お芝居を生で観たことある?
▼本日限定!ブログスタンプ

〇歌舞伎の日
2月20日は、日本の伝統芸能である「歌舞伎の日」です。
その由来は、1607年(慶長12年)のこの日、
徳川家康が「かぶき踊り」という舞踊を初めて観賞したとされることにあります。
この舞踊を踊ったのは、一人の女性である「阿国」でした。
歌舞伎は、中世の戦乱が終わり、開放感があふれていた時代に生まれました。
原型は、戦乱の世に亡くなった人々を弔うことも含めて広まった
「風流踊」(ふりゅう)であり、江戸時代の庶民文化のもとに成立しました。
歌舞伎の特徴の一つに、すべて男性が演じるということがあります。
江戸時代から女性は舞台にあがることができなかったため、
男性が女性の役を演じることになりました。
歌舞伎という表記は実は明治時代当てられた物で、
それぞれ、「歌」は音楽、「舞」は舞踏、「伎」は技芸を意味しています。
江戸時代初期(1603年)の歌舞伎の起源には、
出雲の巫女と名乗る女性・阿国が関わっていると言われています。
当時、阿国が演じていた「かぶき踊り」は、
現代とは逆に女性が男性に扮して茶屋遊びをするもので、
その扮装は胸元をはだけて十字架(ロザリオ)を身につける若侍風など、
常軌を逸したものでした。
実は当時、そういった異様なファッションに身を包む人々を「かぶきもの」と呼んでおり、
阿国はそういった男たちを男装して真似て踊って見せたとされています。
一説には、阿国が男性を、その夫とされる男が女性に扮し
「茶屋遊び」を演じたとも伝わっています。
「かぶきもの」とは、江戸時代初期に出現した、異様な風体をした、
現代で言う「不良グループ」のことを指します。
派手な服装や、派手な化粧、異様な髪型などで周囲を驚かせていました。
時に度を越した遊びや浪費を行い、破廉恥な行為も行っていたとされています。
「かぶき」という言葉は、「傾(かぶ)く」という動詞から出た言葉で、
「傾奇」とも書かれます。
この言葉は、「常軌を逸した奇異な行動やファッション」を意味し、
特に関ヶ原の戦い以降、大坂の陣前後にかけて、京都で目立って流行しました。
「かぶきもの」は、江戸時代の風俗を描いた浮世絵や文学作品などにも登場し、
その特異なファッションや行動が描かれています。
阿国は当時流行していたこの「かぶきもの」たちを演じることで、
「かぶき踊り」の一大ブームを作り上げたのです。
かぶきものたちが、単なる迷惑な不良グループだと思われていたのなら、
「かぶき踊り」が大反響になることはなかったでしょう。
かぶき踊りが受け入れたのは、戦乱の世に疲れ果てた庶民たちが、
反体制的に自由に振る舞うかぶきものたちに
一種の憧れを抱いていたからではないでしょうか。
阿国の男装は「かぶきもの」をモチーフにしているため、
そこから当時の最先端の流行がわかリます。
江戸初期の新しいもの好きの間で、ロザリオは長煙管、襞襟などとともに、
異国趣味のアイテムとして装身具に取り入れられていました。
かぶきものたち服装は当時の最先端のファッションでもあったのです。
阿国が始めたかぶき踊りは、次第に全国に広がっていきました。
その流行の影には、遊女屋の存在があったのです。
まず、遊女が踊る「遊女歌舞伎」が流行しました。
しかし、この「遊女歌舞伎」は、女性の肉体を売りにしている場合もあり、
風紀が乱れるとして1629年に幕府によって禁じられました。
その後、明治時代まで、女性が舞台に上がることは禁じられ、
日本にはの262年間女優が存在しなくなったのです。
幕府に禁止されようと庶民たちのかぶきへの熱はおさまらず、
遊女がダメなら少年で・・・と、成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎」が流行します。
若衆歌舞伎では男性ならではの表現が加わり、
アクロバティックな動きも取り入れられました。
この時期に「女方」と呼ばれる女装した男性役も登場し、
女性にはできなかった男性の表現を取り入れることができるようになりました。
しかし、少年が演じる若衆歌舞伎にも、
遊女歌舞伎にあった色香がなくなるわけではありませんでした。
当時、武士階級に広まっていた男色の風俗が庶民にまで急拡大したこともあり、
色情を一つの売りにした若衆歌舞伎もまた、幕府によって禁止されてしまいます。
女性もだめ、少年も禁止!
