たんたん評論「付け句の作り方」

 

 

 短歌研究社様が発行する月刊短歌総合誌「短歌研究」2022年3月号に、歌人の廣野翔一氏が担当した「抽選突破の若手歌人が「アイドル歌会」を体験レポート」といったトピックがある。そこに「付け句(つけく)」の趣向を愉しむコーナーが紹介されていた。

 

 具体的には、「アイドル歌会」なるものに参加した四名の若い女性アイドルたちが、上の句の五七五に続けて下の句を考えたり、あるいは、下の句の七七に対して上の句を付けたりしていたようだ。

 

 

 なお、「付け句」をウィキペディアで調べると、次のように説明されている。

 

「連歌、俳諧連歌における遊戯的な文芸のひとつ。連歌、俳諧連歌は本来、発句から始めて参加者が交互に下の句を続けていく集団文芸であるが、逆に下の句(七・七)のお題を用意し、気の利いた上の句(五・七・五)を考えて技巧を競う(前句付け)」

 

 したがって、「付け句」を厳密に言えば、「お題として下の句の七七が先に提示され、これに対して、上の句の五七五を考える」言葉遊びである。

 

 

 ちなみに、これは「前句付け(まえくづけ)」とも呼ばれるらしい。なお、その解説を見ると、「お題の下の句である七七」のことを「短句(前句)」と呼び、これに付ける「上の句である五七五」のことを「長句(付句)」と呼ぶとある。したがって、前句付けとは、五七五の長句を七七の前句「に」付ける、といったことになる。

 

 しかしながら、ブログ主に言わせれば、和歌短歌ならば全体の三十一音の先に、あるいは、前に来るところの上の句ではなく、これの後に続く下の句の方を「前の句」と呼ぶのは、どう考えても可笑しな発想である。

 

 

 例えば、「味付け」という言葉を考えれば、それは料理に味「を」付けることであり、また、「安物買い」という言葉ならば、それは値段の安い品物「を」買うことだ。このように事物と動詞を繋げた表現は一般に、助詞「を」をもって接続するだろう。

 

 そうであれば、現代社会において「前句付け」と聞けば、一般大衆は恐らく、それが何かは分からなくても、前句というもの「を」何かに付けるのだろう、と思うはずだ。

 

 そこで、過去の連歌関係者の思考回路なぞ無視して、ブログ主は現代における世間一般の感覚に沿って、前句付けを「下の句の七七のお題に、通常の和歌短歌ならばその前に付くべき上の句の五七五を前句と見做し、それを考えて付ける言葉遊び」と勝手に定義しよう。

 

 

 さて、「前句付け」の表現の可笑しさはさておき、今回は付け句の作り方について説明しよう。当ブログの読者の皆さんの参考になれば幸いである。

 

 

 それでは一つサンプルを挙げよう。ブログ主の手元に、高校の古典の教科書である桐原書店さん発行の「新探求古典B 古文編」がある。その最初の方に「古今著聞集」から「衣のたて」と題するお話が載っている。

 

 十一世紀の中頃に源頼義が奥州の安倍氏を討伐した。安倍貞任(さだとう)らは衣川(ころもがわ)の館(たて。小さなお城)を攻められて、とうとう城を棄てて逃げた。それを見て、頼義の長男である八幡太郎義家が「逃げるのか。言いたいことがあるから待て」と言う。

 

 それで、貞任が振り返ると、義家は次のように叫ぶ。

 

「衣のたてはほころびにけり」

 

 これに対して、貞任は次のように言い返した。

 

「年を経し糸の乱れの苦しさに」

 

 これを聞いた義家は、貞任の逃げるのを追わずに帰ったという。

 

 

 さて、上記二人の会話を、前後を入れ替えて繋げると、次のように書ける。

 

年を経し糸の乱れの苦しさに衣のたてはほころびにけり

 

 そして、これを発声すると「としをへし/いとのみだれの/くるしさに/ころものたては/ほころびにけり」となって、和歌の五句三十一音の定型に正しく詠まれていることが分かるだろう。すなわち、両者は戦場において、付け句の言葉遊びを行ったのだ。

 

 ただし、二つを併せて五句定型になっているだけでは、付け句とは認められない。つまり、二つを繋げた歌が凡そ意味の通じるお話になっている必要があるのだ。

 

 

 それでは、ブログ主が試しに読んでみよう。なお、先に提示された下の句から上の句へ向かうように解釈する。

 

「(義家)私たちが攻めて、衣川に建つ君=貞任の館は、まるで服の縫い目が綻(ほころ)ぶように滅び、そして、君は服が破れるように敗れたことだ。

 

 (貞任)それは君たちに長年に亘って攻められて、領地が戦乱で荒らされて、お城を支えることが苦しくなったせいだ」

 

 

 こうして、二人の会話は意味が通じるだろう。しかしながら、この歌意を述べるだけであれば、二つの言葉は些か奇妙に見える。すなわち、付け句の定義に「お題に気の利いたことを返して技巧を競う」とあるように、もう一つの読み方がある。

 

「(義家)君の着ている服の縦糸が綻んだことだなあ。

 

 (貞任)それは服をずっと着ていたら縫った糸が乱れて、それで、服の形が変わってしまって、息苦しくなったせいだ」

 

 

 こうして、義家は地名の「衣川」から衣服の「衣」を思い付き、二つの「たて」すなわち「館と縦」糸の掛詞を用い、そして、貞任に付け句を詠んでみよと呼び掛けたのだ。これに対して、貞任も掛詞を読み解き、服が破れたことと戦に敗れたことを洒落たのだろう。

 

 このように付け句は凡そ二つの歌意があるように詠み合うのが基本と言える。なお、事前に幾らでも検討できるお題の下の句を詠むのは比較的簡単だろう。しかしながら、下の句に書かれた二つの歌意を満たすように上の句を制作するのは至難の業である。

 

 

 サンプルをもう一つ挙げよう。「今物語」の第十八話に、西行法師が伏見中納言を訪ねたとある。なお、主人は不在だったが、邸内から琴の音楽が聞こえてくる。それで、西行は筝を弾いている人に「お伝えしたい」と、次のように言う。

 

「ことに身にしむ秋の風かな」

 

 ところが、取り次いだ侍がこれを「おかしな坊主のたわごと」と思ったか、西行を張り飛ばしたので、彼は付け句を貰えずに逃げ帰ってしまった。

 

 その後、中納言が戻ったので、侍が「坊主がやって来て、変なことを言った」と報告したが、中納言は「それは西行だったに違いない」と心配した。そして、中納言はこの侍を屋敷から追い出したという。

 

 

 お話は以上であるが、ブログ主は西行の残した言葉を和歌の下の句の七七と見定めた。それで、これに次の五七五を付けてみた次第である。

 

「夕さればたなびく雲に陽もかげり」

 

 そして、上記二つを繋げると、次のような和歌が出来上がる。

 

夕さればたなびく雲に陽もかげりことに身にしむ秋の風かな

 

 

 それでは、最初は上の句から下の句に向かって、季節や時候のさまを読もう。

 

「夕方になれば、雲が風にたなびき、そして、陽も陰ってゆく。それで、秋に吹く風がことさら身に染みるように寒く感じられることだ」

 

 

 次に、西行が琴を演奏する者に向かって音楽について語り掛け、それに対して、演奏者が返したように読んでみよう。

 

「(西行)あなたが演奏する琴の、筝曲の「秋風楽」はことに(殊に)すなわちとりわけ素晴らしく、私の身に染みるように響いていますよ。

 

 (演奏者)私も年齢を重ねて、それはまるで一日で言えば夕方のような頃。世間に寒い秋風が吹けば雲がたなびいて、陽の当らない日々に筝を弾いて暮らす寒々とした身の上だ。

 

 そんな者が演奏したせいで、あなたも寒さが身に染みるように感じたのでしょう」

 

 

 さて、このように定義すると、それは言葉遊びと言いながら、付け句はたいへん難しいものだ。このままでは誰も気軽に遊ぶことができない。そこで、掛詞や二つの読みの経路なぞはともあれ、一つの歌として素晴らしい出来栄えならば、それで良いだろう。

 

 そして、伏見中納言に追い出された侍のように風流を解さない有り様は残念だが、他方で戦場においても歌を交わし合ったような歴史と伝統を大切にしたいものだ。

 

 

 それでは、皆さんも雅びな現代和歌を目指して、付け句を明るく楽しく詠んでいただきたい。えっ、「今回の評論もやっぱり、付け句の作り方の説明になっていない」ですって? 申し訳無い。本当は(作り方)なぞというものは無い。皆さんの創意工夫次第である。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー