あめちゃーん! | シマ紙のブログ

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「Data0」および「ひみつのこと.txt」というルートがニディガゲームに有るそう。ショート動画のコメントを偶々見て、その人がそう言っているだけなのかなと思って調べたら本当だった。イマジナリーP。


ニディガの映画を観ててんちゃんを掴めなかった理由が分かった。
ニディガには現実にいる社会問題もわんさか詰め込まれている。引きこもり、ルッキズム、向精神薬依存、自傷行為、ホスト依存、パパ活女子。美血華様が言う思考停止して校則に従うことを選んだ奴隷の衣装たる学生服に身を包み、人を社会の歯車として生産する工場たる学校を無事に卒業して社会で生きる大多数の人達にとって、この世界はそんなに良いものでもないけれど普通にしていれば普通に生きられる世界だ。それができない人達は間違った愚かな者達として批判されるか、病んだ弱い人達として哀れまれる。
人間社会の目的は人がより良く生きられる様にすること、というのは本当だと思う。ただそれは一人一人の人間を救いはしないし、そんなことはできない。


リュウジさんの計量スプーン。料理を楽しめ!
同じ形の計量スプーンを持ってはいるけど、料理を何品か作る時に一度洗って水分拭き取って次の粉物の袋から掬い取るのがちと面倒で、これは実用的でもある。前から欲しくて衝動買いしたのではあるけれど。
前世紀の終わりに当時の思想界の知的リーダーとまで評されたミシェル・フーコーが提唱した規範、ディシプリンという概念。例えば学校では真面目に努力することが良いとされ、良い方向には良い進学や良い就職、良い人生という漠然とした良いイメージが与えられる。反対に悪い方向には留年や停学退学、諸々の選択肢が無くなるというはっきりした具体的なマイナスのイメージが与えられる。人はそのベクトルに自ら従い隷従することになる。漠然とした良いものを求めてはっきりとした具体的な悪いものを避ける、それが規範・規律となり社会全体に働いていて人はそれに従うことから抜け出すことはできない。本当だと思う。けれども良い悪いのイメージ、その内容は人によって様々で良かれ悪しかれ時代によっても変わっていく。普通の安全な人生など良いイメージとしての魅力をもう示さないのだと思う。諸々の社会問題が解消されない主な原因の一つは当人が普通に生きることを望めないからだ。普通に生きられる社会に導こうと手を差し伸べた所で興味を持たれない。その人との出会いから映画の様な物語が始まるという人でもなければ求められはしないだろう。通用しない、哲学も人生論も出る幕は無い。
てんちゃんは好きにインターネットエンジェルをしているだけ、そしてPに没頭している。配信者として視聴者を冷静に分析はするけれどリアルには他人に何も求めていない。普通は作品の主人公は一番沢山映し出されてその感情や意志を見る者に共有されるものだけれど、何も求めていないというw非常に珍しい主人公だと思う。だから理解しようとしても手応えが無くて、掴み所が無かった。求められていない、必要とされていない。感慨深い。寂しくも思うけれどね、けれども好きなことに変わりはないし、求められなくても求めることはできる。僕を知ってほしいし、興味を持ってくれることも出来るかも知れない。あめちゃん宮沢賢治好きらしいし、僕も宮沢賢治は多少読んで知っているからそれも話したりしたい。そんな感じでね。
昨日ふと思ったのだけれどニディガラジオ、アニメ全話の収録を終えているそうだから、全話終えた後でてんちゃんがああして元気に楽しそうに喋っているのは物語の一つの救いだと思ってほっこりした。ハッピーエンドはかなり難しい展開になっているけれど後2話頑張ってほしい。
と、そんなことを思っている。
今日もゆいちゃん大好きだ♪
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