となってはじまったのが現在の歌舞伎の源流とも言える「野郎歌舞伎」です。
幕府によって、前髪を落とした成人男性だけで演じることが義務付けられました。
この制限によって、歌舞伎は独自の芸術形態を発展させることになります。
風紀を乱すとして歌や踊りも禁止されたため、物語や演技に重点が置かれ、
役者たちは様々な表現力を追求していきます。
特に女性役を演じる男性たちは、女性らしい仕草の研究を重ね、
美しく見えるように努力しました。
その結果、野郎歌舞伎は徐々に洗練され、江戸歌舞伎、上方歌舞伎として
それぞれの個性を放っていくことになるのです。
「異性装」とは、男性が女性の衣装を身に着けたり、
女性が男性的な衣装を身に着けたりすることを指します。
現代社会では、LGBTQ+の象徴として取り上げられることがありますが、
歴史の中で衣服によって境界を越える試みは古くから行われてきました。
日本でも異性装の歴史は古く、『古事記』『日本書紀』の時代から存在しています。
古代日本では、男女が共に競技や儀式に参加することがあり、
その際に異性装をすることもあったと言われています。
また、古代の王朝物語や能などの文学作品にも、異性装した男性や女性たちが登場します。
歌舞伎の「女方」もそんな異性装の中の一つです。
最初は幕府による規制によって止むを得ずはじまった女方ですが、
その制限によって生まれた美が一種の個性として芽生えたことで、
歌舞伎を300年以上続く芸術に仕立てたと言っても過言ではありません。
女方に性別を超えた美が宿るように、
俳優たちは異性装によって自身の性別にとらわれず、
表現の自由を手に入れることができるのです。
こと演劇においては、舞台上の衣装や化粧によって俳優たちの性別が曖昧になり、
新たな表現の可能性をも生み出すことができるのです。
歌舞伎の化粧は、役者が演じる役の設定や役割を観客に伝える非常に重要なものです。
様々な技法がありますが、その中でも特に印象的なのが「隈取」ではないでしょうか。
隈取とは、地色を塗った顔に筆で線を引き、指で片側へぼかす化粧法のこと。
この技法を使うことで、顔に陰影をつけ、さまざまな表情や印象を与えることができます。
「隈」という言葉には、光と陰の境目という意味があり、この隈を用いることで、
血管や筋肉、顔の輪郭などを大げさに表現することができます。
この技法は、胆で力強い「荒事(あらごと)」という様式を生み出した、
初代市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が始めたとも言われています。
隈に使われる色にも、それぞれ意味があります。
赤い紅隈は、正義感や勇気、血気盛んな若さなどを表し、
青い藍隈は悪人や怨霊などを表わし、
茶色い茶隈は鬼や精霊などを表現しています。
歌舞伎では、役者たちは白塗りをすることでも有名ですが、
これは江戸時代の舞台が暗く、客席から演者の顔が見えづらかったため、
白塗りをすることで、より見やすくするための工夫が始まりとされています。
また、民俗学的にいうと、顔を白く塗るのは神に近づくためのものでもあります。
次第に絶頂を迎えようとしていた歌舞伎の文化は、
贅沢を禁ずる天保の改革によって厳しい規制を受けることになり、
芝居のテーマや演出にも厳しい規制が入り一時的に衰退。
歌舞伎座は中央区から浅草へ移動させられ、役者の地位も落とされます。
その後、明治維新で政府が介入し、
衰退していた歌舞伎を世界に誇る日本の文化に昇華させようという動きがありました。
これまで、歌舞伎は庶民のものでしたが、明治時代に入ると近代化が進み、
歌舞伎は高級な時代劇として扱われるようになります。
こうして、いつしか私たちの頭の中に、歌舞伎は高尚なもの、
というイメージが根付いてたのかもしれません。
しかし、歌舞伎の歴史を見れば、その正体がいつの時代も人々の心を熱くさせた
民衆のための舞台だったことがわかります。
歌舞伎は、江戸から明治時代までの間に、唯一認められていた舞台芸術です。
伝統芸能として唯一無比な立ち位置を築きながら、
近年では漫画やアニメと融合するなど、新しい試みも次々と行われています。
歌舞伎はどの時代においても常にあらゆるものを吸収して発展した
日本文化の集大成でもあるのです。