たんたん評論「沓冠(二倍折句)の作り方」

 

 

 当ブログで最も多くの人々に読まれている記事は、和歌の時代に行われていた言葉遊びである「折句(おりく)」について記した2014年11月21日付けたんたん評論「折句の作り方」と思われる。

 

 また、児童生徒向けに書いた2016年1月13日付けたんたん評論「折句の作り方Ⅱ」も併せてお読みいただければ幸いである。

 

 

 さて、今回は折句の仲間の言葉遊びである「沓冠(くつかむり/くつかぶり)」について説明しよう。

 

 「沓冠」とは、意味の通じる十文字の言葉を、和歌の五句の初めの一文字ずつの五音と、終わりの一文字ずつの五音の合計十音に織り込んで詠んだものである。

 

 

 なお、折句は意味を持つ五文字を五句の初めに織り込んだものであるから、単純に言えば、沓冠は折句の二倍ほど難しいことになる。

 

 この「沓冠」に関する解説を見ると、11世紀頃に編まれた「栄花物語(えいがものがたり)」に登場する次の歌が、沓冠の最初の例として知られているらしい。

 

逢坂も果ては行き来の関もゐず尋ねて来ば来来なば帰さじ

 

ふさか

てはゆきき

きもゐ

づねてこば

なばかへさ

 

 

 五句を「/(スラッシュ)」で区切って解り易くしたが、各句の初めと終わりの一字ずつを取り出した「あはせたきものずこじ」の濁点を省いて「合わせ薫物 (たきもの) 少し」という意味になるという。

 

 なお、上記歌意も沓冠の十文字の意味も省略するが、作者が特定の相手に向けた伝言を和歌に隠したように見えることだ。

 

 

 ところで、「沓」は「靴」つまり「足」の先程度の意味で、「冠」は「頭」に被るものであるから、和歌の「五句の初め(頭)と終わり(足)を取り出して合わせたもの」を意味する名前となったのだろう。

 

 ただし、二通りの読み方があったり、また、いずれの読み方にしても世間一般に全く普及していないことから、折句五文字の二倍を使った言葉遊びとして「二倍折句」と呼んだ方が解り易い気がする。そこで、当評論では沓冠のことを便宜的に二倍折句と呼ぶ。

 

 

 それでは、ブログ主が制作した二倍折句を幾つか紹介しよう。まず、たんたん狂歌24「りん」として挙げた歌を、漢字も交えて以下に再掲する。なお、丸括弧内に詠み方を示した。

 

隙事を並べて寒い毎日は辛くとも汝は凛と佇む/ブログ主  (例歌1)

 

まごと

らべてさむ

いにち

らくともな

んとたたず

 

 

 上記例歌1の歌意は、凡そ次の通りである。

 

「作者はひまごと、物と物との間の隙間、いわゆる「ニッチ」のような詰まらない作品を書き並べている。それで、人様から「さむいわ~」と毎日言われて辛い。

 

 それでも、おまえたち、作者の家族は凛として佇んでいる(ことに、作者は救われる気持ちになるのだ)」

 

 

 ただし、これを二倍折句と思い当たって十音を取り出せば、「ひなまつりをいははむ」すなわち「雛祭りを祝わん」とあるから、本当の歌意を次のように読めるだろう。

 

「あなたは想う人とうまく行かず、相手から心の隔たるような事を言われている。こうした寒々とした態度に遭って、毎日辛いことだろう。

 

 それでも、あなたは凛として佇んでいる(姿に、私は好意を寄せている。どうです、私と一緒にひな祭りをお祝いしませんか?)」

 

 

 こうして例歌1では、歌意に示された状況に続けて、二倍折句の十文字に書かれた内容も併せてお話となるように制作した積りである。

 

 なお、先に挙げた和歌では暗号のような趣向であったが、ブログ歌では歌意を受けて膨らませるように詠っている点が異なる。

 

 

 次に、たんたん短歌352「旅」を挙げる。

 

初春を妻と旅すな人の目が野に咲き始め照る陽に映える/ブログ主  (例歌2)

 

つはる

まとたびす

とのめ

にさきはじ

るひにはえ

 

 

 上記例歌2の歌意は、凡そ次の通りである。

 

「初春の日を妻と旅に出ないようにしよう。なぜなら、暖かくなれば人も旅に出て、まるで野山に草花が咲き始めるように他人の目もあふれることだ。

 

 それで、暖かいお日様に映えて、その光に照らされて、夫婦の美しく輝く姿を見られてしまうから」

 

 

 これも前出の例歌1と同様に、歌意に描かれた光景がなぜ浮かんだかと言えば、これを二倍折句と解って並べた「はつひのてをながめる」が、夫婦揃って元旦に「初日の出を眺める」姿から生まれたからである。

 

 なお、例歌2では「て」に濁点を付けたが、必要に応じて足したり削ったりしていただきたい。

 

 

 以上二つの例歌における十音は凡そ「何をどうする」と書かれていた。

 

 一方、本年2016年のお正月に制作した次の歌については、先に挙げた和歌と同様、暗号のような詠いぶりとなっている。つまり、歌意と十音の言葉や文には全く関係が無い。

 

故郷の暗き知らせか無事願い雲に乗りたし浪漫を求め/ブログ主  (例歌3)

 

るさと

らきしらせ

じねが

もにのりた

まんをもと

 

 

 さて、十音を取り出すと「ふくぶくろのかいしめ」すなわち「福袋の買い占め」と読める。この例歌3は制作当時にちょっぴり話題となった事件を取り上げたものである。

 

 この二倍折句のタイトルであるたんたん狂歌42「スターバックス」を知れば、同社に関係する何らかの出来事が、歌の中に隠されているに違いないと想像できるだろう。

 

 なお、折句の「ふくぶくろ」までと読みを打ち切った方に、ちょっぴり面白く感じていただけたら幸いである。

 

 

 ちなみに、二倍折句にはここで示した文字の繋げ方の他に、初句から結句へ向かって初めの一字を繋げた後は結句の終わりから遡ったり、あるいは、逆さまに読む、つまり、結句締めの一字から始めることもあるらしく、ルールを変えて様々に楽しめるだろう。

 

 

 それでは、皆さんも雅びな現代和歌を目指して、沓冠を明るく楽しく詠んでいただきたい。えっ、「今回の評論も、やっぱり沓冠の作り方の説明になっていない」ですって? 申し訳無い。本当は(作り方)なぞというものは無い。皆さんの創意工夫次第である。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー