たんたん評論「返歌の作り方Ⅱ」

 

 

 ブログ主は前回、2014年4月14日付けたんたん評論「返歌の作り方~NHK短歌2014年4月13日」において、返歌の作り方についてちょっぴり説明した。なお、その際に取り上げた元歌が和歌であったから、返歌も和歌に詠んだものである。

 

 ただし、現代短歌で「君がスキだ!」と告白されれば、「私もよ!」と返事するだろう。また、ブログ主の作る現代和歌における返歌にも、現代語を普通に使う。しかし、愛憎を書くだけでは相聞歌としては余りにも寂しいことだ。

 

 

 それでは、返歌をどのように詠うべきかについて、実作に基づいて説明しよう。例えば、前回の評論における元歌と返歌を以下に示して、返歌の特徴について再掲しよう。

 

(元歌)

たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰りこむ/中納言行平

 

(返歌)

きみ待つと言へど戻らずふる雪の今きる縁と山ぞ伝へむ/ブログ主

 

 

 まず、返歌が当該元歌に返した歌であることを示さなければならない。そこで、元歌で用いられている象徴的なモチーフを返歌に含めることになる。上例では、元歌の四句の「まつ」、つまり、「待つ/松」の意味の言葉をそのまま、返歌の初句に置いた。

 

 ただし、これだけでは余りに一般的過ぎるので、元歌に「いなばの山」、つまり、現在の鳥取県の山とあるので、因幡三山の「今木山(いまきやま)」を洒落て、返歌の四句から「今きる縁と山~」と書いた。

 

 

 次に、和歌であるから伝統的な修辞を含めなければならない。元歌を確認すると、上の句全体の「~生ふる」までが、四句の「まつ=松」を導く序詞のように見える。さらに、それは下の句において、あなたが「待つ」と言うのを聞いたら、といった掛詞にもなっている。

 

 もちろん、初句から「たち/わかれ/いなば」も、ブログ主は「これから出発して/あなたと別れて/ここを去れば」と解釈するが、その「いなば」は「因幡」の掛詞でもある。このように、元歌は序詞や掛詞等の修辞を踏まえて詠われている。

 

 

 そこで、返歌においても、作者は「きみ(=行平)を待つ」と言ったのに、彼は都に戻らずに経(ふ)る、つまり、時が経ったことを述べて、それを「降(ふ)る」の掛詞として、次の「雪」に繋げてみた。

 

 そして、まるで身を切る雪の寒さのような行平の態度に、二人の縁も今にも切れそうで、それを今木山は彼に伝えることだ、といった洒落もちょっぴり足した。

 

 もちろん、元歌と返歌の二首ひと組で、出来る限り意味の通じる会話になっていなければならない。なお、後者の歌意について、詳しくは前回の評論をご確認されたい。

 

 

 さて、今回は返歌の作り方の第二回目として、別の例を示そうと思う。次のブログ歌は或る有名な古歌に対して返歌を制作した積りだが、その元歌が解るだろうか。

 

傘松のたよりなければ身近なる不二の思いのやがて届かむ/ブログ主

 

 

 もしも、当ブログの読者の皆さんの中で元歌が解った方が居れば、その分だけは少なくとも返歌と認められたことと言えるだろう。なお、このあとすぐに元歌の答えを示すので、皆さんはそれを見る前にちょっぴり考えていただきたい。

 

パンダ

 

パンダ

 

パンダ

 

パンダ

 

パンダ

 

 さて、皆さんはブログ主が制作した返歌の元歌が解っただろうか。答えを早速示せば、それは次の小倉百人一首の60番である。

 

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立/小式部内侍

 

 

 この歌が披露されたエピソードを概略すると、小式部内侍(こしきぶのないし)の作る歌が大変優れているので、これは「母親の和泉式部(いずみしきぶ)が代わりに作っているに違いない」といった噂が立つ。

 

 そこで、ある歌会において、権中納言定頼が、「今回の歌はどうしましたか?(母の和泉式部が居る)丹後へ(歌を取り寄せるための)使いを出しましたか?まだ、帰りませんか?」と嫌味を言う。これに対して、小式部内侍は上記の歌を詠み、答えていわく、

 

「大江山(おおえやま)を越えて、生野(いくの)を通って丹後へ行き、天の橋立(あまのはしだて)を見るまでに歩く道のりはたいそう遠いことです。

 

 それで、私はまだ、その土地を踏んだこともありません。もちろん、あなた(定頼)が『丹後から届くはず』と言うところの、母親の歌の書かれた手紙なぞも見てはいません」

 

 小式部内侍はこの歌をもって、その歌を詠む才能を示したことで、母親が代作しているという噂を否定したのである。なお、これに対して、定頼は何も言い返せなかったらしい。

 

 

 さて、元歌はもちろん相聞歌では無い。それでも、例えば、歌劇で科白を歌うように話しかけられたら、歌いながら返したいもの。そこで、次に再掲した返歌を制作してみたのである。

 

傘松のたよりなければ身近なる不二の思いのやがて届かむ/ブログ主

 

 

 まず、元歌に対する返歌であることを示すために、重要なモチーフである「天の橋立」を返歌にも取り込む積りで、股のぞきのポイントである「傘松」公園を初句に置いた。

 

 次に、母親からの歌の連絡を「待つ」ところの「便りが無い」ならば、そして、遠くに住む家族が「頼りにならない」ならば、という掛詞や洒落を書いた。

 

 そして、元歌では遠い丹後からの文は「まだ」見ないが、返歌においては身近にいる者からのそれは「やがて」届くだろう、と対(つい)にした。

 

 なお、「たより」、「届く」、そして、「不二(ふじ)」は手紙に関する縁語である。

 

 

 ただし、ブログ歌の本意は「もしも、親(和泉式部)が頼りなければ、身近に居る者の、いつも仲が悪くて別々に見えてもいつかは一緒と君を慕う者の、この世に二つと無い気持ちがやがて伝わって、頼りにしてほしいものだ」である。

 

 この思いはもちろん、小式部内侍の元歌に対して返歌を詠えたであろう者の、すなわち、藤原定頼のそれである。なぜなら、返歌にはきちんと「不二=ふじ=藤原」の思いと書かれてあり、そして、彼にはとりあえず「頼(たより)」が有るからだ(笑)。

 

 

 それでは、皆さんも雅びな現代和歌を目指して、返歌を明るく楽しく詠んでいただきたい。えっ、「今回の評論も、やっぱり返歌の作り方の説明になっていない」ですって? 申し訳無い。本当は(作り方)なぞというものは無い。皆さんの創意工夫次第である。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー