attraversare ~海を渡って | La gioia della vita ~ぴんぐのいちにち

attraversare ~海を渡って

(注:今日の話は長くなるよ)

昨年、ガラス作家さんからベネチアンガラスのご注文がありまして。

真紅のベネチアンガラスを装飾なしで作ってもらってほしい

というご依頼で、

それをもとに新しい造形作品の構想があるということでした。

 

カタログにない商品を、不自由な外国語で

お客さまの希望を説明しながら 誤解なく間違いなく注文するのは

実に緊張する仕事でしたが、

一方ではそんな仕事に密やかなワクワクもありました。

途中、製造・出荷の遅れもあり、ヒヤヒヤ やきもき。

その頃ちょうどミラノでイタリア工芸品の展示会があり、

発注したメーカーさんの代表に会える機会があったので

初めての単身渡伊ながらイキナリ

「はよせいやゴルァ」と

外国語で直談判しなければいけないミッションも生じました。


そんなこんなでようやく海を越えベネツィアから届いたガラスは

一つ一つ包みをほどく度に

部屋中にまばゆい光を放ち(自分にはそう思えた)

しかしその輝 きは、物理的なガラスの光以上に

イタリアの・・・中世ベネツィア文化の歴史と息吹を受け継ぎ

今を生きている職人さんたちの

確かな技術と情熱の結晶の輝 きでした。


それから3ヶ月、作家さんから個展の絵はがきが届き

そこにはあのガラスが

より美しくロマンチックに姿を変え

全く新しい作品になっている写真がありました。


― ご尽力いただいたベネシャンガラスを使って

裏面のような創作品が出来上がりました。

誰もやっていないはずの、私の第一号作です。

今全国展を巡っています、ありがとうございました ―


・・・ありがとうございましたは全くこちらの方で

得難いものを求めさせていただき

得難いものをこの目にしてこの手に触れ

そしてまた

世界に一つのガラスが

世界に一つの作品に生まれ変わる感動に出会うことができました。


わたしの、生涯を通じた夢の一つに

「西洋の美に込められたこころをこの国にも伝えたい」

というものがありますが

それと対を成すもう一つの夢は

「西洋とも たくさん共感し合える我が国の美意識(こころ)を

海の向こう側へ、感動をいただいた恩返しのように伝えたい」

というものです。

すぐにこの写真を

ガラス を作ってくれたベネツィアのメーカーさんにも送り

つたないイタリア語で作家さんの感謝を伝えました。

というか言葉などなくても

彼らが、このガラスを 作った職人さんが

一目でこの作品にときめいてくれたらいいなと願いを込めて。


そして、あるわたしの友人が言う

(彼女はとある占星術のようなものに詳しいのですが)

わたしの星には「橋渡し」の天賦と役目があるという言葉を思い出し

もしそれが本当なら

わたしの夢や野望や、ご縁をいただいている今の仕事が

その天命に適っているのだろうかと

ありがたく嬉しく胸に染みいるのでした。


その友人は言いました

「人と人、時にはあの世とこの世の橋渡しさんは、

その人自身には利益や充実感が感じられないかもしれないし

自分には大変なことかも しれないけど

その役目が確かにたくさんの人を幸せにするんだよ

だからそれを嬉しいと思える人であれば

それはとても大きな幸せなんだよ。」

・・・っ て、いや、自分だって幸せ満喫したいですけど(笑)


あわただしく過ぎていく毎年・毎日のなかで

ふとした出来事の嬉しさが今日を明日に手渡す力になる。

 

どうかこれからもずっとそんな人生を愉しんでいけたらと

御年96才になる作家さんの

力強くロマン満ち満ちの作品に思うのでした。