今日偶然ヴァチカン市国に立ち寄りました。何度めのヴァチカン訪問だろう! このいつ来ても特殊な空間に、こんなにあっさり立ち入れてしまう環境にいることに日々麻痺しています。イタリアにまとわりつく、陽気だけど裏ではマフィアがはびこる黒い国、というイメージがどうしてもぬぐえないのは、ヴァチカンが起こした不正取引や、それにまつわるpapa buonoと呼ばれたアルビーノ・ルチアーニの不自然な死などが、イメージを決定づけてしまったからだと思う。ちなみにルチアーニが死んだのはモーロが暗殺されたのと同じ1978年。こんな事件が次から次へと起こっていたあの時代は、研究対象としては本当に興味深い。
ヴァチカンの財政スキャンダルについての説明付き資料集とも呼べる本が去年出ました。Vaticano S.p.A.と言いまして、しこしこ訳していたのでその前書き部分をここに掲載してみます。
大枢機卿の秘密文書
極秘のまま未発表だった膨大な資料(預り金記録、書簡、機密報告書、行政府からの書類、機密とされている宗教活動協会の収支、小切手・為替類の写し、暗号化された口座用紙等)。これら資料に助けられ、私はヴァチカンの心臓部にまで入り込むことができた。そしてこれらを私が入手できたのは、1974年から90年代の終わりまで、教会の財政管理において、最重要人物だった枢機卿レナート・ダルドッツィ(1922-2002)の遺言によるものだ。
ダルドッツィは20年以上にわたり、ヴァチカンの緻密な企てに加担する者たちだけで開かれる会合に出席していた数少ない聖職者の内の一人だ。二重扉の小広間、細工の施された天井、ビロード絨毯、婉曲表現の間で、ヴァチカンの名において不謹慎な行動を正そうと、時間が過ぎていく。完全なる財政地雷を除去し、スキャンダルに息を詰まらせ、聖なる父のすぐ一段下で、ためらいなく高位聖職者たちを解雇する。そんなストーリーは、ポール・マルチンクスが大司教だった時代、アンブロジアーノの事件で終結したと思われた。ところが、それはいつでも垂れ幕の裏の静寂のように、包まれたまま、決まって頭をもたげてくるのである。
神権政治と資本のデリケートな関係を保ちつつ、そして徹底した秘密主義に基づき、ヴァチカンは自らの事業を進めてきた。ヴァチカン・ホールディングの精力的な活動は、全世界でも有数の厳重監視下にある秘密の一つとなっている。ヴァチカンでは、毎年7月に発表される期末収支決算でさえも、概括しか情報として明かされないのだ。この寡黙さは、求められ、日々保護されている。なんとしてでも。思慮深さ、この情報の欠如、 にもかかわらず、長い裾の法衣をはおった銀行家たちの黄金律の一つとして残っている。気の弱い一般の信者たちには秘密のままで。
この沈黙がヴァチカン経済全体、つまりローマ教会の経済状況を標し、議論の的になるべき事業を守護した。沈黙は信者との信頼関係を擁護し、そうして最近の損害を回避するのだった。要するに、沈黙とは、枢機卿に上りつめようとするものたちにとって、彼らの権力をよち強固にするために、欠かせないものだったのだ。特に、ミケーレ・シンドーナの私立イタリア銀行、ロベルト・カルヴィのアンブロジアーノ銀行、大司教ポール・マルチンクスの宗教活動協会のスキャンダル以降は。ヴァチカンのイメージを危険にさらしたスキャンダル、数々の不審な死に次いで現れた教皇ジョヴァンニ・パオロ二世は、二十年の時間をかけて、名誉回復という困難な作業を遂行した。例えば、即位期間三十三日の教皇、アルビーノ・ルチアーニの死。服役中、湯気の立つシアン化物入りコーヒーによって毒殺されたシンドーナの死。ロンドンのフラーティ・ネーリ橋の下でみつかったカルヴィの死体といった未解決の殺人事件がある。信ずる者を、神の声を広める者に結びつける信頼関係を傷つけないためには、過去、現在において繰り返してはいけないスキャンダルだ。しかし、この沈黙が再び破られるなら、ヴァチカン財政が偽善と偏見という板挟みの遊びから抜け出して真実の瞬間に直面するのなら、役割と機能を合法化することへの影響とイメージを取り繕うのにかかる費用は、予測不可能なほどである。
ゆえに、ヴァチカンを囲む城壁の中、教皇、大司教、枢機卿といった銀行家たちには、信仰によって築き上げた資金で取引を行うとき、沈黙が要求されるのだ。気兼ねなどなく、不法行為さえも許されるほどに。宗教活動協会は、いまだに足を踏み入れることができない場所のままだ。ヴァチカンはごく僅かしかその存在を認めていない。公式ウェブサイトでは、それについて触れられていないし、明らかにされてもいない。まるでヴァチカンには財政というものが存在しないかのように。
すべての人に明かされるべき時
ダルドッツィ自身も、沈黙を人生の教訓としてきた。声明、インタビュー、写真など、一つも残していない。引用さえ一つも残っていない。彼の膨大な資料は、ヴァチカンの苦悩に満ちた財政の推移を内側から構築するものであり、今まで公になることはありえなかった。ダルドッツィはその死後にのみ、彼の全人生をささげた を残した。遺言による彼の望みは、以下のようなものである。「すべての人に何が起こっていた理解できるよう、これら資料を発表することを願う」。
