今日はゴルフ場記念日 | moeccyaのブログ

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元々はカラメネットに記載していたのですが、閉鎖されてしまったので移行しました。
カラメネットではこんな感じでした。
https://megalodon.jp/2012-0309-1019-12/moe.b.to/twitter01/307
なお初期の記事は時間的関係でほとんど転載してません。





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〇ゴルフ場記念日
 1903年(明治36年)5月24日、神戸ゴルフ倶楽部の開場式が催された。


 1868年(慶応3年)、神戸が開港した年、1人のイギリス青年が神戸に上陸した。
 その名はアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)21歳、
 トーマス・グラバーと共同経営しているグラバー商会の兄フランクを頼って、
 第2の故郷となる日本にやってきたのである。

 グルームは、神戸元町の山側にあった善照寺に居を構えて、
 その年には寺の住職の取り持ちで士族の娘・宮崎直と結婚、
 日本人以上に日本を愛するようになった。
 彼は貿易商としても成功し、また、趣味を多くて、絵を描き、芝居を演じるほか、
 水泳、ボート、クリケット、登山などを好むスポーツマンであった。

 彼をとりこにしたのは、手付かずの荒々しい六甲山の自然で、
 しばしば山に登り、またその眺望の素晴らしさに、
 1895年(明治28年)には借り受けた土地に山荘を建てた。
 これが六甲山に建った最初の山荘で、
 神戸居留地にある彼の商館の番号をそのままとって「101」と呼ばれていた。
 次に友人たちを勧誘し、避暑地としての六甲山の魅力を広めていった。
 神戸ゴルフ倶楽部は、山荘「101」での週末の団欒の中から生まれた。
 大のゴルフ好きである友人が、
 「今や香港でもゴルフが出来るそうだ」と言うのを聞いて、
 それまで黙って話を聞いていたグルームが「ここにコースを造ろうじゃないか」
 と言い出したと伝えられている。

 早速、土地を借り、グルームは何人かの仲間の協力を得て、岩を掘り起し、
 雑草や笹の根を手鎌で刈り取り、ツツジの根を引き抜いたりという
 全くの人手によるホール造りが1898年(明治31年)から始まり、
 3年の苦労の末、1901年(明治34年)の秋に最初の4ホールが完成した。

 当初は、仲間うちでプレーするだけであったが、
 やがて噂が広まって来場者も増え、5ホールの増設にも着手し、
 コース管理・運営もグルーム1人の手に負えなくなってきた。
 そこで9ホール完成の見込みがついた1903年(明治36年)2月27日、
 神戸商工会議所で「神戸ゴルフ倶楽部」の創立総会が開かれた。

 1904年(明治37年)には、さらに9ホール拡張され、
 全長3576ヤード、ボギー78の18ホールのコースが完成した。
 18ホールのティグラウンドやグリーンは、すべて砂を固めて造られて、
 六甲のサンドグリーンは長い間名物的な存在であった。

 1903年(明治36年)5月24日、兵庫県服部知事、神戸市坪野市長や
 英Hall領事などの列席のもと、神戸ゴルフ倶楽部の開場式が催された。
 質素で和やかな雰囲気の昼食会の後、始球式に移り、
 服部知事は1番ティに進み出て始球式を行った。
 これがまさに日本最古のゴルフ倶楽部で打たれた最初のボールである。

 会員は、数名のドイツ人、フランス人、アメリカ人の他は、
 ほとんどがイギリス人で日本人もわずかにいたが、名誉会員的な存在であった。



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