もえもえ育児ほぼ終了日記と障害児家族の防災ブログ -523ページ目

T大学病院入院

過去話『T大学病院受診』の続きです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2002年2月19日。

T大学病院に入院しました。

歴史の長い大学病院なので、古色蒼然と言えば聞こえは良いのですが、かなりボロボロな建物も多いのが現実。

入院棟はどんな様子なのかちょっと心配でした。
でも実際はありがたいことに数ヵ月前に立て替えられたばかりの、とても明るく清潔で壁の色などにも配慮された非常に綺麗な病室でした。

ここの病棟は大部屋でも四人部屋までで、二人部屋が大多数。

ほとんどの部屋にシャワー室兼トイレが設置されています。
テレビ(インターネットも出来る)もミニ冷蔵庫も一人に一台。
快適に過ごせるような配慮を感じさせてくれる部屋でした。

私は二人部屋の入り口側。
お隣の方も穏やかで感じの良い方でほっとしました。

看護師さんも感じが良い方ばかりで、ここに入院している間不愉快な対応をされたことがありません。

看護助手(?)のおば様にも大変お世話になりました。

洗濯機&乾燥機も各階(病棟)毎に一台設置されています。

入院棟一階にはちょっとしたコンビニ並みに充実した売店もあり、週に二回、自分では動けない患者さんのためにワゴン販売サービスも行われていました。
(注)小児科&小児外科はワゴン販売サービスはありません。目に毒なだけですものね。

入院棟全体が、患者さんが過ごしやすいように良く考えられて作られていたと思います。

看護師さんに入院中の過ごし方などの説明をうけ、パジャマ(貸し出しもありましたが、私は持参のを使いました)に着替えた後、先生による診察。

主治医となる先生と初顔合わせです。

指導的立場の油の乗りきった感じの男性先生と、若くて美人の女性の先生。
更にインターンと言うのかな?まだ本当に若い男性の先生がチーム形式で担当してくださるとのこと。

指導の先生はユーモアたっぷりで明るくハキハキしゃべる先生で良く笑わせていただきました。

女性の先生は日常は一番メインでお世話になりました。
若く見えるのに実は既婚でお子さまもいらっしゃると知ったときは驚きでした。

さて、この入院直後の診察で早産傾向があることが判明し、まずは病棟内安静(産科の病棟からの外出禁止)となってしまいました。

しかもウテメリンという早産予防の点滴(24時間)を行うことに。

この後、出産当日までこの点滴は続くことになり、いつも点滴台をお供に(トイレも)行かねばならないことになりました。
かなりうっとうしいですよね。


でも、この点滴を始めたとき、看護師さんが「これから当分これがいつでもどこでもお供しますからね~♪ポチと呼んで可愛がってあげてね~♪」なんて笑わせてくれたお陰ですっかり気が軽くなりました。

最初はトイレに入るときのポチの居場所に困ったりもいていましたが、そのうち慣れて移動するのも楽々、何となく愛着が出てきたから不思議です。

ユーモアって大事ですね。

T大学病院受診

大分間が開いてしまいましたが、そろそろ過去の話に戻ることにしましょう。

たっぷり楽しんだ日記の後だけに、ちょっと書きづらいですが…。

『T大学病院予約』の続きです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2002年2月14日、私は旦那と母と一緒にT大学病院に向かいました。

旦那は抜けられない仕事があるため、診察には付き添えませんが、送り届けてから出社するからと、私を気遣って一緒に来てくれたのです。

そして母も、私一人では何かあったときに困るだろうし、何より心細いだろうと付き添ってくれたのです。

病院に着いて初心受付を済ませたところで、旦那は仕事に向かうことに。

私は用意していたチョコと手紙を手渡して別れました。

手紙にはおよそこんなことを書いたと思います。

「結婚してはじめてのバレンタインデーだね。
正直いってこんなに赤ちゃんの事が心配で不安が一杯なバレンタインデーになるとは、思いもよらなかったけど、きっと良い結果が出ると信じて診察を受けてきます。」

母に付き添われて産科に行くと、看護士さんが産科受診の時の体重や血圧測定の手順などを説明してくれます。

ごく当たり前の手順なだけに、赤ちゃんの異常を診てもらいにきた私にはものすごく違和感がありました。

私の赤ちゃんは生まれてこれないかもしれないんですよ?

それなのに「これからいらしたら毎回…」なんて、とてもにこやかに説明してくれるんです。

それでも、看護士さんが説明してくれるのは当たり前のお仕事だと言うこともわかっていますから、素直に教えてもらいました。

一連の測定がすんで、診察までのことは良く覚えていません。

母と二人でいたのですから、何かしら話はしていたのでしょうが、多分当たり障りの無い話に終始していたのでしょうね。

診察室に呼ばれたときに、母に「一緒に聞いていた方が良い?」と聞かれましたが、あえて一人で診察室に入りました。

お腹の赤ちゃんの親は私だから、どんな結果であろうと、まずは私自身で受け止めたかったのです。

母も、私の気持ちを尊重して待合室に残ってくれました。

診察室に入り、貰ってきた紹介状を元に現状を説明し、診察を受けます。

紹介していただいた先生は超音波診断の実力者とのことでしたので、とにかくしっかり診ていただこうと覚悟を決めて。

超音波検査はやはりかなり長くかかりました。

赤ちゃんの胸を丁寧に、何度も色んな画面に切り替えたりしながら繰り返し診ています。

そして告げられた結果。

1・赤ちゃんの胸に水が溜まっていて、肺が背中側に押し潰されてしまっているらしい
2・ただし、小さいが肺と思われるものはみられる
3・このままでは、肺が成長できないので、出産と同時に命を失う
4・赤ちゃんを助ける為には、肺を押し潰している胸の中の水を抜いてしまわなければならない
5・今見た限りでは肺はあるようだが、水を抜いて見ないとはっきりしたことはわからない
6・肺が存在していても、水を抜いた時点で広がってくれないようなら、やはり出産と同時に命を失う
7・病院のベッドが空き次第入院を

以上でした。

ある程度は覚悟を決めていたとはいえ、やはり厳しい現実にショックを受けました。

何よりショックだったのは、水を抜いても肺が膨らまないようなら、お腹の中でしか生きられず、出産と同時に命を失う。
この事でした。

診察中だって元気に動いて「生きているよ」とアピールしていた赤ちゃんです。

「肺が広がりませんでした」と言われたときに果たして私はどうすれば良いのでしょう?

その時点で諦めて中絶?
それとも生きられないのを承知で出産?

どちらも考えたくもない選択です。

それでも、先生は「肺はあるようだから、胸の中の水を抜いて広がることに期待しましょう」とまだ望みがあるといってくれました。

もうこうなったら、私たちもこれにかけるしかありません。

お腹の赤ちゃんの生命力を信じて、先生方に全てを託す。

それしか選択肢は残されていないのですから。

診察室を出ると、心配しながら待っていた母が「どうだった?」と駆け寄ってきます。

申し訳ないけど、どうしてもその場で、大勢の妊婦さんの行き交う待合室では話す気になれません。

「ごめん、落ち着ける場所で話す」とだけ言うのが精一杯。

母も、私の気持ちを察して、本当はとても訊きたかったでしょうに、そのまま黙って産科の待合室を後にし、会計を済ませてくれました。

会計待ちの間にかろうじて「ベッドが空き次第入院することになった」とだけ話せました。

母は「わかった。じゃあ、入院の準備を帰りに済ませていこうね。出来ること、やらなきゃいけないことだけ考えて、一つずつ片付けていきましょう。」
「今日は疲れたでしょうから、もうお昼になるし、美味しいものを食べて赤ちゃんにも栄養を送ってあげようね」

そう言って、詳しい話を無理に聞こうとはしないでくれます。

この思いやりが本当にありがたかったです。

口を開いたら叫びだしてしまうか泣き出してしまうか、どちらかだったと思います。

それを私の顔色から察して、具体的な診断を聞くより、私のフォローに徹してくれた。

今でも感謝しています。

病院をでた私たちは、適当に小綺麗な喫茶店を見つけて腰を落ち着けました。

診察結果にショックを受けていて、しかもまだつわりが抜けていない私は食欲なんて当然ありません。

でも、母に勧められるまま、とにかく温かいハーブティーを頼んで、気持ちを落ち着けようとしました。

お茶が来るまでも、母は黙って、ただいつもより近い位置に腰かけて、私の手を握っていてくれたのです。

その手の温もりと、運ばれてきたお茶の温かさに勇気付けられて、私は母に診察結果をすべて話すことが出来ました。

母は最後まで口を挟むことなく聞いてくれて、ただ「私たちはあなたたちが選択したことを全力でフォローするから。赤ちゃんの親であるあなた方二人で決めたことなら絶対に間違いないから、きちんと話し合うのよ」とだけいってくれました。

楽しみにしてくれている初孫。
その孫が、生まれてこれないかもしれないと言う現実。
母も辛かったと思います。
でも、私の心に負担がかかるようなことは一切言わないでくれた。

お腹の赤ちゃんを絶対に抱かせてあげたい。
赤ちゃんを抱き締めてほしい。

やってみなければ、どうなるかわからないけど、助かる可能性がある以上、最後まで諦めない。

その思いだけは私の中に揺るぎなくありました。

温かいお茶と母の気遣いで、私の張り詰めていた心は和らぎ、頭の中でこだまする
「どうして私の赤ちゃんが。」
「助からなかったらどうしよう。」
を、少しだけ脇に追いやることが出来ました。

さすがに美味しい昼食をとはいきませんでしたが、何とか軽いお昼ご飯を食べることが出来たのも、母がいてくれたからこそです。

心配しているであろう旦那にも状況を説明するメールを送りました。
抜けられない会議中だった旦那からは返信はなかったけど、帰宅してから、私と同じく助かる可能性がある以上は絶対に諦めないと言ってくれて、赤ちゃんの為に二人力を合わせて頑張っていくことを誓いました。

結局、その日は最後まで母に助けられながら、入院の準備をすませました。

一人じゃない、助けてくれる人がいる。

これは本当に心強く、ありがたいものですね。

重圧に押し潰されそうな心にそっと寄り添って支えてくれる。
不安に怯えて凍えそうな心を抱き締めて暖めてくれる。

母の愛情の深さ、大きさ、暖かさを再認識しました。

私もこういう母親になりたいと思っています。

インターバル~遊んだつけ?~

風邪がちっとも良くなりません(T▽T)

喉から耳の下辺りまで痛いです。

熱が37度後半から上がることはあっても下がりません。
頭が重くてボーッとしてしんどいです。

咳と痰がひどいです。ゲホゲホ

更にもえもえが昼寝から起きたら大量の目脂が(T▽T)
また結膜炎かなあ?

明日の朝まで様子見て治まらないようなら、眼科に連れて行かなきゃいけないでしょうねぇ(-.-;)

こんな状態なのに、旦那は月曜から出張に出たままで居ないんです(><。)。。

明日の午後には戻るらしいけど、病院どうしようかな~(;_;)

午前中に頑張って眼科に連れていって、午後に旦那が戻り次第私が内科に行くか、旦那を待ってもえもえの眼科を旦那に頼むか。

あ~、頭が働かない(;_;)

この風邪やら怪我やら、もえもえの結膜炎やらは、この間ディズニーリゾートではしゃぎ過ぎたつけなんでしょうか…。
楽しかったから後悔はしていないですけどね。

とりあえず、旦那!早い帰宅をお待ちしてます!切実です。

…すいません。熱があるので、とりとめの無い文章になってます。
見逃して下さいませ。