たんたん評論「お題を書かない題詠みたいなテーマ詠」

 

 

 久しぶりに評論を書こう。ただし、他人の作品は決して触らない。

 

 2023年9月3日放送分のNHK短歌のお題は「手」だった。ブログ主もこの一字をお題にして、次のような作品(たんたん短歌332)を制作している。

 

汗握り焼いて掛かって取り合って いつか離れて届かぬものに/ブログ主

 

 

 あれっ、何か変だな。上記のブログ歌のどこにも、お題の「手」が書かれてないよ。これじゃ、「手」の題詠と呼べないな。そもそも、何を言いたいのかさえわからないわ。

 

 

 さて、このように納得のいかない読者の理解のために、ブログ歌を次のように分解してみた。

 

汗を握る/焼く/掛かる/取り合う/離れる/届かない

 

 

 これでも分からなければ、次のようにヒントを足せば、昔流行ったクイズ番組のように、ある共通するモノが見えてくるだろう。

 

〇に汗を握る/〇を焼く/〇が掛かる/〇を取り合う/〇を離れる/〇が届かない

 

 

 そう、上記の〇印には共通して「手」という言葉が入るのだ。こうして、お題の言葉を直接書いてはいないけれども、ブログ歌はちょっぴり風変わりな「手」の題詠と言えるだろう。

 

 

 さて、ここまでの話であれば、ブログ歌は「お題を書かない題詠」のサンプルとして終わるだろう。しかしながら、この作品は実は「手」の題詠ではないのだ。

 

 そのことを説明するために、ブログ歌の歌意をなぞなぞ風味に書いてみよう。

 

「生まれてくる時に親は手に汗を握り、幼い頃には手を焼いて、育てるのに手が掛かり、大きくなれば手を取り合って暮らしてきた。

 

 ところが、いつかはやがて親の手を離れて、そして、親の手の届かないところへ行ってしまう。

 

 これ、なーんだ?」

 

 

 そう、この簡単ななぞなぞの答えは「子」である。そして、ブログ歌が詠っているのは、「親子の関係」である。つまり、ブログ歌は実は<「手」というお題を書かない題詠>ではなく、本当は<「親子」を扱ったテーマ詠>なのだ。

 

 たいそうひねくれた作りで誠に申し訳ないことだが、これがブログ主の主張する「現代和歌」のやり方なので如何ともしようがない。なお、読者の皆さんにおかれてはブログ主を真似ることなく、現代短歌を素直に、真っ直ぐに詠うことをお勧めしよう。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー