分かるとしても、「海」の一字を加えたい。そこで、「風」の前に足して「海風」としてみよう。

 

 

 三つ目に、一般に「寄せて来る」モノといえば、例えば「波」等をイメージするものの、人の骨が寄せて来るとはなかなか言わないだろう。そこで、砂状になった骨を風に散らしたならば、それは「風に舞う」と表現できるだろう。

 

 

 四つ目に、実際に飛んで来た先が作者の手足辺りの「肌」だったとしても、ブログ主ならば、滑稽さを加えるために「顔」と創作して限定する。なお、「我」は「わが」と開く。

 

 

 最後に、「一瞬(いっしゅん)」は「瞬間」と同じく、凡そ「ほんの短い時間」の意味だろう。ただし、歌意を想像すれば、作者は「瞬時に」あるいは「とっさに」避ける動作をとったようであれば、こちらに言い換えることをお勧めする。

 

 ただし、そうした作者の動作が「とっさに」、言い換えると「特段の考えも無く反射的」だったとするのは言い訳に見える。しかしながら、結句で「ごめん」と謝っている以上、ブログ主ならば、わざわざ言い訳を足さない。

 

 

 以上の諸点を考慮して、ブログ主による添削というか詠み変えは次のようになる。なお、五七調かつ啄木風の三行書きにしてみた。ご参考までに。

 

海風に骨を散らせば

わが顔に舞えるを避ける

(とうちゃん、ごめん)

(ルビ:避=よ)

 

 

 愛する夫の遺灰でも自分に向かって飛んで来たら、顔を背けるのも致し方の無い事。それを冷たい様と反省して、(ごめん)と呟く妻の姿はちょっぴり愛らしく、滑稽でもある。これを歌にした作者の着眼はたいへん素晴らしい。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー