【今月は阿弥陀如来様です】ー時に絶望的状況になっても、どこかに道はあるから、諦めないで。 | 普門院だより~アメブロ版~

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またしてもご無沙汰しております間に、季節はいつしか春から初夏にうつろおうとしています。
 

皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 

 今月の仏様は「阿弥陀如来様」です。

 

 手は来迎印を結んでおられます。「来迎」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。

 

「来迎図」などという美術品をもしかしたら、歴史の授業で習った記憶があるかもしれません。

 

 そう、来迎というのは、亡くなられた方の生命が終わろうとするその時、極楽浄土へと亡き方を

 

連れていって下さることを意味します。そのお迎えにこられるのが阿弥陀様です。

 

 

 この図像は、亡くなられる方の元へ急いでお迎えにいかれているお姿を描いたものだそうで

 

す。

 

 まなざしの方向に、これからお迎えにゆかれる方がいるような、そんな眼線です。

 

 私が師事している写仏講座では、写仏を「心の浄行」という風にいわれています。

 

 なるほど、私自身、もう十六年、写仏を続けていますが、一体の仏様をこうして描き終えた時、

 

いつも何かしら感じるものがあります。

 

 

 到底、悟りなどとたいそうなことはいえたものではないですが、「気づき」はいつもあります。

 

 今回は、阿弥陀様を描かせて頂き、感じたことをお話ししたいと思います。

 

 私は高齢というわけではないのですが、さりとて若いともいえない年です。ここ二、三年はあち

 

こちに身体の不調を感じることも多くなってきました。

 

 深刻なものではないものの、こうして仏様を描いたり、色々と作業をするには少しきついときも

 

あります。

 

 特に一年前、ギックリ腰になったときはもう絶望的な心境でした。

 

 写仏は大抵は机ではなく、畳に紙をひろげて描きますので、腰を痛めた状態でその姿勢をとり

 

続けるのは無理があるのです。

 

―もう、仏様を描くのは無理なんだろうか。

 

 少し大げさかもしれないですが、そこまで考えました。

 

 折角今まで続けてきたものだから、これからも続けたい。思い悩む中で、それでも腰が少し良

 

くなってから、再開しました。

 

 

 そして一年が経過し、また写仏にこうしてお陰様で取り組むことができております。

 

 私だけではなく、どなたも同じで、皆さん、年を取られますね。

 

 体力、或いは、どこかが痛くて、それまで当たり前にできていた行為が難しくなることもあるか

 

もしれません。

 

 そういうときは、誰でも絶望します。

 

 ですが、そこで絶望して諦めてしまわないで下さいね。

 

 一面が闇のばかりでも、どこかに必ず突破口はあります。ひと筋でも光が差す方向があるは

 

ずですから、その小さな光を探してみて下さい。

 

 

 もちろん、思うようにならない健康状態では今までのようなわけにはゆかないかもれません。

 

それでも、続けられるだけで幸せなのだと思い、今までの倍の時間がかかっても手間がかかっ

 

ても、続けてみて下さい。

 

 私もそうやって、仏様を描くことを続けています。

 

 今まで息をするのが当たり前なのと同じように当たり前にできていたこと。それが突然、健康

 

的な理由できなくなった。

 

 お年を召した方だけでなく、若い方にもあるかと思います。
 

 

でも、落ち着いて考えれば、活路は必ず見つかるでしょう。

 

 大切なのは、焦って無理をしすぎないこと。それから、諦めてしまわないこと。

 

 私は、今回の阿弥陀様を描かせていただき、そのようなことを感じました。

 

 今年は春先から寒暖の差が激しく、天候が不順です。

 

 

 どうか皆様、ご自愛下さいますように。

 

 皆様のご健康を心より祈念しております。             合掌