ヴァチカンの20年にわたる活動の記録を集めた4000点以上もの資料の真価を確かめるためにも、ダルドッツィなる人物が何者であるかを理解しておこう。1922年、パルマで生まれる。聖職者の地位に着いたのはずいぶんと遅れてのことだ。1973年、51歳になってようやく、召命を感じ司祭となり、錚々たるキャリアとともにヴァチカンに現れた。数学、理工学、哲学、神学で学士号を取得た後、ヴァチカンのためにテレビ・ラジオ放送局であるStetグループでの輝かしき経歴を捨てる。当時彼はSipの総本部長、Reiss Romoliテレ・コミュニケーション専門学校の校長になることを望まれていたにも関わらずだ。ダルドッツィは五つの言語を流暢に使いこなし、国際社交界に頻繁に出入りしていた。R.アルノゥ神父を通して、ヴァチカン国務秘書アゴスティーノ・カザローリと知り合った。神父とは、いくつかの事業に関する起草を共に作成した仲であった。カザローリとの個人的な関係と相互理解、つまり、ジョヴァンニ・パオロ2世時代のヴァチカン組織での君臨ぶり、プロフェッショナルとしての権限と認識力が、彼を急速に成長させる。ダルドッツィは、ヴァチカンの重要省庁、大司教の右腕である国務省の直接委任の下、行動しはじめる。
そのまさに国務省の命を受け、1974年、彼はヴァチカンと協力関係を持ち、宗教活動協会の秘密に自由に立ち入れることを大いに堪能する。カザローリはすぐに彼をアンブロジアーノの事業に引き入れ、経済財政のコントロールという任務を課す。顧問として、カルヴィが所有していた銀行の財政困難についての真実を検証するために、イタリア国家と共につくり上げた双方からなる委員会の任務に参加させもした。しばしば木曜日の昼食は、ボルゲーゼ的な服装を脱ぎ捨て、黒く長い神父服に身を包み、教皇のいる間へと続く階段を上る。会食者をポーランド人で固めていたジョヴァンニ・パオロ二世のテーブルに招かれた、数少ないイタリア人の一人がダルドッツィである。
ダルドッツィの監視行動は、カザローリの後任である国務書記長アンジェロ・ソダーノにおいても引き継がれた。1985年にはヴァチカン科学アカデミーの責任者に、そして1996年には書記官に上り詰めた。90年代に行われた未公表事業の監視と、崇高な学術研究という役割を統合したのだ。世界的に影響力のある教皇が臨んだガリレオ研究の追求、当時の枢機卿ジョセフ・ラツィンガー、教理聖省の長官だった男は、ガリレオが残した文書についての知識を深めることを推し進めた。
担当したすべての財政事業において、ダルドッツィは資料とノートをつくり、専用の黄色いファイルに入れてそれを隠し通していた。それらは、彼から管理を任されたある人物の手によって保管され、私に受け渡された。今日、明確な理由で匿名を希望する人物だ。これら資料をイタリアに再び取り寄せ、この情報という財産をふさわしき安全な場所に保管しておくことは、容易ではない。作業は二段階を要した。一つ目はより労力のいるもので、数か月を費やした。全資料をスキャンして、CD-ROMの中に収め、その上で調査をする。つまり、現在一般に公開されているサイト(www.chiarelettere.it Vaticano S.p.Aのタグをクリック)に資料をアップ・ロードすることである。二つ目はより危険なもので、イタリアに資料のオリジナルを取り寄せるということだ。安全な保管場所はスイス、チィチーノ地方にあった。そしてそれが何であるのか知らされぬまま、環状の高速道路の近くまで持ってこられていた。
2008年の夏の終わりのある早朝、ミラノから私は出発した。重量40キロに及ぶサムソナイトのスーツケース二つが、国境を越えたところで私を待っていた。回収は非常に素早く行われた。私にとっては幸運なことに、農家の地下貯蔵庫に決して降りることのなかった田舎の老婆といっしょにコーヒーを飲んだ。そしてイタリアに再入国し、仕事が始まった。
この書はヴァチカンを糾弾することを旨としていない。杜撰に繕われた信仰を楽しんだ男たちの犯した事件を語る書である。サン・ピエトロの柱廊を越え、スイス衛兵が着用するコバルト・ブルーの制服を越えて起こった出来事の証言となることを望む。特に、70年代から90年代にかけて、ヴァチカン、イタリア、そして全世界を震撼させたすべての大事件において、その第一人者として過ごしてきた人物の資料に始まるヴァチカン財政の不透明な現実を語りたいと思う。
第一部では、ダルドッツィの秘密文書をもとに、入念にヴァチカンの財政運営を組み立てている。そして第二部では、ダルドッツィの記録文書を離れ、事件と未発表の証言を参考に、キリスト教民主党の壊滅後、新たな巨大中道政党の誕生を支えるように、さらにはマフィアの財源を再利用するように枢機卿たちと高位聖職者たちを動かしたと思われる財政事業について、宗教にとらわれず語っている。