先月は小沢健二が13年ぶりのライブ・ツアーを行うということがたいへんな話題になった(と思う)。そしてツアーのための特設サイトでは、「読み物」と称してオザケンが、ライブへの意気込みや、渡米後、メディアに露出しなくなってからの彼の生活など、さまざまなことについて語っている。その内容は実に小沢健二的なものだ。社会批判やメディア批判などを含む会話が、「うさぎ」なるものを聞き手として、カジュアルな架空のインタビュー形式で展開していく。見様によっては挑発的であり、そんな手法も、王子オザケンだからこそ許される特権と思えてくる。そういう意味で小沢健二的である。


 京都駅ビル「アバンティ」が世界の中心だと思っていた筆者は、学生時代の多感の時期をオザケンを聴きながら過ごした。ゆえに、彼の存在はあまりにも大きく、今回の「読み物」も、多くのをことを考えさせられ、非常に充実した読後感を与えてくれた。例えば、彼が海外のさまざまな国に行って聴くのは、アメリカやイギリスの音楽ではなく、その地元の有線で流れているような歌謡曲であるという話。そこからその国の現在の生活や思想が見えてくるという考え方は、アントニオ・グラムシの「大衆小説にこそ、その国の哲学とイデオロギーが読み取れる」という言と一致するではないか!とか。ただ、オザケンがお休みしているあいだに、筆者もその分だけ歳をとり、ある人からは「姑息」と呼ばれる大人になってしまった。ゆえにバンド・メンバーも客も13年分歳をとったコンサートを観るのは、テレビで久しぶりに「笑点」を観てしまった感覚に陥りそうでつらいという冷めた自分もいる。そんな少し引いた視線で、オザケンの大著「読み物」を精読し、気になったテーマを採り上げて論じてみよう。


 タイガー・ウッズの話がある。タイガー・ウッズの浮気事件がアメリカの主要な紙メディアで911を超えるほど大きく取り扱われたことを嘆くオザケン。彼曰く、タイガーの浮気は「いい人像」の崩壊をもっとも象徴する出来事だったらしい。ここで言われる「いい人像」とは何か? メディアを管理、操作することで、作り上げられるイメージのことである。さらにオザワは、ネット・メディアの発達=SNSの登場で、現在ではテレビに出てくる有名人だけではなく、市井に暮らす多くの人々もまた、自分のイメージづくりに腐心している、まるで自らが自らの広告代理店をしているようだ、と指摘している。しかし、自らが自らの広告代理店をするのは、自らがタレントでも、政治家でも、企業でもないのだから当然のことだ。オシャレな服を着ることだって、好きな絵を部屋に飾ることだって自分のイメージづくりの一つではないか。ただ、SNSが現れたことで、イメージづくりが過剰になったことは確かだ。そしてSNSで自分のイメージづくりが促進されていると言っても、それは何も単一的な現象ではない。ここで日本発祥のミクシィとイタリアで流行りまくっているフェイス・ブックを比較研究してみたい。(つづく)


追伸、大阪の淡路東宝シネマでシルヴァーノ・アゴスティ特集上映が行われています。例によって先輩方の企画したものです。今回は全6本の映画が観れます。興味のある方は是非。

週間イントラモエニア