たんたん短歌28「言葉」(4)

 

 

会社では結果が大事と言うけれど僕は「かてい」を大事にしたい

 

 

 「掛詞(かけことば)」とは一般に、日本語に多く見られる同音異義語(同じ発音で異なる意味を持つことば)を利用して、一度に二つの意味を表現する修辞技法のことであり、また、その「ことば」のことでもある。

 

 たった五句三十一音という制約の中で多くのことを表現するために、あるいは、表立って言いにくい物事を密やかに伝えるために考案された、古典和歌から連綿と続く歴史と伝統を象徴する事物の一つである。

 

 

 今回紹介したブログ歌においてはあからさまにひらがなで、かつカギ括弧で括ってある言葉が掛詞である。なお、上の句から読めば、ほとんどの人が結果を導く「過程」のことと思うだろう。ただし、下の句だけを読んだならば、多くは「家庭」を連想するに違いない。

 

 ちなみに、ブログ主はかつてこの歌そのままを会社の朝礼で話したことがあって、その裏側にある思い通りに現在は会社組織から隔絶し、主夫として暮らしている。

 

 

 普通のサラリーマンであれば、結果を出すように残業を命じられても、「私は家庭が大事なのでお断りします」なぞとはっきり言えないだろう。それでも、「私は結果よりも(かてい)を、少なくとも結果も(かてい)も大事にしたいです」と訴えるような瞳で上司を見つめれば、その意を汲んで早めに帰宅できるように配慮してもらえるかもしれない。

 

 このようなユーモアやウィットのある光景は、和歌の歴史と伝統における「雅(みやび)」の精神が現代社会に受け継がれたものであろうとブログ主は考える。

 

 

 ただし、江戸時代末期に(上喜撰)と(蒸気船)とを掛けて幕府を皮肉った狂歌があり、それを歴史で一生懸命に教えることから、掛詞を単なる批判のための技法とネガティブに捉える者がいる。そして、掛詞や暗喩等を含んだ詩歌を制限する一方、平明で勇猛な言葉を含むそれを高唱し、国威発揚を図った時代もあった。

 

 しかし、民主主義国家に生まれ変わった現代の日本において、詩歌を愛する者であれば、日本国憲法第二十一条によって保障された「表現の自由」を大切にすべきであろう。もちろん、表現の(内容)であれば他人の名誉等に配慮すべきではあるが、表現の(方法や修辞技法)に問題なぞあろうはずが無い。

 

 

 詩歌を詠んだとて、それが為すことは小さく、そして、少ないかもしれない。それでも、詩歌に用いられる掛詞などの「美しい」修辞技法を、そして、「美しい」言葉を後世に伝えてゆくことは詩歌を詠む者の使命の一つである。

 

 

(2012.9.13)

 

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