moeccyaのブログ

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元々はカラメネットに記載していたのですが、閉鎖されてしまったので移行しました。
カラメネットではこんな感じでした。
https://megalodon.jp/2012-0309-1019-12/moe.b.to/twitter01/307
なお初期の記事は時間的関係でほとんど転載してません。





タイプです。と声をかけられた時どうする?


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〇ナンパの日
 マガジンハウス発行の雑誌『ポパイ』の1991年(平成3年)6月19日号で提唱された記念日。

 日付は「7(なん)8(ぱ)」と読む語呂合わせから。
 「七夕」の翌日ということで新たな恋の展開を目指す意味も。
 この日は見知らぬ異性を誘っても良い日などとされる。
 この号が発売された6月5日を「ナンパ解禁の日」とした。





いま一番叶えたいことは?


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〇七夕
 七夕は、中国語で乞巧節(きっこうせつ)とも呼ばれ、
 中国神話に登場する牛郎と織女の逢瀬を祝う中国の祭りである。
 中国の旧暦7月7日に行われる。

 織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された
 「古詩十九首」が文献として初出とされている。

 その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、
 牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、
 さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、
 捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、
 7月7日に行われた乞巧奠と織女・牽牛伝説が関連づけられている。

 また六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、
 「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。
 年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。
 天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。
 嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、
 河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」
 という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーと
 ほぼ同じ型となった。

 この伝説が日本に伝えられたのは奈良時代だが、
 それが日本の七夕信仰と結びついて、年中行事の七夕へと発展したといわれる。





好きなドレッシングは?


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〇サラダ記念日
 『サラダ記念日』は、俵万智の第一歌集。
 河出書房新社、1987年(昭和62年)5月8日初版発行。

 日付は、表題の「サラダ記念日」から、
 (「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日)より。

Wikipedia より




好きな寿司のネタは?


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〇穴子の日
 大阪府大阪市中央区に本社を置く、
 アナゴ、鶏卵商品その他食料品の販売を行っていた商社グリーンフーズが制定。
 穴子は夏が旬であり、近縁種である鰻と同様に、
 ビタミンAやカルシウムが豊富で夏バテに効果的であることと、
 7と5で穴子の「なご」の語呂合わせになることから。

 穴子(アナゴ)は、鰻(ウナギ)と同様にビタミンAやビタミンB類、カルシウムが豊富で
 夏バテに効果的とされている。
 「土用の丑の日」の鰻に続き、夏の味覚の定番となるように全国にPRすることが目的。
 ただし、グリーンフーズは2009年(平成21年)に加ト吉の完全子会社となり、
 グループが水産事業からの撤退を決め、2012年(平成24年)12月で事業停止となっている。

 また、東京都中央区新富に本社を置き、エビ・穴子・サバ・タコ・イカなど、
 水産加工品の食品卸売を手がけるハンワフーズ株式会社も「穴子の日」を制定している。

 日付の由来は同じ語呂合わせで、「土用の丑の日」のように「穴子を食べる日」
 として定着させることが目的。





今年初の梨はもう食べた?


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〇梨の日
 旧東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会が2004年(平成16年)に制定。
 日付は7月4日、ナ(7)シ(4)の日の語呂合わせ。

 旧東郷中学校の東側の梨園に、湯梨浜町に二十世紀梨が導入された初期の樹がある。
 二十世紀梨は鳥取県の産物の筆頭にあげられているが、
 その中でも湯梨浜町の梨は昔から質・量共に最高で、
 日本一であると言っても過言ではない。
 千葉県で発見、育成された二十世紀梨は、1904年(明治37年)春、
 鳥取市桂見の北脇永治氏が、初めて県内に苗木を導入。
 当時は長十郎などの赤梨が栽培されていたが、
 二十世紀梨の品質の良さを買って接木によって品種改良を加えたものである。

 この百年樹は、1906年(明治39年)に久見の更田安左衛門が
 高田豊四郎(三朝町出身の技師)から枝を譲り受け、早生赤梨に接ぎ木をしたもので、
 二十世紀梨栽培の歴史を物語る古木である。
 幹回り約2m、枝は東西約14m、南北約16mに広がる全国屈指の梨の巨木である。
 東郷二十世紀梨導入100年にあたる2006年に湯梨浜町で条例でも定めました。
 以来、樹齢100年以上の梨の古木の前で毎年豊作を祈願する式典を行っている。

湯梨浜町 他より